○終章
<置鮎 利紗>
まだ夏とは言えず、けれどもその訪れを感じられるような、そんな季節。
一日変わるだけで保健室では夏の気配を、つまり、暑さを感じていた。
「お姉様ぁ。暑すぎてむしろ熱いですよぉ」
「だったら離れなさいよ。後、誰がお姉様か」
自分の体から、莉里の額を押し返す様にして引き剥がす。
いつも通りの雑な扱いだが、後輩はかなり上機嫌だった。
「何よ。気持ち悪わね」
「辛辣すぎません? 利紗先輩。でも、久しぶりに朝からじっくり先輩とイチャイチャ出来るので、ボクは全く気になりませーん!」
「久々って、二日ぐらいで、ちょっと! だから、暑いならくっつくんじゃないわよっ」
そう言うが、手に込める力はそこまで強くない。
私も今朝から、非常に機嫌が良かった。
その理由はもちろん、莉里が保健室にいるから、ではなかった。
……だって、百合しおりさんが活動を再開(・・)するんだもんっ!
自信をなくして活動停止の報告をしたものの、何やらプライベートで思う事があったらしく、また新しい曲ができ次第アップするという告知が昨晩あったのだ。
その動画を見た時は思わずガッツポーズと雄たけびを上げてしまい、お母さんからめちゃくちゃ怒られてしまった。
でもその反応は、致し方がないというものだ。
嬉しすぎて、もはや言葉にならない。
そして百合しおりさんが復帰したという事で、私も昨晩から、御雪サリアとしての活動を再開する事にした。
後、きつく言い過ぎた《こりのゆに》さんにも、謝った。
そうしたら――
『いやいやいや謝るのは拙者ですぞサリアたん! 我が生きがいの帰還に、拙者はこの感動をどういった言葉で綴ればいいのかわかりませぬ! 夢? これはひょっとして拙者の都合の良い夢でござるか? 夢ならばお願いだから一生醒まさないで下さいませ! お願いいたします、神様仏様サリア様ッ! ああ、百合しおり殿にもこのクソデカ感情による感謝のコメントを書き込んでこねば』
「いや、めっちゃ言葉喋るじゃん。後、お願いだから百合しおりさんに迷惑かけないで」
……本当にお願いだから、明治を見事退けた梨湖先生の爪の垢を飲んで欲しい。
いや、むしろ私が飲みたかった。
「少し時期的に早いですが、冷房を入れましょうか」
そう言って立ち上がった梨湖先生は、心なしか機嫌が良さそうな気がした。
顔色も昨日と違って格段に良くなっており、むしろツヤツヤしている気がする。
クールな凛々しさ全開の先生も、相変わらず素敵だった。
現実とネットでの推しがいる日々が戻ってきて、私の機嫌も天井に張り付いて降りてくる気配がない。
その一方で、百合しおりさんの動画の中で、気になる事があった。
早期復帰を決めた理由について、彼女はこんな事に触れていた。
……やっぱり直接歌を聞いてもらいたい人がいるからまた歌います、って、羨ましすぎるわね、その人。
本当に、どこの誰なのだろうか? その幸せ者は。
……莉里を生贄に、百合しおりさんの生歌を聞ける権利、買い取れないかしら?
「あっ、利紗先輩、今ボクの事考えてましたね? 嬉しいですっ!」
「そうね。足の悪い梨湖先生に冷房を入れさせるだなんて、気が利かない奴って思ってたわ」
「先輩も人の事全く言えませんけど、とりあえず二之夕先生の代わりに冷房つけてきますねっ!」
そう言ってバタバタと、莉里が梨湖先生の後を追う。
その様子を見ながら、私は嘆息した。
……せっかく私が教室に戻れるよう、先生が明治に条件を付けてくれたけど、まだ当分このままで――
「二之夕先生、冷房はガン回しの方が絶対いいですよっ」
「ここの冷房は寒すぎるので、ギリギリぐらいが良いと私は思うんですが」
わちゃわちゃし始めた会話に苦笑いを浮かべ、私は二人の方へと向かっていく。
やっぱりまだ、私にはこの場が必要だと、そう思えた。
両片思いの三角関係 メグリくくる @megurikukuru
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