(新)大日本帝国
森本 晃次
第1話 建設予定地
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年3月時点のものです。 ただ、今回のお話は、設定としては、世紀末前後ではありますが、時代考証はフィクションであり、後年に起こった事件などが、前世紀に起こったかのごとく描いてしまっていることもあるので、そのあたりは、フィクションということで、ご了承ください。
F県K市に、山岸専門病院というところがある。何を専門にしているのかというと、精神科の病院で、しかも、幼児から児童に掛けての患者が多いということだ。
もちろん、他の患者も受け付けてはいるが、基本的には、
「幼児で、精神疾患がある」
という患者が最優先で、特に、
「幼児」
というところに特化しているということで、少なくとも入院患者は、
「幼児に限られている」
ということであった。
だから、幼児以外で精神疾患を持った患者は、他の病院への紹介状を書くことで、賄っている。そういう意味で、
「幼児の精神疾患がある」
というところに特化した病院なのであった。
F県のK市というところは、
「海も近く、山間に位置している」
ということで、人が住める範囲はある程度限られているが、その分、山間に開発された部分は、昔から、
「高級住宅街が広がっていて、戦前などは、財閥や、爵位を持った人たちの別荘として使われていた」
ということであった。
一時期、そこを買い取った人たちが別荘地ということで利用していたが、老朽化も激しく、立て直しを余儀なくされると、さっそく、そこを国家や、大学が買い取り、病院や研究所を作ったのだ。
昔で言えば、
「サナトリウム」
といえるような施設であったが、さすがに、今の
「日本国」
であれば、
「サナトリウム」
のような使い方はできないであろう。
サナトリウムというと、
「基本的には、結核のような伝染病を持っていて、助からない人を隔離するところであった」
今の時代には、結核というと、以前のような、
「不治の病」
というものではない。
戦後になると、
「ストレプトマイシン」
のような特効薬が開発され、それまでは、長年、
「不治の病」
とされてきたものが、今では、
「手術をしなくとも、投薬で治る」
という時代になってきて、久しいということである。
もちろん、今の時代にも、
「不治の病」
と呼ばれるものも多く、
「余命半年」
などと宣告を受ける人もいて、そんな人のために、
「余命をいかに過ごすか?」
ということで、
「ホスピス」
などと呼ばれる施設があったりする。
要するに、
「人間、何が幸せか?」
ということになるのだろうが、今の時代であれば、
「長生きできたからと言って。決して幸せだ」
というわけではない。
むしろ、
「ある程度の適当な時期で、死ぬのが一番いい」
ともいえるだろう。
その、
「適当な時期」
というのがいつなのか?
それが問題であるが、誰にもその人の寿命というものが分かるわけではない。何といっても、
「年を取れば取るほど、姥捨て山状態」
ということになるだろう。
昭和の時代であれば、
「定年である55歳を過ぎれば、十分な年金が国から与えられ、悠々自適な老後を楽しめる」
というものであったはずだ。
中には、
「夫婦で世界一周旅行」
などという夢のような話が、実際にあったりした。
国鉄時代などでは、
「イベント列車」
での、フルムーンや、定年退職者向けに、寝台列車での旅が、数十万円という旅行でも、すでに、
「半年先まで、予約でいっぱい」
などということもあったくらいだった。
しかし、今の時代になると、そんな甘い時代ではなくなってしまった。
「明日の生活にも、困窮する」
というほどであり、
「定年というものが、60歳」
という会社がほとんどで、しかも、
「年金は、65歳からが、一般的な普及」
ということになる。
その年金も、
「定年退職までもらっていた給料」
というものの、半分にも満たない。
ということで、
「定年退職になっても、働かなければ、年金だけでは食べていけない」
という時代になったのだ。
しかも、寿命も、延びてきたので、
「長生きすればするほど、惨めな人生」
ということになるのであった。
もちろん、それは、
「生きていくという意味」
というだけで考えた場合であるが、中には、
「趣味を持っていて、その趣味にお金がかからない」
ということであれば、
「生きていくことが惨めではない」
ということになるだろうが、昔のような、余裕がないのは同じことで、
「やはり、人生はお金がなければ、惨めだ」
ということに変わりはないということであろう。
ただ、
「病衣というのは、年を取ったから罹る」
というものではない。
昔であれば、
「高齢者が罹る病気」
と言われてきたことも、今では、
「若年性」
と呼ばれる形の病気になっていたりする。
「若年性アルツハイマー病」
などと言われるものであったりと、精神疾患関係の病気は、
「若い頃に発症」
という場合が多い。
そして、若い頃に発症するので、治らない限り、
「長年にわたって苦しむ」
ということになり、病気というものが、
「年齢に関係ない」
と言われるようになったのかも知れない。
中年くらいになった人が、
「今まで、風邪一つ引いたことがない」
と言って、自慢をしている人もいるが、昔であれば、
「一つの自慢」
というだけのことであったが、今では、
「そんなことで自慢しても」
ということで、若い人はバカにするかも知れないが、それ以上に、
「病気をしていないということは素晴らしい」
と、そのことを額面通りに受け取り、
「素晴らしい」
と感じることであろう。
それだけ、最近の病気は、
「いつ、どこで、誰がなるか分からない」
ということでもあり、特に、数年前に起こった、
「世界的なパンデミック」
というものを忘れていない人は、その思いを、
「真摯に受け止めている」
ということであろう。
ただ、人間というのは、
「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」
と言われるように、
「いくらその時、社会問題として、不便な生活を強いられていたとしても、直接的に被害のなかった人は、国家がランクを下げた時点で、危機は去ったと勝手に思い込み、まるで、何もなかったか」
ということになるというものであった。
特に、若い連中になればなるほど、その傾向は強い、確かに、パンデミック下では、自分たちが一番損をしたと思っているからか、余計にその反動があるのかも知れない。
それだけ、
「精神的に弱い」
ということになるのだろう。
昔であれば、
「弱い自分が恥ずかしい」
と感じるのであろうが、今の人たちは、すべてをまわりのせいにしてしまう。
もっとも、確かに、まわりのせいなのかも知れないが、それをいいことに、
「まわりが悪い」
ということを免罪符にして、何もしてくれない政府に対して、
「あいつらが悪い」
というだけの連中も多いだろう。
そんな、
「たった、数十年という間で、まったく時代も、人の考え方も変わってしまった」
ということになるのだろうが、それがいいことなのか悪いことなのか、正直分からない。
ただ、時代は、どんどん過ぎていき、若い人もいずれが、年を取る。
その間に、
「若い頃に自分が何を考えていたのか?」
ということを
「覚えているのかいないのか?」
ということが、いかに影響するのかということを考えさせるのであった。
K市というところは、F県の県庁所在地であるF市と接しているところで、
「F市のベッドタウン」
ということで発展してきた。
元々は、戦後の混乱期には、
「米軍キャンプ」
というものがあったことで、昭和の頃までは、
「進駐軍向けのスナックやバー」
というものが結構あったということである。
すでに昭和の末期頃までに、進駐軍の使用していた建物などは、国家に買い上げられ、「公園として整備されたり、学校や住宅ができたりと、どんどんベッドタウンというものの様相を呈してきた」
といってもいいだろう。
このK市というところは、前述のように、
「海も近いし、山もある」
ということで、
「最初は、海に埋め立て地を作って、開拓する」
ということであったが、それには、市民からの反発があり、結構大きな問題となり、それが市長戦というものに影響をおよぼすということで、結局、
「埋め立て派が敗戦する」
ということで、
「埋め立ては、一時保留」
ということになった。
今から思えば、あそこを埋め立てられると、その場所に、政府が、
「ごみの再処理工場の建設」
ということを見積もっていたようで、それを聴いた街の人たちは、
「危なかった」
と考えるのであった。
実際に、
「埋め立て擁護派」
という連中は、
「ここに、ごみ処理場ができる」
ということを分かっていたようだった。
「なぜ、それを皆に言わなかったか?」
ということであるが、
「きちんと説明していれば、選挙で勝てたかも知れないのに」
と思うのだが、やつらにはそれを言えない事情があった。
というのは、
「これは、金が絡む談合で、一種の贈収賄が絡んでいる」
ということであった。
だから、
「最初から、ごみ処理に絡むこと」
ということを言っていれば、さらに反対派が増える可能性もあり、さらに、
「贈収賄の可能性」
ということで、
「公安が動く可能性が高い」
と考えられたのだ。
だから、
「ごみ処理所の件は、内密に」
ということであった。
埋め立てというものがなくなったことで、
「自治体は、少なからず入ってくる」
と見積もっていたお金が入ってこないとなった時、
「別の手段を講ずる」
ということにしないとまずかったのだ。
そこで次に考えられたのが、
「山の上に、大きな池がある」
ということが特徴のK市ということで、
「これを利用しない手はない」
と考え、
「ここにレジャーランドを誘致する」
という考えがあったのだ。
そこで、F県でも大手のイベント会社と話し合いがもたれた。
本社は、F県であるが、実際に規模的には、
「首都圏に本社があっても不思議がない」
というくらいの大きな会社だった。
ただ、F県に本社があるというのは、
「元々の発祥がF県だ」
ということで、そのこだわりからか、
「本社移転の計画はない」
ということで、ずっとF県に本社を置いていた。
つまり、
「老舗であり、地元の権力者」
ということで、F県としても、その力には、傾頭するしかなく、それこそ、
「頭が上がらない」
という状況だったのだ。
そして、
「十中八九、その場所にレジャーランドができる」
というウワサも十分に広がっていて、その場所はすでに立ち入り禁止としていて、そこには、
「レジャーランド予定地」
ということで、立て札も立っていたのだった。
それなのに、
「この場所を、白紙に戻す」
ということを、県議会で決定したことで、世間は騒然となったのだ。
まったくの、
「寝耳に水」
ということだった。
県議会の決定を、
「K市の市長も知らなかった」
ということが話題となり、
「どこかからかの大きな力が働いたのではないか?」
と言われた。
もちろん、イベント会社は、
「さぞかし、悔しがっているだろう」
ということであったが、実際にはそうでもなかった。
むしろ、他の市にその誘致の土地の候補があったことで、
「第一候補が崩れただけで、痛くもかゆくもない」
ということだったのだ。
「K市が誘致したところは、必ず最後にはひっくり返る」
というウワサが流れ、K市としては、あまりありがたくない汚名を着せられたということであった。
だが、
「捨てる神あれば、拾う神在」
ということで、今度は、水面下で
「池のある場所」
というものの利用が決定したのであった。
それまでは、いつも、
「大々的に宣伝していたのがいけなかったのか?」
ということwp言われたから、
「余計に、最初から宣伝しなかったのか?」
ということであったが、そうではなかったようだ。
ただ、今回は、すでに契約もすんでいて、すでに、土地は、
「レジャーランド建設予定地」
として、立ち入り禁止だった時から、ずっと同じ立て看板があり、誰も使用していなかったことで、すぐに、整地に入れたということであった。
もちろん、
「建設予定に問題がないか?」
ということで、事前に検査は行われていた。
「ここなら大丈夫」
というお墨付きができていたということで、計画は実にスムーズに進んだのであった。
そして、
「この場所に何が建つのか?」
ということが分かったのは、
「建設が始まってから半年が経ってからのことだった」
ということである。
半年が経つと、
「池全体が立ち入り禁止」
ということであったものが、そのうちの半分近くは立ち入りができるようになり、それまでは、何もなかったものが、立ち入りができるようになったところは、公園はできていて、
「まず最初に、整備が行われ、公園建設ということでの土地利用」
ということが分かったのであった。
もちろん、公園だけではなく、
「他にも建設が行われている」
ということが分かったのだが、
「それが何なのか?」
ということが分かった気がしたのだ。
公園として開放されると、徐々に利用する人も増えてきた。
「遊園地のようなレジャーランドではなく、自然公園という施設なので、利用客は限られていた」
と言ってもいいだろう。
「家族連れで、自然を楽しむ家族」
であったり、
「デートに勤しむカップル」
などが多かった。
そういう意味で、当時は流行った、
「お見合いイベント」
などを、バラエティー番組として企画することが多かったので、
「この公園を宣伝も兼ねて利用する」
ということで、結構何度か利用されたものだった。
そんな、イベントに使われることが多かったこの場所の奥で、
「何かが建設されている」
ということであっても、誰も気にはしないだろう。
これが、最初から立ち入り禁止ということで、
「秘密裡な建設」
ということであれば、
「怪しい」
と思う人がいても無理はないだろう。
特に今まで、
「建設予定というのが、目前になって、計画が崩壊する」
ということに二度も見舞われていて、結局、
「できたのは、公園だけだ」
ということになったのだから、
「これもしょうがないことだ」
と言っても無理もないことではないだろうか。
そんな建設予定地というものを、
「曰く付きの場所」
ということで問題とするのであれば、
「これもしょうがないことだ」
と最初は、K市の観光課でも、諦めていたが、そこに、
「ツルの一声」
ということで、名乗りを挙げたのが、
「国家」
だというのは、救い主としては、余りあるくらいだったに違いない。
「国が買い上げるということですか?」
と話を持ってきた人に訊ねると、
「まずは国家が買い取った土地を、国有地としておいて、そこには、ある大学の施設が建つことになるんです」
というのであった。
「その施設というのは?」
と聞くと、
「一種の研究所のようなところですね」
というではないか?
「研究所というと、何の廃棄物で、市が覆われるなどということはないでしょうね?」
と訊ねると、
「それは大丈夫です。その場所は、研究所というよりも、病院と言ったイメージが強いかも知れないですね。ただ、その患者というのが、精神疾患を持った人であるというところが、特記することであり、敬遠されるのですが、K市では、特に、社会貢献ということを旗印に挙げているようですので、我々としても、誘致に値すると思っているんですよ」
というではないか。
「なるほど、我々としては、市民に危害が加わらなかったり、平和が脅かされるということが一番困るわけです」
と言った。
あくまでも、
「市民の安全と平和」
ということを前面に出しているわけで、ただ、これは当たり前のことである。
「自治体経営」
というものが、もちろん、
「市民の安全と平和」
ということは、
「基本中の基本」
ということであり、それをおろそかにしてしまうと、
「自治体経営は、瓦解する」
と言ってもいいだろう。
それを以前の市の上層部は怠ったことから、
「せっかく計画したことが寸前になって崩壊した」
ということになるのだろう。
それを今の上層部は、
「学習した」
ということで、
「今回の計画は、順調に進んでいる」
ということだったのだ。
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