第6話 予感と決意
私とイロハは楽屋に備え付けられているソファに二人並んで腰かけていた。
ソファに座るイロハは、膝の上にクッションを置き小さく首を傾げている。ストーカーについて考えているにしては、とても可愛らしい横顔に私は頬を緩める。
どんな時でもイロハは肝が据わっていて、マイペースだったのを私は思い出していた。
「今のところ、いないかなぁ」
久しぶりのイロハの姿をじっと観察していたら、そんな視線を気にせず、うーんと小さく唸ってイロハは答える。
組んでいた手も解き、困ったような表情が浮かんでいた。
そんなはずはない。そう思う。
私は眉を寄せて唇を引き結んだ。イロハとは対称的な表情だったろう。
「そうなの? この頃、よく見る人がいる気がしたんだけど」
実際はいない。だが、イロハのスマホには、かなり前からあの男が映り込んでいたし、襲われたのも7月。今からすれば一週間程度先の話になる。
イロハ自身が気づいてなくても、もう側にいる可能性が高い。
イロハはクッションの上で手を組むと私の顔をじっと見つめてくる。
「え、それは立夏のストーカーじゃないの? 砂川さんに相談したら?」
私のストーカーじゃない。それは確実だ。だって襲われたのはイロハなんだから。
だけど理由は説明できないので、私は首を横に振るだけにした。
「後でね。私はその人がイロハをよく見てるから、イロハ目当てなんじゃないかと思うんだけど」
「えー……でも、今はいないなぁ」
私の言葉に顎の下に手を当ててイロハが少し考える仕草を見せる。
彼女はファンのことをよく見ているし、覚えている。天性の素質なのか、人が好きなのか。
よく来ている人がいたら、私が教えてもらう時があるくらいだ。
そのイロハがいないというのだから、本当に自覚はないのだろう。
私は少しだけ顎を引くと、イロハが組んだ手の上に自分の手を乗せる。
「わかったわ。でも何か変化があったら、すぐに教えてね」
「分かったよ!」
イロハの笑顔が弾ける。眩しい笑顔に私はそっと目を細めた。
イロハの笑顔は見るだけで元気になれる。
もう見れないと思った笑顔が、隣にある。その奇跡を静かに噛みしめた。
*
仕事も終わり乗り込んだ車から夜の街を眺める。車のヘッドライトとネオンの光で彩られた町は久しぶりの鮮やかさを見せていた。
窓の外を流れる景色がぼんやりとした光の線を描く。
イロハを送った帰り道。
車内は静かで、低く流れるラジオの音だけが響いていた。イロハを降ろした後の少しの寂しさを押し込め、砂川さんに声をかけた。
「砂川さん、ちょっとお願いがあるんですが」
私の呼びかけに、運転席に座る砂川さんはバックミラー越しにちらりと私を見る。
ハンドルを握る指先がリズムをとるように動いていた。
「はい、どうしました?」
今から言うことは我儘だ。だから口に出すことが憚れる。
でも、せっかくの奇跡を私はひとつも無駄にしたくなかった。
「イロハと一緒の仕事を増やしてくれますか?」
ハンドルを握る砂川の指が一瞬だけ動きを止めた。
「可能ですが、どうしてですか?」
バックミラー越しに砂川さんと目が合う。私は視線を逸らさずに、少しだけ唇を湿らせてから静かに答える。
「イロハにストーカーがいる気がするんです。心配なのでなるべく一緒にいたくて」
その言葉に砂川さんは少しの間、沈黙した。きっと心当たりがないか、考えているのだろう。
朝ドラから生まれた私たちのユニットは事務所の中でも人気のある方になっていた。
ファンレターやプレゼントもユニットを組む前とは比べ物にならない。
「イロハさんは何も言っていませんでしたよ」
「はい、イロハは気づいてないみたいで、だからさらに心配なんです」
「なるほど。でも、局内に入れる人間は限られていますし、移動も今は車がほとんどですよね? 心配しなくても大丈夫だと思いますよ」
「そうですよね。杞憂だといいんですが」
もっともな言葉だ。前回は私もそう思っていたし、だからこそ、事件が起きたなんて微塵も知らなかった。
本当に杞憂で済むならいい。だけど、同じ状況でイロハは襲われている。
私は膝の上で静かに拳を握りしめた。
誰が何と言おうと、イロハを守りたかった。 何よりイロハを襲った男は、おそらく自分を殺した男でもある。
「どうか、よろしくお願いします」
「……わかりました」
念を押すように静かに頭を下げる。
イロハを襲わせない。そして死なせない。
それが今の私の一番の願いだった。
*
それから数日は平和だった。
私は久しぶりに見るイロハに浮かれていたし、2度目なんて思わず彼女を見ていた。
よく笑って、よく表情が変わる。
撮影の合間のちょっとした時間でもイロハは人生を楽しんでいた。
「立夏、これしよー!」
楽屋でイロハがスマホをソファに座る私の前に差し出してくる。
こういう時はSNSにあげるための何かを撮りたい時だ。
私はスマホの画面とイロハの顔を交互に見つめた。
「何?」
「流行ってるペアダンス。ショート動画上げたくて」
イロハの目がきらきらと輝く。
流れるように私の隣に座り、一緒に動画を見る。
イロハはこういう流行りものに敏感で、タイミングを逃さない。だからこそ、私たち二人のユニットもトレンドに乗った。
私の膝の上にスマホを置いてくるイロハと一緒に画面をのぞき込む。秒数は短めでも中々手の込んだダンスだった。
私は顔をしかめた。
「……私がダンス下手なの知ってるでしょ?」
「大丈夫、立夏のダンスは下手可愛いからっ」
「それ、褒めてないよね」
悪戯に笑う年下に私は小さくため息を吐いた。
口ではそう言いつつも、動画を見てダンスを覚える。イロハはそれをニコニコ見ているだけだった。もう覚えているのか、ずるい。
前なら逃げていたかもしれない。だけど、今はイロハとできることは何でもしたい。しておきたい。
二人で軽く合わせてから立ち位置を決め、動画を撮る。
軽快な音楽に合わせてほぼ上半身だけの振付を踊る。ちょっと仏頂面の私にはイロハは楽しそうに笑った。
「よしよし、バッチリじゃない!」
動画撮影は数分も立たずに終わる。イロハのチェックも完了し、私はまたソファに座った。
スマホの画面を確認しながらイロハが満足そうに何度か頷いた。
「良かった」
「立夏はどんな動画でも映像でも綺麗なんだから、不安なんてないでしょ」
イロハが満足したことにほっとした私に彼女はそんなことを言ってくる。
何を言っているんだか。私は小さく苦笑するしかない。
イロハはスマホを閉じると、立夏に向き直り、まっすぐに見つめる。
「あるに決まってるじゃない」
「えー、この顔で?」
「この顔で」
イロハは前から私のことをよく褒めてくれる。ほぼすべて。よくそんなに褒める部分が見つかるなと思うくらいだった。
特に私の顔はイロハのお気に入りで、たまに「ずるい」と言われるくらいだ。
私の言葉にイロハはくすりと笑った。そこに含まれた艶にドキリとする。
次の瞬間、イロハは私のの頬にそっと手を添え、優しくキスをした。
「……それは贅沢って言うんだよ?」
鼻と鼻が触れ合うような距離感で、零された声にはしみ込むような甘さがあった。
久しぶりのイロハとの触れ合いに、目がくらみそうになる。
「イロハがこの顔を好きなら、それで十分だわ」
私はそう返すのが精いっぱいだった。
イロハは私の言葉に唇を尖らせながら、首を横に振る。
「はぁ、まったく、立夏姉はこれだから」
「久しぶりに聞いた、それ」
昔はよく呼ばれていた呼び方。年下からそう言われたことがなかったから、むず痒かったのをよく覚えている。
イロハは頬を膨らませながら、少し照れくさそうに視線を逸らした。
「恋人を姉呼びは、流石に辞めようと思ったから」
「そう」
「立夏、顔緩んでるよー。冷静を装っても無駄だからね」
「だって、嬉しいんだもの」
素直な恋人の言葉に私は笑みを浮かべ、イロハの手をそっと握る。
この幸せをどう伝えたいか、真剣に考えているのだ。無くしてから初めてわかったわけじゃない。無くしたことでさらに大切さを嚙みしめるようになった。
私に手を握られながら、イロハは頬を桜色に染めていた。
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