反省会?(第1章ラスト)

 第二ラウンドはすぐに始まった。

「それでぇ、金言の根拠はどんな実体験からきたんですかぁ?」

「……」

 その日の晩、光莉と澄と美吹は職場の最寄り駅の居酒屋にいる。

 全室完全個室の隠れ家的飲み屋で、カップルにも職場の愚痴を零したい社畜にも人気の店である。

「外で反省会するから」と、光莉は美吹に言われるがままついてきた。

 なぜ指導係の澄ではなく美吹が誘ってきたのかは納得いかないが、酒好きな彼女としてはとにかく飲みたかったのだろう。

「えっと……この場は反省会だよね?」

「してるじゃない。あんたの人生の反省会を。あ、生ビール一つ追加で」

 左に座る澄に話しかけるも、絶え間なくオーダーする正面から下劣なヤジが飛ぶ。

「お前こそ反省しろよ。案の定、教頭に呼び出されたんだぞ。って、人の話を聞けーっ!」

 美吹は光莉に目もくれず、好物の海老の天ぷらをぷらぷらさせてご満悦にパクついている。

「ちょっとぉ、私の話こそ聞いていますかぁ、光莉さん?」

「ち、ちゃんと聞いてるよ、澄先生」

「むぅーー。今、わざと言った! それはNGです」

「ごめんごめん、澄ちゃん」

「澄ちゃん……。さんとか呼び捨てでいいのにぃ……。けどそれも、お……OKです」

 澄は一度尖らせた口をモニョモニョと緩ませて顔を赤らめる。

 学校外で先生呼びをNGワードにするのは情報漏洩を危惧しての対策で、昨今の教育業界では定着しつつあるのだとか。

 澄はそれを利用して名前で呼び合おうと企てている。

 使命感をもって教職に就いた彼女とてこの業界に不満を感じる日々だが、学校外でお酒も入れば、もはや愛しの彼と自然に名前を呼び合える。

 そんな二十五歳の乙女が飲んでいるのはトロピカルなカクテル。

 グラスを胸元で抱え、時折水飲み場を訪れた小鳥のようにチビチビと飲む。

 大事そうに飲むのは、糖質の塊はご褒美の一杯と決めているから。

「話すのはいいけど、その前に、授業はどうだった?」

 楽天家に見えるが光莉は努力家。

 課題を見つければすぐに改善に取りかかる。

「最高でした! それでどんな実体験が?」

 反省会はどこへ。光莉は苦笑いを浮かべるが、今は質問に答えるのが最善のようだ。

「面白味もない、よくある恋愛話だよ」

 光莉がそう切り出すと、澄はカクテルグラスを置いて背筋を正した。

「大学に入学して間もなく、好きな人ができたんだ」

 澄は息を呑む。

 覚悟はしていたが、彼が自分の知らない誰かを想い、グラスを傾けながら懐かしむ様子に、何とも言えない気持ちになる。

「どんな人なの? だった、でいいのかな?」

 澄の心情を察した美吹が話を繋ぐと、光莉はゆっくりと頷く。

「同じサークルの一つ上の先輩」

「好きになったきっかけは? タイプだったとか?」

「それが、よくわからないんだ」

「わからない?」

「何年も前のことだしね。話すうちに親しくなって、気づけば目で追っていたなぁ」

「男子にしては珍しいパターンね。というか女子みたい。それで、告白したの?」

「何回アタックしたことか」

「……え?」「そんなに?」

「押したり引いたり。あの手この手を使って、気づいたら二年経ってた」

「二年!?」「それって、大学三年まで!?」

 二人が驚くのも無理はない。

 光莉が女性関係で苦労するイメージがまるで湧かない。

 そんな彼が脇目も振らずに二年も一途に想う人がいたと言う。

「それで、想いは実ったのですか?」

 澄の問いかけに光莉は声を出さずに頷くも、ウイスキーの入ったロックグラスを軽く揺らす。

 ロックアイスがカランと音を立てて樽色の海に崩れ落ちた。

「一周年をどう祝おうか考えていたとき、何の前触れもなく別れ話を切り出されてさ」

 質問に答えるのと独り言の境界線で話す光莉を二人は静かに見守る。

「そういうのって互いに潮時を感じるものかと思っていたけど、俺は全く予想してなかった。言われる直前まで幸せだったんだ。哀しいほどに独りよがりだったんだ」

「「…………」」

「呆然としたよ。理由を言ってくれないしさ。それからは少し距離を置いたり、デートして雰囲気を良くしようとしたり。でも、焦れば焦るほどドツボにハマって」

 憂いに満ちた瞳でロックアイスを揺らす光莉を見て、澄は胸の奥が締めつけられる。

 一方、美吹の頭の中では話が繋がる。それで新宿で泥酔していたところを、彼は当時の代表に拾われてホストデビューしたのだ。

「光莉にとっての恋と愛は、その経験から来ているのね」

 心の内で懐かしみながら美吹が話すと、光莉は少し照れくさそうに頷いた。

 澄は聴こうか悩んでいたが、意を決したかのように尋ねる。

「あ、あの! 今でもその方を……。あ、やっぱりなんでもないです、すみません!」

 光莉は構わないと笑みを浮かべ、ロックグラスを傾けて一度唇を湿らせた。

「別れてもう四年経つのかな。それからはまぁ……色々あったのだけど」

 色々とは、失恋を機にホストとして働く日々を意味するのだが、それは口にできないと美吹にウインクする。美吹もすぐに察した。

「思い出すことはある。こう見えて引きずる方なんだ。一番の大恋愛だったから、忘れるのは難しい。けれど、今でも好きかは……わからないな」

「わからない……ですか?」

「実際に会わないとわからない気持ちってあるじゃない。別れてから一度も会っていないし、かといって無理に確かめるつもりもない。新しい恋に落ちれば勝手に上書きされるかもしれないし、今は仕事が第一。これでも結構楽しく暮らせているんだ」

 光莉はビールグラスを持って、そこに映る何とも言えない顔をした自分を見て苦笑する。

「話を聞かせてくれてありがとうございます。ところで光莉さん」

「?」

「どうして美吹さんのグラスを磨いているのですか?」

(……し、しまった! 汗をかいたグラスを見ると、つい……)

 酔っていても気になる澄。

 けれど、ホスト時代に身についた習慣だとは言えない。

 美吹もしまったと冷や汗を垂らす。

 一緒に飲むとき、昔は気になったが今は全く気にならない。癖は抜けないものだし、拭いてもらって悪い気はしない。彼の気の済むようにさせていた。

 失念していたが、光莉を助ける方法は美吹にも思い浮かばない。

「まぁ、気にしないでよ」

「気になります」

(だよねぇ……)

「俺、実は……濡れたグラスを見たら、磨かないと死ぬ病に侵されているんだ」

「だとしたら、パーティーに参加したら命足りませんよ」

((……ごもっとも))

「まぁまぁ、澄。光莉にも色々あるのよ」

 美吹は軽い調子でフォローする。

 しかし、お酒の入った澄には逆効果だった。

「どうしてこういうとき、美吹さんがかばうんですか?」

「……え?」

「美吹さんって、光莉さんが本当に困ったときは絶妙にフォローしますよね」

「そ、そうかしら?」

「そうですよ。以前も光莉さんが水商売っぽいスーツを着てきたとき、いち早くフォローしたじゃないですか。それ以来、光莉さんの着こなしのセンスは格段に上がりましたし」

(あれ? 私、良いことをしたはずなのに、どうして罪悪感が湧いてくるの?)

「ほ、ほら。私、意外と尽くす方だし?」

 冗談めかすが、普段はリスペクトしてくれる後輩も愛しき彼のこととなると話は別。 

「美吹さんが尽くすタイプなのは意外でも何でもありません。ですが、光莉さんにはより甲斐甲斐しくフランクに接しますよね。最初から名前で呼び合っているし。うまく言えないけど、お二人ってちょっと特別な関係に思えるときがあるんですよねぇ」

「そ、そう? 私たちはただのタメよ」

「ただのタメ? それなら他にもいるじゃないですか」

「他に? え~っと……」

 同期の顔が美吹の頭上に吹き出しとなってポコポコと思い浮かぶ。が、思わずブンブンと頭を振って即刻デリートしてしまった。

「ま、まぁ、光莉とはプライベートでもたまに飲むから」

 余計なことを口にしてしまった。

 もはやツッコミどころ満載、というかそれしかない。

 休日、袋いっぱいに酒や食料を入れて光莉の家に転がり込むのは、美吹の中ではたまに当てはまるらしい。プライベートと感じているのも一方的かもしれないのに。

「プ、プライベートでたまに飲んでいる!?」

 だが、澄は酸素の足りない金魚みたいに口をパクパクとさせている。

 せっかく美吹を問い詰めるチャンスなのに、ここら辺が恋愛未経験の弱さというべきか。

 気の毒に思った美吹はすかさずフォローを入れるのだが……。

「ただ飲むだけだからね! 別にやましいことはないから。あ、そうだ。澄も誘えばいいじゃない。光莉、休日は二十四時間暇よ」

「人をコンビニみたいに言うな! だいたい出かける隙もなくお前が押しかけてくるからだろ! あっ、ヤベ……」

 美吹につられて光莉も失言してしまった。

「美吹さん……も……もしかして……家に通っているんですか?」

「……へ? そ、そういうのじゃないから。たまに家で飲んだりご飯作ったりするだけ」

「……て……手料理?」

「しまっ!? いや、だからそういうのじゃないから! ほら、男性の一人暮らしって栄養偏るじゃない? ち、ちょっと光莉、あんたも黙ってないで何とか言いなさいよ!」

「無茶ぶりっ! お前が次々と余計なことを喋るから俺もついていけんわ!」

「薄情者! もう何も作ってあげないわよ!」

「フン。構わんさ。お前がいなくて俺もせいせい……ハッ!? ダメだ待ってくれ!」

「……何よ?」

「俺が悪かった。だから……」

「……?」

「せ……せめて肉じゃがだけは頼む。お前の作った肉じゃが……最高にうまいんだ」

「……光莉……」

 これを夫婦漫才と呼ばずして何と呼ぶ。

「……通い妻……肉じゃが……胃袋はもう……」

「え、いや、そんなんじゃない!……と思うんだけどなぁ~」

「たまにってどれくらいですか?」

「え、えっとぉ~……七分の二くらい?」

「毎週末っ!? ア、アハ、アハハハ、ウハハハ、ギャハハハハハハ!」

「「…………」」

「んぐんぐ…………ゴクゴク………………ウピィ~~」

 澄はさっきまでチビチビ飲んでいたカクテルを一気に飲み干し、さらには美吹と光莉のグラスを奪って逆さまになるまでグビグビグビ。そして………………壊れた。


「肉じゃかじゃかじゃかじゃ~ん♪」


 変なファンファーレとともにパンパカパーンと両手をY字に広げた謎キャラが参上。

「「……澄ちゃん?」」

「違いますよぉ~。あたいの名前は肉じゃが姫! 新妻にいづまに憧れる国からやってきたのー♪ おーら、どごがに胃袋掴まれたくて泣く独身男性はいねぇがー?」

「「…………」」

 見てはいけない。

 見たら何かが色々と終わる。

 そして目を合わせたら最期、肉じゃがにされる! 

 二人はろくろ首になる覚悟で限界までそっぽを向く。

「おーら、美吹さん。らめれすよぉ。光莉さんのプライベートを奪っちゃあ~」

「ひいっ! ご、ごめんなさい! 以後気をつけます!」

 恐れをなして猛省する美吹だが、

(週二は図々しかった! 七分の一にすれば五十パーセントの大幅譲歩よね!)

 自分勝手な反省をする初代肉じゃが姫だった。

「光莉さぁ~ん」

「な、なんでしょう?」 

「あたいはプライベートの時間を無理矢理奪われるのは気の毒らと思ってますぅ」

「で、ですよねぇ。ありがとう澄ちゃ――」

「らからぁ、今度はあたいとビジネスで遊園地行きましょうねぇ」

「……は?」

 どうにも支離滅裂だが、謎の圧に押される光莉も思考が追いつかなくなっている。

「そうれす。ビジネスなら問題ないれすぅ。あぁ、あたい観覧車乗りたいなぁ。一緒に夜景を観たらロマンチックれすぅ」

「す、澄ちゃん?」

 完全に酔っぱらっているし発想はぶっ飛んでいるが、それでも澄の真心は伝わってくる。

「てっぺんまで上がったらぁ……」

「……あがったら?」

「とっておきの肉じゃがを差し上げますぅ!」

「やっぱり肉じゃが姫!?」

「大丈夫れふよね。らってビジネスらもん」

 もはや何でもありだ。

 光莉もそれに乗じて苦し紛れに話題を転換する。

「あ、そうそう! ビジネスといえば、美吹に聞きたいことがあったんだ。俺も自分のこと喋り過ぎたし、いいよな? なっ?」

「……へ? ま、まぁ、いいわよ。それで?」

「授業に来たのって、美吹の所を訪れる生徒の様子を見るのが目的だったんだろ?」

「そうね。厳密に言うと、彼女たちと光莉の信頼関係をなんだけど」

「信頼関係?」

「仮に彼女たちの誰かが問題を起こしたら、担任になったばかりの光莉に頼れるかって」

「なるほど……。それで?」 

 話す二人はまるで素面しらふと変わらず真剣な面持ち。光莉はうつらうつらと船を漕ぐ澄にそっと体を寄せる。

 無意識のままお気に入りの居場所を見つけた彼女は彼の二の腕にもたれ、気持ちよさそうにスヤスヤと寝息を立て始めた。

「あの様子なら、光莉が尋ねたら向き合うんじゃないかしら。その際は私も協力するけど、覚えておいて。校内で最後に頼れる大人は担任なのよ」

「肝に銘じておく。いざというときに頼ってもらえるよう親近感を出しているつもりだけど、今のところ、特に気になる行動は目にしていないなぁ」

 光莉はそう言うが、実は今日の授業で一人の生徒――園生唯菜の反応に違和感を覚えていた。

 確証を得ていないので、ひとまずはスルーしておく。

「見た目だけではわからないものよ。今の高校生は周りに知られないように行動するのが上手だから」

「それでも、気づいて欲しい人にはそっとサインを出すものさ」 

 光莉はそんな経験を前職で何度もしている。

 突然仕事を辞めるなんてことは、水商売では星の数ほどあるから気にも留めなかったが、深刻な問題に対しては細心の注意を払ってきた。

 例えば、金品を奪おうとする者には予兆があった。

 その中に影斗の弟子の一人がいた。多重債務者だった。

 事件の数日前、彼はいつにもまして穏やかに語りかけてきた。

 不穏な行動を起こす前触れと察した影斗は人生捨てたものじゃないと慰めた。

 一旦いったんは凌いだが、数日後、店の売り上げに手を出して逃亡。

 だが、取り立て屋から逃げ切れないと悟った彼は自ら命を絶った。

 第一発見者は影斗と彼の弟子たち。先に見つけて保護しようと探していたが僅かに間に合わなかった。

 奇跡を信じて心肺蘇生をしていたとき、彼のポケットから紙切れが滑り落ちた。

『影斗さんありがとう。ごめんなさい』

 あの情景が、一度に押し寄せてきたおびただしい感情が、頭から離れることはない。

 もっと早く気づいてあげられたら、あんなことにはならなかった。 

 もっと深く想ってあげられたら、あんなことにはならなかった。

 今日の授業で恋愛話をしたとき、光莉はさりげなく唯菜と目を合わせた。

 微かだが彼女の瞳は揺れ動いた。それは恋心などとは違う、弟子を想起させる生気の衰えた瞳。彼女自身気づいていないかもしれないが、あれの意味するところは……。

「頼りにしているわよ、光莉。でも、私たちもいることを忘れないで」

「そうれすよ~。あたいらも頼ってくらさいねぇ、光莉さ~ん。ムニャムニャ」

 回想していた光莉を呼び覚ます二人の声。

 図々しいけど頼もしい相棒と酔い潰れても心優しい指導係に彼は目を細めた。


 その後、4組は始めから光莉が担任だったと思えるほど明るく和やかな雰囲気になっていった。

 その中でも要注意人物を注視し、とりわけ唯菜の行動や表情の変化に着目した。

 だが、真相には辿り着けない。

 彼女は相変わらず見た目には良好な関係を築いているし、ともに行う放課後の清掃でもクラスメイトが気づかない所まで丁寧に磨き上げる。まるで心の隙を見せないように。

 気になることがあるとすれば、澄によると、唯菜は生徒会にはあまり顔を出していない。

 ただ活動には支障をきたさず、陰で支えている部分も多いのだとか。

 配慮の行き届いた行動はさすがの優等生ぶりだが、それだけに揺れた瞳の理由を汲み取れずにいた。

 

 梅雨入りから一週間。一日も絶えない今年の雨は雨期の皆勤賞でも狙っているかのようだ。

 じめじめと纏いつく湿気に汗拭きシートがフル稼働。

 花より団子ではないが、窓辺の棚に飾られた紫陽花よりもシトラスや石鹸といったデオドラントの香りが教室に充満する。

 生徒たちは汗でべたつく肌にさらさら感を与えることで明けの見えない梅雨をやり過ごす。

 暦の上ではそろそろ夏至だというのに、太陽も分厚い雨雲に覆われては意味をなさない。


 最終下校時刻が過ぎ、光莉は校舎の巡回当番を終えて薄暗い職員玄関に戻る。

 傘を閉じると、美吹の姿が目に入った。壁にもたれて光莉の帰りを待っていたようだが、彼女は濡れているわけでもないのに、しとしとと降る雨に溶け込んでいた。

「光莉、ちょっといい?」

 いつになく固い表情をしている彼女を見て、光莉は静かについていく。

 そして、小会議室に入るなり彼女はこう言った。

「園生唯菜が――――自殺予告をしたわ」

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