第11話 交わされた取引

 

 目を開けると光の洪水だった。

 舗道に打ち付けるような蝉の声が耳を刺す。

 夏、しかも、外。

 私は突然の光の洪水に目を細め、顔の前に手を掲げた。

 空の青、眩しい白い雲、そこに翳す手には血の一滴もついていない。慌てて身体を見返すも、私の身体には何の傷もなかった。


「また戻った……?」


 腹部に手を当てる。そこには血も、痛みもなかった。

 ただ、違和感だけがじんわりと残っていた。まるで記憶が身体に染みこんでいくようにさえ思えた。

 綺羅に殺され戻るのは、これで3度目だ。

 そろそろ戻る方法、パターンはわかってきたが、なぜこうなるのかは分からないまま。

 諦めるように頭を切り替える。まずは場所を確認しよう。いきなり外になることは初めての経験だった。ここがいつのどこなのか。それが重要だ。

 周囲を見回すも、とくに特徴のない側道だった。


「ここは、どこ?」


 思わず呟くと、後ろで微かに笑う声がした。

 振り向けば街路樹により掛かるように、綺羅が手をポケットに突っ込みながら立っている。

 私と目が合うと綺羅は木から背を離しこちらに歩いてくる。


「よく見てみなよ、見覚えがあるはずだから」


 綺羅の目はどこか愉快そうだった。

 近づかれて、少し後ずさる。警戒する私の姿に、綺羅はもう一度面白そうに笑った。

 私は再度、周囲を見回すがどこにでもありそうなビルと街路樹に道路だ。


(見覚え……?)


 そう思った瞬間、胸がざわついた。見慣れるほどの場所ではない。覚えている場所でもない。だが、言われれば、知っている場所のような気もした。

 違和感の正体は分からない。

 だが、違和感の正体よりも、私は綺羅に言いたいことがあった。ニヤニヤしたままの彼を睨みつけると、一歩踏み込んだ。


「綺羅、今度こそ教えてもらいましょうか。いくら何でも刺すって……どういうことなの?」


 たとえ、また過去に戻ると綺羅が知っていたとしても、いきなり刺された方が驚いてしまう。

 綺羅は私の勢いを気にも留めず、片眉をあげると肩をすくめる。


「必要なことだったからね」


 淡々とした口調に、背筋が寒くなる。必要だったら人を刺すと言うのか。

 まるで何でもないことのように言ってのけるその態度が、より不気味に感じた。

 なんでイロハはこの男を側に置いていたのだろう。

 私の鋭い視線を意に介さず、綺羅は道の先を指さした。


「それより、ほら、君が知りたいって言った真実が始まるよ」

「え?」


 綺羅の指が、私の視線をある一点へと導く。

 そこには小さな女の子がいた。

 10歳くらいの女の子だ。淡いピンク色のワンピースを着て、小さなクマのリュックを背負っている。

 不安げに周囲を見回しながら、今にも泣きそうな顔をしていた。


「迷子……? どうして誰も助けてあげないのかしら」


 周りの大人たちは忙しそうに歩いていくだけで、誰も少女を気にかけない。

 少女も迷惑をかけないように誰にも声をかけようとはしなかった。

 その姿勢がいじらしくて、誰も助けないなら私がと足を向けた瞬間——見慣れた制服を着た女子高生が少女に近づいた。

 今度は確実に見たことがある制服と人物だった。


「どうしたの? お母さんと離れちゃった?」


 耳に届いた声とその格好に私は息を呑む。

 その声の主は私が一番よく知っている人だった。


「私?」


 今まで私がその時代の私になっていた。だけど今回はこの時代の、制服から考えて高校生の私がいる。

 懐かしい。白い半そでシャツに夏のベストを着て、チェックのプリーツスカート。この制服は可愛くて気に入っていた。

 おそらく十七歳くらい。 少し幼い雰囲気と制服だが、流石に自分を間違えはしない。

 まるで本当に幽霊になったような気分のまま、私は綺羅の顔を振り返った。

 これがイロハの理由にどうつながると言うのか。


「そう、これは立夏……君がイロハと出会う場面だ」


 綺羅が淡々と言う。

 言葉を理解した瞬間、脳内の記憶が繋がる。


「イロハ? ああ、だから、見たことがあったのね」


 イロハの小さい頃の写真は何度か見たことがあった。

 あのクマのリュックも、確か昔のイロハが大切にしていたとバラエティ番組で言っていた記憶がある。

 だけど私を困惑させている理由をもう1つあった。


「携帯電話、忘れて、お家に連絡しないといけないのに」

「そっか、お姉さんの貸そうか?」

「ほんと?」


 少女はぱっと表情を明るくした。

 私——当時の私は微笑みながら携帯電話を取り出し、迷子のイロハに貸している。

 そのやり取りを私はただ黙って見つめていた。


「全然、覚えてないわ」

「君にとっては人助けが普通だからだろうね。今どきの人間にしては珍しい」


 からかうような口調に、私は小さく首を傾げる。さすがに、迷子の女の子に携帯電話を貸したら覚えている。

 綺羅の言うように人助けを日常的にするほど優しい人間でもなかった。

 その間にも10歳のイロハと17歳の私のやり土地は進んでいく。10歳のイロハはくっきりと今の面影を残した満面の笑みを浮かべた。


「ありがとうっ、お姉さん」

「どういたしまして」


 澄んだ笑顔が交わされる。私はイロハの頭を撫でてるから嬉しかったのだろう。

 私とイロハの最初の出会い。まったく記憶にないそれが、私の目の前で行われていた。


「良いシーンね、だけど、これがどうしてイロハが死を選ぶ理由になるの?」

「それはね」


 私が綺羅を振り返ると、彼は静かに目を細めた。

 その時、にわかに10歳のイロハと17歳の私の間も騒がしくなる。


「お姉さん!」

「ごほっ」


 どんと体がぶつかる鈍い音が響き、次の瞬間、17歳の私の身体にナイフが突き刺さる。

 それと同時に私の口からは血が噴き出ていた。明らかに致命傷。傍目で見ていて、あ、助からないなと他人事のように思えてしまう。

 思ってから、ありえない展開に私は目を見開いた。


「え……?」


 何が起きたのか、自分のことなのに理解が追いつかない。

 制服の白いシャツに赤染みが急激に広がっていく。

 私を刺した男は刃物を握ったまま、ゆっくりと後ずさる。そして、そのまま雑踏の中へと消えていった。

 残されたのは地面に倒れこむ私と、私の血を止めようと手を真っ赤にして刺された場所を抑えるイロハ。


「ちょっと、私、刺されたことなんて人生でないわよ!」


 衝撃的な展開に、思わず隣の綺羅の肩を掴んで大きく揺さぶった。

 彼は揺さぶられるまま、薄ら笑いを変えずに答えた。


「そりゃそうだ。君が刺されたことはなかったことになってるから」

「なかったことになってる?」


 どういうこと?

 私が刺されたのが、イロハの理由だとして。私には刺された記憶がない。その上、刺されたことがなかたったことになる?

 私は顔をしかめる。私は生きているのか、死んでいるのか——はたまた17のころから死んでいたのか。

 目の前ではイロハが泣き叫びながら、血まみれの私を呼び続けている。側には携帯電話が転がっていた。

 絶望的なシーンだ。物語であっても、ここから私が復活することはないように思えた。


「君、このお姉さん助けたい?」

「助けたいっ」

「じゃ、僕と取引をしよう」


 ふらりとイロハの前に今と同じ姿の綺羅が現れる。

 膝に手を付き腰をかがめると、綺羅は10歳のイロハの顔を見てにやりと笑った。


「その代わり——君の命と交換だ」


 綺羅の指がイロハの胸を押す。

 その意味がわかっているのか、いないのか。イロハは綺羅の言葉にこくんと頷いた。

 刹那、記憶がフラッシュバックする。あの最初の出会いで、この男は私に向かっていった。

 ——イロハを殺したのは君だ。

 その声を追いかけて、私は踏切に落ちたのだから。

 そうだこの男は最初から、そう言っていた。私の中で急激にすべてが繋がっていく。


「どういう、こと?」


 確認と、ほんの少しの拒絶を込めて呆然と呟く私に、綺羅はいつもの調子で淡々と言う。


「イロハは小さい頃に君が死ぬ運命を変えている。その運命を変えたのは僕。代わりにイロハの命を貰った」


 そんな気軽なやり取りで、イロハは命を失い、私は命をつなげた?

 私は唇を嚙みしめてから綺羅を見つめる。


「あなたは悪魔なの?」

「そんな大層なものじゃないよ。僕は人の命と感情を食べる生き物。代わりにちょっとした奇跡を起こせる」


 綺羅は目を細め、にやりと笑う。

 いつの間にか目の前にいた10歳イロハと血まみれの私は消えていた。


「これでわかっただろう? イロハが死ぬのは僕のせいじゃない。君のせいだ」


 綺羅の声に世界が静まり返る。

 空気が急激に冷たくなったように感じた。

 助けたい恋人が死にたがっていて、その理由は私の為で、でも私はイロハに生きていて欲しい――私は一体、イロハのために何ができるのだろう。

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