04.霧に隠れて
とりあえず、目の前の二人を無視して、ユーラルディはミィに確認を取ってみた。
「んー、わかんない」
自分が知っている人なのか「わかんない」のか、単純に知らない人だから「わかんない」のか。
三歳児の記憶がどれだけのものかはともかく、彼らはいつもミィのそばにいる訳ではない、ということだけははっきりした。
「おい、その子を返せ」
いきなり、ずいぶん乱暴な言い方だ。
「あなた達、誰?」
「俺達はその子の親だよっ。お前が連れ去ってたのか」
まるで信用できない内容だし、連れ去ったという点においては誤解もはなはだしい。
「あなたがこの子の親? 全然似てないし、釣り合いが取れてないよ」
ドレスにも見える、就寝用の服。ちゃん洗濯しているのか怪しいシャツと、作業用のワンピース。
容姿に加え、彼らの服装もミィとかけ離れている。
「似てないのは、養い子だからよ。早くその子を返してちょうだい」
養い子と言われては、似てない部分を追求することはできない。
「いつ引き取ったの? この子、全然あなた達になついてないみたいだけど」
「つ、つい最近よ。だから、まだ慣れていないだけ」
女の顔に、焦りが浮かぶ。つじつまの合う「嘘」をつこうしている……ようにしか、ユーラルディには見えなかった。
「他に確かめられる方法、ある? この子が間違いなく、あなた達の養い子だっていう」
本当に最近養い親になったばかりなら、こんな言い方をして申し訳ない。
だが、ユーラルディの中で、そうではない、という感覚の方が圧倒的に優勢だった。
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ、ガキが。さっさとそいつを渡せっ」
怒鳴りながら、男は風の刃を向けてきた。
あれ。飲んだくれっぽいけど、魔法使いなんだ。
そのことに少しだけ驚きつつ、ユーラルディは防御の壁を出して攻撃を跳ね返した。
男が出した風の攻撃は、ユーラルディにとっては大した威力ではない。普通の人間ならもちろん危険だが、竜のユーラルディなら防御せずにそのまま受けたとしても、傷一つ付かない程度の力だ。
しかし、今はそばにミィがいる。もしも、ということもあるので、確実性を求めて壁を出したのだ。
「にぃに……」
壁に刃が当たった音に驚いたのか、ミィはユーラルディにしがみつく。
「ああ、ごめんよ。音が出ないようにすればよかったね」
大丈夫だよ、と言いながら、ユーラルディは小さな背中をぽんぽんと叩く。
「ちっ、お前も魔法使いかよ」
「ちょっとっ。子どもに当たったら、ケガするじゃないの」
男はいまいましげに舌打ちしたが、それを見た女が怒った。
「少なくとも、そのお養父さんには子どもを大切にしようって気持ちはないみたいだね」
「う……」
ユーラルディの言葉に、女は返す言葉もないようだ。
「お前には関係ねぇだろうがっ。さっさとうせろ」
「うん、そうさせてもらうね」
ユーラルディがふっと軽く息を吹くと、人間の二人があっさりと飛ばされた。
もしも人間に魔法を向けることがあったら、うーんと慎重にやるんだよ。人間の身体はとてももろいから、少しの衝撃で死んでしまうかも知れないからね。
親や年上の仲間から、何度もそう教えられてきたユーラルディ。命を奪うつもりはないが、少し離れてほしかったのでこういう方法を取った。
二人がどういう人間か、情報がないのでわからない。だが、ミィにとっていい関係ではない、という点は、さっき魔法で攻撃されたことからも明らか。
おかしなことにならないうちに、ユーラルディは「ここから逃げよう」と考えたのだ。
軽く吹いた息だが、人間の姿であっても竜の息。二人はかなり遠くまで飛ばされた。
すぐには追って来られないよう、ユーラルディはさらに霧を出す。これであの二人はユーラルディを追って来るどころか、自分達が移動することもままならなくなるだろう。
たとえこの森の地形に精通していても、この霧の中で動くのは危険だ。
「あ、ちょっと濃すぎたかな……」
まだ年若いからか、ユーラルディの能力なのか。
たまに魔法が不安定な時がある。
今も、見えにくくする程度の霧でよかったのに、自分の周囲が完全に真っ白になってしまった。
「ミルク、こぼれた?」
あまりにも真っ白な視界に、ミィがそんな感想を口にする。
「はは、そうだね。いっぱいこぼれたかも」
自分の足下さえもよく見えない。それでも、この場から少しでも離れようと、ユーラルディは歩き出す。
しばらく進んだ時、ユーラルディは自分の足の下で石がごろりと回転するのを感じた。あ、まずい……と思った時には、バランスを崩している。
そのまま倒れてしまえば「ミィが下敷きになってしまう」と悟ったユーラルディは、強引に身体をひねった。
がんっ、という音が間近で聞こえ、右側頭部に痛みが走る。
いったぁ……岩にぶつかった?
竜の時ならともかく、人間の姿だと防御力が少々下がってしまう。よりによって、そんな状態の時に石を踏み、転んで頭を打ってしまった。霧が濃すぎて、足下が見えなかったせいだ。
あれ、もしかして、これってあんまりよくない状態……。他の場所ならともかく、頭は……。
ユーラルディは、自分の意識がゆっくりと薄れていくのを感じた。
☆☆☆
「……に……にぃに……」
誰かが肩を揺さぶっている。
眠っているのに、なぜ起こそうとするのだろう。もう少し眠っていたい。正直なところ、放っておいてほしい、とさえ思う。早く起きなければならない用事は……たぶんなかったはずなのに。
そういったことをつらつらと考え、それから自分を起こそうとする声が急に気になった。
これは、小さな子どもの声。女の子の声だ。聞き覚えがあるような、ないような。周囲にこんな声の子がいたかどうか、まだ半分眠っている頭では思い出せない。
「ねぇ、にぃに。おきて」
起こそうとする声は、今にも泣きそうだ。何か困っているのだろうか。だとしたら、起きた方がいいのかな、とも思う。
「にぃにっ」
その声にはっとして、ユーラルディは目を開けた。
「え……あれ?」
目の前に、泣きそうな顔をした女の子がいる。金のふわふわした髪に、きれいな紫の大きな瞳。
さっきから起こそうとして声をかけ、肩を揺らしていたのはこの女の子のようだ。
それだけを認識して、ユーラルディは身体を起こした。
「いたた……」
頭の右側が、やけにずきずきする。
「ぼく、どうなったんだっけ……」
「にぃに、あたま、ゴンしたの」
ユーラルディのつぶやきに、女の子が教えてくれた。
「あたまゴン? ああ、頭を打ったのか、ぼく。それで……え?」
頭を打って、気を失っていたらしい。
そこまではわかったが、ユーラルディの中にそれ以前のことが出て来ない。
何となくこの状況はまずい、ような気がした。
「ぼくの名前はユーラルディで……それから……」
かろうじて、自分の名前は出て来た。が、ほっとしたのも束の間、それ以外のことが全くわからない。
自分のことも、目の前にいる女の子のことも。
本当は自分が竜であり、魔法が使えることさえも、ユーラルディは覚えていなかった。
「にぃに?」
戸惑っている様子のユーラルディに、女の子が声をかける。小さくても、目の前にいる彼の様子がおかしいことはわかるようだ。
「にぃに? え、ぼくはきみのお兄ちゃん?」
「ううん」
女の子は大きく首を振る。年上の男性で、単に自分から見て「お兄さん」だから、そう呼んでいるだけらしい。
「あの、ごめんね。ぼく、きみのことがわからないんだ」
ユーラルディの言葉が理解できなかったらしく、女の子は不思議そうに首をかしげる。
彼女にすれば、今まで一緒にいたのに何を言っているのだろう、と感じているのだ。
「たぶん、本当のぼくなら知っているんだろうけれど、教えてくれるかな。きみの名前は何ていうの?」
「ミィ」
ねこの鳴き声みたいだな、と初めて聞いた時と同じ感想を抱く。もちろん、ユーラルディはそんなことなど覚えていない。
「ぼく、ここで転んで頭を打ったんだよね?」
「うん」
「ぼくはどうして、きみと一緒にいるのかな」
「……」
ミィはきょとんとした顔で、ユーラルディを見ているだけ。何を言っているんだろう、という感じだろうか。
とにかく、ミィに状況説明は難しいようだ。
「んー、どうしよう。兄妹でもないぼく達が、どうして一緒にいるんだろう。ここ、森だよね。ミィ、ぼく達はどこから来たのかな」
「わかんない」
せめて「あっち」くらいはわかるのでは、と思ったユーラルディのわずかな期待は、見事に裏切られた。
今のユーラルディは覚えていないので仕方がないが、妙な男女をまこうとして濃霧を出したため、ミィは自分達がどちらから来たのかわからなくなっていたのだ。記憶や判断力以前の問題である。
「困ったな。どうしよう」
事情を忘れてしまった自分。事情を説明できない女の子。
残念ながら、何一つ進展しない状況だ。しかも、周囲には霧が漂っている。まるでユーラルディの頭の中みたいだ。
ミィと話している間に、その霧も晴れて来た。だが、ユーラルディの頭の中は変わらない。
霧が晴れれば、動けるようになる。ここは何か知っていそうな人を探して、この状況を打破しなければ。
「この近くに、街か村はあるのかな」
「さっき、いったよ。むら」
ようやくミィの口から、有益な情報がもたらされた。
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