第3話 山岸研究所
これであれば、
「ロボット工学三原則」
という問題は解決する。
人間の脳がロボットに組み込まれているのだから、ロボットは、
「人間の理性で動くから、ロボット工学三原則という問題は発生しない」
といえるだろう……。
だが、果たしてそうだろうか?
ここが厄介なことで、
確かに、人間は、個人的に、人間それぞれにモラルを持っているだろうが、それは、
「平等な立場」
という意味であれば、ありえることである。
何といっても、
「人間は太古の昔から、戦争を繰り返している」
ということである。
「自分の私利私欲のために、同胞を殺すのは人間だけだ」
と言われている。
もっとも、
「他の動物が何を考えているか?」
そもそも、
「他の動物に、思考能力なるものがあるのか?」
ということが分かっているわけではないので、
「そんなことをいわれても、どうしようもない」
ということである。
だが、
「理論的には、そういわれている」
ということだ。
それを正しいことだと考えると、
「人間ほど、恐ろしい動物はない」
ということになる。
だからこそ、
「人間はロボットを恐れる」
ということだ。
自分たちが、
「理不尽な動物」
という意識があることで、
「人間は、人間を恐れる」
ということである。
「何をされるか分からない」
という。
それが戦争においての、
「残虐行為」
ということであり、
「自分に与えられた権利」
という思いが心のどこかにあるのかも知れない。
特に、
「いつ殺されるか分からない」
という立場になれば、
「何をしても許される」
という感覚になるのは、
「感覚のマヒ」
ということであろう。
痛みを感じた時、あまりにも痛かったり、苦しかったりすると、感覚をマヒさせたり、気絶させることで、少しでも、痛みを和らげようとするのだろう。
それが、
「殺人や残虐行為に対しての感覚をマヒさせる」
ということになるのだろう。
そう考えると、
「人間が、サイボーグになってしまう」
ということは、
「自分は人間よりも強い」
ということになるだろう。
「頭の中はそのままの人間であり、身体は強靭になったわけで、老朽化しても、別の身体に脳を移植すればいい」
ということになる。
もちろん、
「脳は老朽化しない」
ということが前提ではあるが。
それを考えると、
「サイボーグというのは、まさに、フランケンシュタイン症候群と同じではないか?」
といえるであろう。
いや、
「人間というものが、世の中での最悪な種族だ」
ということになると、サイボーグというものが、
「一番恐ろしい」
ということになるであろう。
何といっても、
「人工知能というものは、人間が作ったものである」
ということで、
「人間以上ではない」
ということになる。
だから、フランケンシュタイン症候群を解決することは、
「作るのは、人間だ」
ということで、
「絶対に解消されることではない」
ということだ。
「今でも世界のあちこちで、戦争というものが行われている」
ということである。
それこそが、
「人間というものだけが、私利私欲のために、同胞を殺す」
ということの証明のようなものだろう。
他の動物がどうであっても関係ない。
「人間が、人間を殺す」
という事実に変わりはないからだ。
しかし、この考え方もおかしなもので、
特にキリスト教などの戒律として、
「人を殺めてはいけない」
ということで言われているが、実際に戦争というものを行っている。
もっとも、
「自衛のため」
ということであれば、仕方がない部分もあるのだろうが、
「表に見えている部分だけ」
というものを考えれば、
「どこまでが、納得できることで、どこからが欺瞞なのか?」
ということである。
どんな理由があるにせよ、虐殺が行われている以上、
「すべてにおいて正しい」
とは言えないだろう。
人間というのは、
「妥協する種族」
ともいえる。
それが免罪符というものであり、自分独自の理屈ということで、結果として、
「最終的に、私利私欲」
ということになるのだろう。
そういう意味でいけば、
「ロボット工学三原則」
というのも、
「堂々巡りを繰り返す」
ということが、
「開発を不可能ならしめる」
ということになるのだろう。
そして、これが、
「倫理やモラル」
ということでの、
「ロボット開発を不可能ならしめる」
というものである。
もう一つの、
「フレーム問題」
というのは、
「モラルや倫理」
という曖昧なものではなく、
「もっとリアルな発想」
というものであろう。
この、
「フレーム問題」
というのは、あくまでも、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
という発想である。
というのは、
「世の中何が起こるか分からない」
という発想から、
「パラレルワールド」
という発想もあるということであった、
また、前述の、
「ドッペルゲンガー」
という発想であるが、
「この問題を解決する」
という意味でも、
「パラレルワールド」
という発想が必要だと言われていた。
今の時代の人間が、
「未来を分からない」
という発想であれば、
「パラレルワールド」
という発想は、どこまで信じていいのか分からないといえるだろう。
「過去に戻った人間しか、未来を変えることができない」
というのは、あくまでも、
「皆が、未来に何が起こるか?」
ということが分かってのことではないだろうか?
その時の選択が
「正しかったのか」
それとも、
「間違っていたのか?」
ということを考えると、それこそ、
「歴史が答えを出してくれる」
という言葉を、歴史ものの映画などでよく聞くのだが、考えてみれば、
「それも、どう解釈していいのか?」
ということになる。
というのも、
「答えを出してくれたとしても、歴史上の何が正解なのか?」
ということを誰が判断するのか?
ということである。
「未来に起こることが、すべて正しい」
というのであれば分かるが、そうではない。
「未来に起こることは、すべてが事実だ」
ということであれば分かるが、
「それが、真実なのかどうか?」
ということも言えるのかどうかである。
つまりは、
「真実が、歴史の答えなのか?」
ということになる。
確かに、間違いないこととしては、
「事実だけが間違いないことであり、それすら、過去に戻った人間が変えてしまった歴史だ」
ということであれば、
「事実というものが、本当に歴史の答えなのか?」
ということになる。
何といっても、
「誰も知らない」
というのが未来であり、しかも、自分に関係のないことであれば、たとえ真実だとしても、
「信じろ」
という方が無理なのだ。
ただ、
「未来に何が起こるか分からない」
とはいえ、
「判断を下さないわけにはいかない」
ということである。
だから、フレーム問題というものが、
「次の瞬間に起こることを、ロボットは判断できない」
ということで、
「ロボットの人工知能は堂々巡りを繰り返すことで、動けなくなってしまう」
というのが、
「フレーム問題」
ということである。
しかし、
「人間は、このフレーム問題を解決できている」
というのだ。
しかも、
「フレーム問題」
というのは、
「人間は無意識に行っている」
ということであった。
例えば、
「朝家を出る時、右足から踏み出すか、左足から踏み出すか?」
ということを、意識することなく行っている。
これに対して。
「利き足から踏み出すのが普通じゃないか?」
ということで、
「フレーム問題とは関係がない」
ということをいうだろう。
しかし、それは、あくまでも、
「本能」
というものがあってのことであり、
「フレーム問題」
というものが、
「本能」
というものと関係があると考えることが
「人間を含めた動物は、フレーム問題を意識せずに行えている」
ということになる。
ということは、
「ロボットに、本能という機能が含まれていれば、フレーム問題が解決され、自分で判断できる人工知能を作ることができる」
ということになるのではないだろうか。
ただ、これも、本能というものが、
「判断するための意識」
だということになれば、結局は、
「堂々巡りを繰り返す」
ということになるだろう。
歴史というものが、
それを考えると、
「ロボット開発というものは、タイムマシンの理論を解決できないと、できることではない」
という発想になるのではないか。
つまり、
「次の瞬間」
という発想が、
「時系列」
ということに繋がっているからだ。
そして、その時系列として、
「未来のことは、どの瞬間から見た未来であっても、タイムスリップという発想から、時空を超えるということが解決できなければ、結局は、堂々巡りを繰り返す」
ということであり、
「パラレルワールド」
という問題も解決できないということになるのだ。
山岸研究所というところは、前後当初、そういう研究をしているところであった。
それは、実は、
「ロボット工学三原則」
というものが、提唱される前であり、
ただ単に、
「ロボット開発」
であったり、
「タイムマシンの研究」
というものを行っているところで、当時は、
「一般には、公表されていない」
という研究機関だった。
時代が、
「もはや戦後ではない」
と言われ、
「高度成長時代」
というものに向かってくると、他の大学や研究機関でも、似たような研究がされ始めたことで、
「やっと、公表できる」
ということになったのだ。
ただ、これは、
「山岸研究所」
だけではなく、似たような研究をしているところもあり、
「うちらけではない」
ということで、やっと、公表できるところが出てきた。
だから、
「山岸研究所が公表した時、他でも公表したところ」
というのは、
「似たような思いでいたところであろう」
と推察できる。
科学者というと、
「自分がパイオニアでないと我慢できない」
ということで、
「自分が研究している」
ということを明かせないということは、
「それだけ、精神的にきついことではないか?」
ということであった。
つまりは、
「やっと公表できるようになった」
ということで、
「いよいよこれから」
と、山岸博士は感じるようになったが、それも、そんなに長い時期ではなかった。
公表してから、五年もしないうちに、研究対象が、大学の方針で変わったのだった。
「五年があっという間だった」
という感覚を、山岸博士は持っていた。
これは、
「集中してことに当たっていると、時間があっという間に過ぎる」
というもので、
「これは無意識に誰もが思っていること」
ということで考えていて、それ以上に、
「自分が感じていることは、まわりの皆も感じていることであろうが、それはきっと無意識のはずなので、その間に、自分がそのメカニズムを解明したい」
と考えていたのだ。
無意識に感じるということは、
「世の中において、一番本能に近いものだ」
と考えていた。
本能というものが、動物にもあり、さらに、
「動物の方が人間よりも、発達している」
ということを考えると、
「本能というものを発達させようとすると、今度は、知能が後退してしまい、人間の優位性というものがなくなってしまうのではないか?」
と考えると、
「本能というものは、アンタッチャブルである」
と思えて仕方がないのだった。
それは、
「研究所員全員の一致した意見」
ということであり、
「この発想は、同じような研究をしているところでは、当然のこととして考えられていることであろう」
と思えるのであった。
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