夜叉天
「おいコラ! 全校放送でフルネーム&実年齢公表するのやめろよ
保健室に入り生徒がいないことを確認した後、嫌味を込めた呼称で猛然と抗議する光莉。
だが、ティッシュ箱を顔面に投げつけられてあえなく撃沈。
「学校でその名を呼んだら承知しないわよ」
灰色のオフィスチェアに腰かけ、白衣から覗くスラリとした脚を組んだまま、
いわずもがな養護教諭であるが、スクールカウンセラーも兼任するほどに優秀な女性である。
容姿もモデル顔負け。
診察衣を纏って歩くだけで妖艶さを放てる彼女は、大学時代に医療系ならではの診察衣のミスコンにおいて満票で優勝した伝説をもつ。
その際審査員長から「黒髪ロングの天女が纏う白衣は、もはや作業着ではなく羽衣だ!」と評されたのだとか。
この学校でも人気は健在で、可愛い派は澄、美人派は美吹と生徒の人気を二分する。
一方、教師の間では一概にそうともいえない。
歯に衣着せぬ物言いに、若い女性教師から姉御肌と慕われているが、男性教師はしりごみしている。一名の例外を除いては。
「……わかったよ。で、何?」
光莉は美吹に対してはひどくフランクだ。
周りは彼女をクールビューティーともてはやすが、クールではなくクルーエル(残虐な)の間違いだと心底思っている。
「はいこれ。あんたのクラスの健康調査書。それと、これは健康上留意すべき生徒の一覧。緊急対応が生じる子もいるからすぐに目を通しておくように」
それは美吹も同じ。
イケメン部類に属する光莉を相手にノー猫かぶり。
「おお、気が利く。まるで養護の先生みたいだ」
「ハァ……。あんた私のことをなんだと思ってんのよ?」
「白衣が好きなノリのいい姉ちゃん」
「ただのアホでしょそれ!?」
「まぁ、これだけJKのこと知り尽くしているんだもんな」
「光莉ぃ。これ、おいしいよ♪ はい、あ~ん♡」
「もがっ!? 注射器ぶっさしたプチシューよこすなっ!」
互いに扱いがぞんざいなのは、二人の間にちょっとした歴史があるからだ。
才磨女学院の内定直後、光莉が保健室に健康診断結果を提出しに行ったときだった。
「……影斗?」
「……夜叉天? うわ久しぶり! 急に連絡よこさなくなったからマジで心配ぐはっ!」
「せめて
偶然の再会だったわけだが、二人の間に多くの呼び名があるのには経緯がある。
大学時代、ミスコンで優勝した美吹には取材やキャンペーンの仕事が次々と入ってきた。
一日店長系はよくある依頼だったが、その中に一日キャバクラ嬢という企画があった。
美吹はそこで味を占めて本格的にアルバイトを始めた。天夜とはつまり源氏名である。
味を占めたといっても、キャバクラ嬢は断じて甘い職業ではない。
お酒に付き合いながらも常に細心の注意を払い、客や管理職や同僚キャバ嬢の様々なハラスメントに耐えつつ笑顔を振りまく体力やメンタルは並大抵ではない。
だが、彼女からすれば良いこと尽くし。
まず、格段に時給が良い。看護系の大学の学費は高いが、奨学金の返済が一気に加速した。
次に、美吹は無類の酒好きで酒豪。客と適当に話しながら大好きなお酒が飲める。
しかも飲めば飲むほど高額のバイト代が手に入る。
世の中にこんなにうまい話があっていいのだろうか。
そう思う美吹には天職だったのだ。
学業が忙しく月間ナンバー1にはなれなかったが、勤務日の売り上げは断トツトップ。
彼女には熱烈なファンが多かった。
お金さえ払えばミスとのひとときを独占できると下心丸出しで来店するわけだが、彼女の飲むペースは凄まじく、それに合わせてノックアウトする者が続出。
いつしか天夜を文字って
天夜叉とはインドの神話に出て来る鬼神のこと。
要するに、天夜は飲ませの鬼だった。
それでもM気質なファンは、潰されては悦楽の境地に至る行動をリピートしていた。
天夜と影斗が知り合ったのは、互いに付き合いで参加したキャバクラ嬢とホストの飲み会。
影斗も酒は強い方で、周囲は酔い潰れ、気づけば天夜とサシ飲み状態。
聞けば年齢もタメ。話の波長も合い、以後二人で飲み歩くようになった。
飲む度に天夜が好物の天ぷらをオーダーしていたから、影斗が彼女のことを天夜叉改め、夜叉天と呼ぶようになった。ありそうでない天ぷらだ。
そんな日々も天夜が大学を卒業し、就職したことで疎遠となった。
教職は世間的に固い部類の職業。キャバクラで働いていた過去が知られたら面倒しか起こらないのは想像に難くない。
百害あって一利なし。
天夜はその頃の知り合いの連絡を全て絶った。
実をいえば、影斗は気兼ねなく飲める唯一の相手だったから最後まで悩んだ。
しかし、影斗は光莉として再び彼女の前に現れた。
ならば互いの過去は二人だけの秘密にする。
そうすればまた飲めるとの開き直りで、再会後二人はしょっちゅう飲んでいる。
これは光莉としても非常に助かっている。
水商売と教職業の常識は著しく異なるため適応するのは大変だが、美吹は経験を基に色々とサポートをしてくれる。
光莉が水商売寄りのスーツを着て来たときなど、見かねた美吹はすぐに着替えさせ、さらには光莉の住むマンションに押しかけて、職場で着られるものとそうでないものを分別してくれた。
それがきっかけで美吹が自宅に転がり込むようになったのだが。
彼女は週末や休日になると、買い物袋いっぱいに食材や飲料を詰め込んでホクホク顔でやって来る。
ビール、缶酎ハイ、ワイン、日本酒など雑多にアルコールを詰め込んで。
有難いことに彼女は料理の腕を振るってくれるし、お礼に作るカクテルは美味しく飲んでくれるし、同世代ならではの話でも盛り上がれるからリフレッシュにもなる。
まぁ、あまりにも頻繁に来るものだから、もはや押しかけ女房ならぬ押しかけ酒豪ではある。
こんな風に、再会数カ月にして既に旧知の仲みたいになっている。
「そうそう、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「生徒のカウンセリング情報は、たとえ光莉であっても話せないわよ」
思考を先読みして、美吹はピシャリと言う。
彼女はスクールカウンセラーとして心に闇を抱えた生徒の対応も行っているため、情報を聞き出したがる担任はよくいる。
「わかってる。だから、これだけ答えてくれればいい」
「?」
「うちのクラスで、よく美吹のところを訪れる生徒っている?」
まわりくどい言い回しに、美吹はフフッと笑う。
プライバシーを守るため、情報は本人の許可なくしては、担任にも管理職にも保護者にも口外しないが、これならオブラートに包むことができる。
光莉はよく保健室に訪れる生徒をチェックすれば、内容はわからなくとも、消去法でカウンセリングを受けている生徒をあぶり出せる。
美吹がルールを遵守できる方法で尋ねたのだ。
彼女は保健室の来室記録を見ながら、2年4組の生徒をピックアップする。
そして、少し間をおいて一人の名前を挙げた。
「園生唯菜」と。
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