クラッツェルムの焰星
碧月 葉
episode1 奪取ミッション
ツンとした鉄の臭いは、どこか血の香りにも似ている。
人も機械も朽ちると同じ匂いを放つんだな。
ヴェルナは感覚を研ぎ澄まし、足音を消して進んだ。
ひび割れた天窓からは月が放つ細い光が差し込み、床に散らばった歯車や金属片を照らしている。
一見すれば、ただの錆びついた廃工場。
だがここは、闇オークションにかけられる商品の保管庫だ。
宝石、薬──人間。
この街を支配する巨大企業“プログレッシオ・コンソーシアム”は、表立っては取引できない品々を売り捌き、裏でも莫大な利益を得ている。
それだけなら暗黙の事実。
だが今回は別だった。
──都市ひとつを壊滅させる大量殺戮兵器が出品される。
そんな情報がもたらされたのだ。
「真偽を確かめてきて。場合によっては、そのまま奪ってきてもいいよ」
あいつめ、「ついでに牛乳買ってきて」みたいに簡単に言いやがって。
ひょうとした笑みを浮かべて送り出したリーダーを思い返し、ヴェルナは唇を歪めた。
工場の敷地には、プログレ社自慢の
そんな犬たちの監視をすり抜けて、ヴェルナは奥へと進んでいった。
突き当たりに、重厚な金属の扉。
その前には見張りが五人。
さてと
ヴェルナは小さく息を整えた。
死角から忍び寄り、一人目の首の付け根に手刀をくらわせた。
すぐさま二人目の背中の急所を叩き、振り向きかけた三人目の後頭部の一点を指で打つ。
続けて四人目の側頭に蹴りを入れ、五人目の頸を正確に殴って落とした。
地面で伸びている男達に一瞥だけくれて、扉と向き合う。
頑丈な錠前もヴェルナには意味をなさない。
指先で触れ、命じるように撫でると鍵は従順に開いた。
「……これは、戦争でも始める気か」
扉の向こうに広がっていたのは、圧倒的な光景だった。
棚という棚には、武器や弾薬が整然と積まれている。
新型のグレネードランチャー、ガトリングガン……自走式の地雷──。
確かに強力かつ最新の兵器が揃ってはいる。
けれど「街ひとつ消す」ほどの代物は見当たらない。
記録写真を撮りながら通路を先へ先へと進んでいくと……
「お兄さん、警察? それともスパイ?」
声は最奥から聞こえた。
鉄格子のむこう。
少年がひとり、鎖に繋がれ座り込んでいる。
「うーん……泥棒、かな」
「なんだ泥棒か……にしては凄いね。入口の人たちSSクラスの傭兵らしいよ。見かけによらず、強いんだ」
銀の髪、紫色の瞳。
華奢で薄汚れてはいるが、目を引く美貌の少年だ。
「君は?」
「僕? “商品”なんじゃない?」
彼は首輪から伸びる鎖を揺らし、乾いた笑みを浮かべた。
「高額で、変態ジジイに売られる予定」
「そう。じゃあ──私が盗んであげようか」
少年のまつげが揺れ、瞳がわずかに見開かれる。
「無理だよ。この檻、かなり念入りなんだ。超一流の能力者でもない限り開けられない」
「確かに、厄介だな」
特殊素材を使った合金。三重構造の鍵。そして強力な封印術。
普通であれば解除は不可能だ。
「分かったろ。早く逃げなよ。奴らに見つかる前に」
「君はこのままで良いの?」
「はっ、良いわけないだろ。でも、この状況、どうしようもない……中途半端に同情するくらいなら、そこから僕を撃ってくれたほうが、よほど救いになるけどね」
「なるほど……」
ヴェルナが扉に触れる。
──開いた。
少年は息をのみ、目を見開いた。
「……何者だよ、あんた」
「一緒に来るなら教えてやる。君ひとりくらいなら連れて逃げる充分な自信はある。どうする?」
少年の瞳が揺れる。
「絶対に死なない?」
「ああ。死なないし、死なせない」
彼は一瞬だけ目を伏せ、ゆっくりと立ち上がった。
「……行く」
ヴェルナは頷くと少年の首に手を伸ばし、太い銀色の輪を外して床に捨てた。
「私はヴェル。“
ヴェルナは少年に手を差し伸べた。
「……なんだよ。やっぱ泥棒じゃないじゃん……」
少年は唇を尖らせる。
「アエストだ。僕の運命、あんたに預けてみるよ。よろしく、レジスタンスの
「了解」
アエストの手を握り返してすぐに、ヴェルナは彼の身体を横に抱えて持ち上げた。
「ちょっ、何するんだよ」
アエストは身じろぐ。
「大人しくして。プログレの奴らがようやく異常に気づいたみたいだ。足はつけたくないから、見つからないように逃げる。この方が何倍も速くて安全だろ」
ヴェルナは、お姫様だっこをしたアエストを抱えたまま廃工場を駆け抜けた。
そして、彼らが完全に工場を抜け出したあと、けたたましいサイレンが鳴り響き、サーチライトが慌ただしく動き出した。
サイレンの音が遠のいた開けた空き地に着くと、ヴェルナは周囲を確認しアエストを地面に下ろした。
「くそ、細腕のくせに馬鹿力だな」
顔を赤らめたアエストは、サッと距離をとった。
「君が軽すぎるんだ」
ヴェルナは外套の内側から通信機を取り出し周波数を合わせた。
「こちらヴェル。ミッションは完了、迎えを頼む」
一拍の沈黙。
次いで、ノイズ混じりの低い声が応じる。
『無事か? 工場の辺りだいぶ騒がしい感じだけど』
「大丈夫。ただ、“荷物”がひとつ増えた」
『了解だ。座標は確認した。まもなく到着する』
夜の風が吹き抜けていく。
ヴェルナは小さな紙包をアエストに差し出した。
「……何これ」
「腹は満たせないが、気休めにはなる。舐めておけ」
「飴?」
アエストは少し迷ってから受け取り、口に含んだ。
青リンゴの甘酸っぱさがふわりと広がり、つい頬が緩む。
「どうして捕まっていたんだ?」
ヴェルナの問いにアエストは視線を落とした。
「見た目が珍しいからだと思う。実は小さい頃からよく狙われたんだ。これまでは何とか逃げてきたけど、その度に誰かが捕まったり……亡くなったり」
言葉の端々が僅かに揺れる。
「今まで、よく頑張ったな」
ヴェルナの手はアエストの背に添えられた。
「それで、帰る場所はあるのか?」
「もう、ない」
「では、しばらく君を預かろう。……うちのリーダーはいい奴だ。力になれるはずさ」
「レジスタンスが?」
「来れば分かるよ」
低く抑えた声は、思いのほか柔らかく夜気に溶けた。
アエストは夜空を仰いだ。
雲一つない闇の中で、数多の星が静かに瞬いている。
「あんたがそう言うなら……」
言いかけたアエストは目を見開いた。
「あれって……」
月の光を遮って巨大な影が姿を現し、滑るように進んでくる。
飛空挺 《アッシュ・アーク》。
「ああ、迎えだ」
ヴェルナは夜空を見上げ、微笑んだ。
クラッツェルムの焰星 碧月 葉 @momobeko
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