第19話 立夏さんとの現場
朝ドラの撮影はあたしにとって初めての経験ばかりだった。
毎日が充実していて、時間が解けるように過ぎていく。
今日は物語の前半の山場となるシーンの撮影だった。
商店街の店先を表現したセットの中、あたしは主人公と立夏さんの対立する場面を目の前にしていた。
「あなたに一体何がわかるの?」
立夏さんが鋭い視線を主人公に向ける。声のトーンが普段よりも低く、張り詰めた空気がセットを包み込む。
イロハは小さく息を呑んだ。やや後ろから見ているのに、背中からさえ立夏さんの迫力が伝わってくる。
あたしはハラハラした表情で二人の顔を交互に見つめた。
「わかりません。わたしはこの町を元気にしたいだけなんですっ」
主人公の少女は必死に訴える。この主人公は純粋でまっすぐだけど、現実はあまり見えていない。
対照的に立夏さんの役はクールで理知的。芸能界も長いと言う設定だ。だが、その冷たさの奥には熱い思いがある。
どちらも正しくて、どちらも間違っていない。お互いに譲れないものがあるからこそ、ぶつかり合っている状態。
二人の間合いを見て、あたしはわざと明るい声を出した。
「まぁまぁ、同じアイドルなんだから、仲良くしようよ」
あたしの役はぶつかり合う二人の間を取り持つ立場だった。
主人公ほどのまっすぐさもなければ、立夏さんの役ほどの経験や情熱もない。その分、周りを見るのは得意で、暴走しがちな立夏さんの役を支え、時には代わりに頭を下げることもある。
だからこそ、あたし演じるには問題があった。
「カット! イロハちゃん、立夏ちゃんを見る目が熱すぎるよ。ここはけんかの仲裁だから、もうちょっと困った感じで」
監督の声が響いた。
やっちゃった。
あたしは反射的に背筋を伸ばし、すぐに頭を下げる。
「す、すみません!」
監督も苦笑している。
なぜなら、この理由で止められたのは今日が初めてじゃないから。
どうやらあたしの立夏さん好きは筋金入りのようで、彼女を見つめるだけでそれが表に出てしまうようなのだ。
「イロハちゃんの立夏好きはわかったから……もうちょっと抑えて」
「はい!」
監督の言葉にスタッフさんも苦笑を浮かべている。あたしはもう一度頭を下げた。
あたしにとって立夏さんは、憧れの人であり、大好きな先輩だ。綺羅に言わせればあたしが命を捧げた相手。
だけど、あたしの仕事は女優だ。自分の感情くらい隠せないでどうする。 あたしは一度頬を叩くと、気持ちを切り替えた。
*
あの後はNGも出さずに撮影が終わり、あたしは楽屋に戻った。
ほっと息を吐きながら鏡に映る自分を見つめる。情けない。衣装を汚さないように脱ぎながら反省する。
次こそは絶対にただの相方を演じきって見せる。
そんなことを考えていると、楽屋のドアがノックされ、あたしは「はい」と返事をしながら振り返る。
「イロハちゃん」
小さな音ともに立夏さんが手を振りながら入ってくる。
びっくりして隣の椅子にぶつかりながら、あたしは立夏さんの前に駆け寄った。
「立夏さん、今日はご迷惑をおかけしました」
あたしは立夏さんの前に立つと頭を下げた。申し訳なさがこみ上げる。
あたしのNGで一番迷惑をかけるのは立夏さんだ。これはあたしがNGを出すのが立夏さんと一緒の時というのが大きい。
頭を下げたままのあたしの肩に立夏さんは手を置いて、ぽんぽんと慰めてくれた。
「ううん、それはいいんだけど。あ、これ、良かったら」
立夏さんが差し出しだのは清涼飲料水のペットボトルだ。
あたしの好きな銘柄に、思わず顔がほころぶ。
「ありがとうございます! あたし、これ好きなんです」
「ん、前にそう言ってたから」
小さく微笑む立夏さんが可愛くて、あたしのの心臓が少し跳ねた。
こういうところが、本当にずるい。人のことをよく見ているし、その上、優しいんだから。
立夏さんがあたしのことを覚えてくれていたのが嬉しくて仕方なかった。ただのペットボトルなのに宝物のように見えてしまうあたしに、立夏さんは少し言いにくそうに口を開いた。
「それで……その、私と演技するの、そんなに慣れない?」
「はい?」
「イロハちゃんがNG出すの、いつも私とのシーンばっかりだから」
質問の意図が読めなかったあたしだったけど、追加された言葉は図星だった。
ばれていたらしい。そりゃ、そうか。ずっと一緒の現場だし、あたしがNGを出すのは立夏さんがいる場面だけだから。
あたしはどう言うべきか分からず、思わず目を泳がせる。
「本当にすみません」
とにかく謝るしかない。
立夏さんが好きすぎて、NG出してますなんて自分の口から言うには恥ずかしすぎる。
所在なさげに髪の毛を掻き上げるあたしの様子に立夏さんはくすりと笑う。
「謝らなくていいんだけど、これからも続くと困っちゃうかも?」
「もう失敗しませんから!」
立夏さんの隣にいられなくなるのは困る。あたしは勢いよく答える。
もう迷惑はかけたくないし、次は絶対にうまくやる。こちとら生死がかかっているのだ、こんなところで足踏みしている場合ではない。
立夏さんはあたしの言葉に首を横に振った。ふわりと艶やかな髪の毛から花のような香りがした。
「違うでしょ?」
「え?」
立夏さんの言葉にあたしは目を瞬かせた。
あたしを優しく見つめる立夏さんは少しだけ悪戯な笑顔を浮かべる。
「私たちはユニットで対等なんだから、もっと普通に過ごせるようにならなきゃ」
「普通に過ごす……?」
どういうことだろう。
あたしにとって立夏さんといることは最初から特別なだったから。
出会いから、あたしの中で立夏さんは特別なのだ。簡単なはずの〝普通に〟が難題に思えた。
「えっと、どういうことですか?」
降参してあたしは立夏さんに尋ねた。立夏さんは少し考えるように視線を上げ、それから穏やかに微笑んだ。
「そうだね。たとえば、アイドルの子たちってユニットの絆を深めるために遊びに行ったりするんでしょ?」
「まぁ、確かによく聞きますね」
SNSを見ていても、遊びに言った報告があるくらいだ。
ファンも同じユニットの子たちが仲が良い方が嬉しいだろうし、宣伝も含めているのだろう。
だけど、あたしと立夏さんは違う。あくまで役として話だ。
立夏さんをじっと見つめると、少し恥ずかしそうに目を細めた。
「だから、私たちも……一緒に遊びに行かない?」
「え?」
思わぬ提案に、あたしは目を丸くした。
遊ぶ? 立夏さんと?
今までは仕事に忙しい立夏さんに声をかけられず、仕事でしか会えなかった。
まさか立夏さんから誘ってくれるなんて。
あたしは立夏さんを見つめる。彼女はただ年上らしく笑っていた。
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