第9話 真実を知るために


 テレビ局に確実に二人きりになれる場所は実は少ない。

 特にタレントだと、基本的に呼ばれて仕事に行ってるわけで、楽屋くらいしか与えられたプライベートスペースはない。

 そして私の楽屋は、私たち――イロハと二人での楽屋になる。そんな所にこの男を連れて行ける訳がない。

 私は無機質な白い壁と、わずかに消毒液の匂いが漂う優先トイレに男を連れ込んでいた。


「まさか、女の子にトイレに連れ込まれる時が来るとは」


 肩を竦める男は壁に軽くもたれ、どこか楽しげに言った。

 こっちだって好きで連れ込んだわけじゃない。

 余裕を感じさせる笑みを浮かべる男を、私はイラつきのまま遠慮なく睨んだ。


「私だって思ってなかったわよ。あなた一体なんなの?」


 睨んだところで、男は少しも怯む様子はなかった。

 いつでも逃げられるように、私は扉を背中に立つ。これには二つの意味がある――私が逃げやすいようにと、男が逃げないようにだ。

 だが私の心配など知らないかのように、男は抵抗する気など見せず、むしろ灰色の瞳には面白がるような光が煌めいていた。


「僕は綺羅。その説明のためには、まず君がなんで僕が見えるかを知らないとね」


 綺羅。鏡に水で漢字まで書いてくれた。

 やっと知れた男の名前を記憶に刻み込む。

 なぜ見えるかなんて、考えたこともない。私が最初に綺羅らしき人を見つけたのは写真だし、実際に見たのはイロハが死んだ町で。

 その時は、他の人にも見えていたように思えたのに——もしかしたら、あの時から男は見えていなかったのだろうか。

 私は深く息を吸い、落ち着けと自分に言い聞かせながら頭を整理する。


「私はあなたがイロハとキスしているのを見て、追いかけて……あなたに階段から突き落とされた」


 感情を押し殺しながら、できるだけ冷静に言葉を絞り出す。

 口にしたところで、理由なんて分かりやしない。

 ただ、この男のペースに乗りたくなかった。私の言葉に目の前の男は、一瞬だけ目を瞬かせる。


「僕がイロハとキス?」


 綺羅の顔には喜びも動揺もなかった。むしろ、彼は私の言葉に少しの間、考え込むように顎を引く。


「そうよ。それが原因でイロハは自殺するんだから」


 私の声には怒りが滲んでいた。

 キスしたのも、襲ったのも許せない。だけれど、それによりイロハが死を選ぶことが何より目の前の男を嫌いにさせる。

 私の言葉に綺羅は最初は小さく、それから徐々に肩を震わせる。数秒するとついには堪えきれないというように笑い出した。

 とても楽しげに笑う姿に、カチンときた。私は前のめりに綺羅との距離を詰める。


「ふふっ、あっははは」

「何よ?」


 問い詰めようとしたその瞬間、綺羅はお腹を抱えて爆笑し始めた。

 私の方に片手を伸ばして、距離を取るように綺羅は後ずさる。

 よほどツボに入ったらしく、彼の笑いはしばらく続いた。私はそれをイライラしながら見つめるしかできない。


「あっはっはっは、これは傑作だ」

「何が?」


 綺羅の眦には笑いすぎたせいで、涙が滲んでいた。

 そんなに笑われる意味が分からず、私は眉間に皴を寄せながら綺羅の様子を観察する。

 綺羅はひとしきり笑ったあと、男にしては細い指で涙を拭い、こう言い切った。


「僕がイロハにキスする理由はないし、イロハがそれで自殺することもない」


 自身に満ち溢れた言葉と態度だった。

 まるでこちらが間違ったことや悪いことを言っているような気分になる。

 でも、綺羅はイロハにキスをしていたし、イロハはそれで自殺したのだ。

 それは間違いない事実で、私は不機嫌を隠せなくなった。


「なにそれ、私は見たのよ」

「キスするとしたら、それはきっと必要だったからだ」

「必要だった? それが原因でイロハは死ぬのに?」


 私の声は怒りに震えていた。

 だが綺羅は微笑を崩さず両手を広げた。それからまるで何もかもを知っているかのように言う。


「本当にそれが原因だったのかい? 僕の知るイロハは、それで死ぬような人間じゃないよ」


 この男は、本当に私の沸点を刺激するのが得意なようだ。

 僕の知るイロハ?

 綺羅がそんな風にイロハを言うこと自体が許せなかった。


「あなたに何がわかるの?」


 声を荒げる私を綺羅は半分からかうような視線で見つめてくる。そして、相変わらず、どこから来るか分からない自信に満ちた言葉を紡ぐ。


「わかるよ。僕は君よりはずっとイロハについて詳しいからね」

「嘘」


 自慢げな顔をする綺羅の言葉を即座に否定する。

 そんなこと、ありえない。ありえるわけがないし、あってはいけない。

 ここ数年、誰よりもイロハの側にいたのは私だ。仕事もプライベートも一緒に過ごしていた。

 まるで威嚇する猫のように綺羅を睨み続ける私に、彼は「やれやれ」とでも言うように両手を広げた。


「イロハに聞いてみるかい?」


 イロハとこの男を会わせたくないはずなのに、私は綺羅の提案を拒否できずにいた。


 *


 優先トイレから楽屋に移動する。

 その間、幾人の人たちとすれ違ったが、誰一人綺羅に気づく人はいなかった。

 本当に彼は私以外に見えていないらしい。いや、イロハには見えているのか。

 楽屋の前に着く。私は小さく唇を舐めてからドアを開けた。

 私の帰宅に喜んで席を立ったイロハが、綺羅の存在に気づくと目を丸くする。


「立夏姉っ、なんで綺羅と……」


 イロハの声と視線に、私は小さく息をつく。

 イロハは綺羅を知っているし、綺羅が見えている。

 どういうこと? ストーカーじゃなかったの?

 この時点で私の頭はパンク寸前だった。


「……やっぱり、知り合いなの?」

「知り合いというか……とりあえず、こっちに来て」


 イロハは私の顔を見て少し困ったように口元をもごもごさせると、私の手を取り綺羅から少し距離をとる。

 私は戸惑いながらもイロハに手を引かれるまま綺羅から数歩離れ、イロハの隣に立つ。

 まるで繋がれるように、手を握られていた。


「ひどい扱いじゃないか? イロハちゃん」

「立夏姉に近づかないでよ」


 綺羅はイロハに近づくと親し気に声をかける。

 イロハは綺羅に向けてしっしと手の甲で払いのけると、私の身体を守る様に手を回した。綺羅はそれさえ面白そうに笑って見ていた。

 私はただ二人のやり取りを見ているだけ。

 綺羅はちらりと私を見た後、イロハに向けて微笑む。


「僕が近づいたんじゃない。君の立夏姉が僕に話しかけたんだ」


 綺羅の言葉にイロハの表情が強張り、心配そうに私を見上げてくる。


「立夏姉も……綺羅が見えるの?」

「見えてるわよ」


 なんと答えていいのか、わからない。

 だけど、嘘を吐くわけにもいかず静かに答えた。

 イロハは私の言葉にわずかに目を見開く。


「いつから?」

「いつからって……」


 素直に答えても信じてもらえる気がしない。

 最初はイロハが死んだあと譲ってもらったイロハのスマホで画像を見た。次は自分が死ぬ直前。そして、イロハが綺羅に襲われているとき。

 すべて今のイロハにとっては未来の話になってしまう。

 私は綺羅とイロハを見て、おずおずと切り出した。


「信じてもらえないかもしれないけど——」

「信じる」


 私が言いきる前にイロハは即答した。正面から見た強い瞳に言葉を失ってしまう。

 この時からイロハは私のことをこんな瞳で見ていたのか。

 今更、気づく事実に胸の奥をくすぐられたような気持になる。


「イロハ……」

「あたしは立夏姉のことを全面的に信頼してるから」


 イロハの手が私の手を取り、彼女の熱が私に伝わる。

 まるで当たり前のように言うイロハの言葉に、私の心臓の鼓動が大きくなる。胸の中で弾むから、きゅっと掴まれたかのように痛くなった。

 知らなかった。ユニット活動開始から、イロハがこんなに熱い目で私を見ていたなんて。


「ひゅー、狂信的」

「綺羅、茶化さないで」


 イロハがキッと綺羅を睨みつける。綺羅はニヤニヤと楽しそうに笑っていた。

 そんな二人のやりとりを見ながら、私の中でふと疑問が沸き上がる。


(イロハは……いつから私のことが好きだったんだろう?)


 ずっと隣にいたのに、いつからイロハが自分をこんなにも思ってくれるようになったのか。

 今まで気にしていなかったことが、急に気になり始める。

 きっと、私の知らないイロハを見てしまったせい。だけど、それを今考えるべきではない。

 私は疑問を後回しにすると、静かに息をついた。


「イロハ、少し話したいんだけど、いい?」


 イロハが頷き、綺羅が愉快そうに唇を吊り上げる。

 そして私は私だったら信じられない事情をイロハに説明し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る