第3話 事件の顛末


 次の日訪れた事務所はいつもと変わらず、スタッフが行き交っていた。

 違うのはイロハがいないことだけ。私はその違和感を胸の奥に押しとどめながら、目当ての人を探す。

 周りを見回すも誰も声をかけてきたりはしない。

 少しだけ事務所に入った当初のことを思い出す。イロハと組む前も似たような雰囲気は良く感じていたから。


「すみません、砂川さんはいますか?」


 私に声をかけられたスタッフが驚いたように肩を跳ねさせた。

 私は苦笑するしかない。眉を下げて奥を指さす、スタッフに軽く頭を下げ進む。

 イロハのスマホを握る私の手は緊張なのか、怒りなのか、震えていた。


 デスクの向こうに座る砂川さんの顔は硬く、目を伏せたままだった。

 私がイロハの日記の部分を彼に見せたからだった。

 答えを聞くまでもない。砂川さんは、イロハの事件のことを知っていた。

 いや、この分だと私だけ知らなかった。


「これ、どういうことですか?」


 自分でも驚くほど低く、冷たい声が出た。

 砂川さんは私の顔を一度ちらりと見上げた後、口を開きかけたが、言葉を飲み込むように奥歯を噛みしめた。


「……イロハさんが書いてあることは事実です」


 俯きながら答える砂川さんの声は、どこか苦しげだった。

 なんで、教えてくれなかったのか。

 私の中でくすぶっていた怒りが砂川さんの言葉により燃え広がる。

 イロハのスマホを指先が白くなるほど握りしめた。


「私はこんなことがあったなんて知りませんでした。どうして教えてくれなかったんですか?」


 どうしても言葉が強くなってしまう。

 砂川さんに責任はないと理性的に判断する自分と、イロハを助けられたかもしれないと思う自分がぶつかっていた。

 視線を鋭く向けると、砂川さんはのろのろと顔を上げた。その目には何かを押し隠したような陰がある。


「イロハさんと相談した結果です。イロハさんは立夏さんに知られたくないと思ってましたし、被害もほとんどなくて——」

「被害もほとんどなくて?」


 ほとんどない、とは、少しはあったということだ。

 私はデスクに手を付いて砂川さんとの距離を詰めた。


「被害があったんですか?!」


 砂川さんは両手を上げ、私との距離を保とうとする。

 顔にはまずいことを言ったと書いてあった。


「そこに書いてある通り、キスだけです。イロハさんが抵抗したので、男はすぐに逃げていったんです」

「……キスだけ?」


 その言葉に私は片眉を吊り上げた。

 どんな状況であれ、イロハが望まない行為をされたことには変わりない。

 それを「だけ」で片づけるなんて許せなかった。

 半年前、そんなことがあったなんて少しも気づかなかった自分も許せない。

 それほどイロハの様子は変わりなくみえたのだ。

 私は唇を噛みしめ、深く息を吐いた。


「一時期、イロハに男がいるっていうゴシップが出たのは、この事件のせいですか?」

「関連はわかりません。もともと秘密にしている内容でしたから」


 砂川さんは静かに首を横に振る。

 そこに嘘はないように見えた。私はしばらく彼の顔を見つめた後、一度目を閉じる。情報と感情を整理したかった。

 今ここで喚いても、イロハは帰ってこない。

 砂川さんにこうやって突っかかっている時点で、私はイロハがいないショックを受け止めきれていないのだろう。


「イロハが秘密にしたいと言ってても、情報の共有くらいして欲しかったです。知っていれば、まだサポートができた部分もあったかもしれないので」

「それは……すみませんでした」


 砂川さんの声は低かった。

 イロハはまだ21歳だ。私の7つ下。

 事務所には17歳から所属していたから、子供から大人になるのを私も見ていた。

 だからか現場でもイロハはまるでみんなの子供のような、末っ子のような扱いで可愛がられていた。

 守りたかった。

 それは誰もが思っていることだろう。

 守りたかったのに、守れなかった。その事実に、私の胸の奥がずっと焼けるように痛む。


「犯人は捕まったんですか?」


 私は話を切り替えた。砂川さんは首を横に振る。


「すぐに追いかけたのですが、男の姿は消えてました。それ以来、見ることもありません」

「どんな男だったんですか?」


 すぐに聞き返す。

 逸る様に聞いてしまった。だけど、イロハの死因かもしれない男を放っておくことはできなかった。

 砂川さんは私を見て少し目を細めた。


「立夏さん、この件はもう終わったことです。あなたが調べて危険な目に遭ったら、それこそイロハさんが悲しみます」

「私は知りたいだけです。イロハが死ぬなんて信じられない……それに、捕まっていないなら、私が狙われる可能性もありますよね?」


 私はわざとらしく首を傾げて砂川さんを見つめた。

 このまま黙っていることはできない。必要ないからと切り捨てられるわけがない。

 イロハがいない今、真実を知るには、私が動くしかないのだから。

 自殺なんて認めない。他殺なら許せない。

 砂川さんは黙っていた。もう一押し。私は砂川さんを見つめながら言った。


「自衛のためです。ただでさえ、イロハがいなくなって今までより注目を集めてるせいで、訳の分からない人が多いんですよ?」

「無理なことはしないでください。あなたはもう女優としての成功を歩み始めているんですから」


 砂川さんの言葉に頷く。

 私の初主演映画はイロハの話題もあり好調な興行になっているようだった。

 それを聞かされても、私は喜べなかった。いや、興味自体が薄れていた。

 あれほど望んでいた成功なのに、一番喜んでくれるはずのイロハがいない。それだけで、私の成功は成功じゃなくなった。


「わかりました。男の特徴は?」

「イロハさんより頭一つ分くらい大きい身長で、細身。全身黒い服でしたが、小綺麗な服装だったそうです」


 立夏は目を細め、頭の中でイメージを組み立てる。

 出てきたのは思ったよりも小ざっぱりとした男の姿だった。

 イロハのファン層を思い出すも、そういう人間は少なかったように思える。


「オタクっぽくはない?」

「ガチ恋系だとたまに見るおしゃれな感じですかね。とにかく、そういう人を見かけたら早めに教えてください」

「わかりました」


 会話が途切れると室内の空気がさらに重くなった。

 私はスマホを鞄に戻し、今日の予定を思い返す。

 取材とトレーニング。いつものルーティンだ。


「ありがとうございました。最初の仕事はテレビ局でしたっけ?」

「はい。すぐに準備するので待っててください」


 砂川さんがデスクを断つ。

 それをぼんやりと見ながら、イロハのことを考えた。

 自分はどれだけイロハのことを知っていたのだろう。

 すべて知っていると思ったのに、いなくなってから知らない部分が見えてくる。

 私はどの現場でもイロハの影を感じながら、淡々と仕事をこなした。

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