第33話 怪物の足音
王都グルガンから北西に進んだ先に、小さな村が一つだけある。
村の中にはささやかながら酒場も開かれていた。客といえばほとんどが地元の農民だ。
ただ、今日ばかりは様子が違う。どうやらお偉い貴族がやってきたという話が広まり、常連は誰一人として近寄らなかった。
素性のわからない大物ほど、彼らの恐怖を煽るものはない。事実、そこで密会をしていた二人は、恐れるべき者達だと言える。
二人はよほど有名人なのか、酒場に来るまではフードを目深に被り、誰にも姿が分からないようにした。
窓にカーテンを閉めてもらい、店自体は貸切りになった。噂は立つだろうが、グルガンの酒場や路地裏で落ち合うよりはマシだと、怪しい二人は考えている。
「ってわけよ。要するにあの子は、回復しちゃったんだ」
一人が残念そうに事の次第を伝えている。
「つまり、魔物には……あの怪物にすることをしくじった……というわけか」
「しくじったなんて! だってしょうがない。変な薬のせいで、ほぼ治っちゃったんだから」
「ほぼ?」
カウンターでコップを拭きながら、店主は二人の会話に聞き耳を立てていた。一体何の話だろうか。魔物という単語が出てきたが、まだ詳細が見えてこない。
「完治するには時間がいる。ガキを見たら分かるけど、まだ片鱗は残ってるんだよ」
「なら問題ない。薬を飲ませるのを、やめさせることができるか」
「簡単だな。しかし間に合うかな」
「間に合うとも。……もう奴は動かしている」
一人が嬉しそうに口笛を吹いた。
「はは! せっかちだねえ。ここ最近、方々の街で殺人が起きてるのも、アレのせいだったか」
「あれは使えるぞ。すでに十人以上は殺してくれた。我らの未来には必要不可欠だ。事によると、今後の汚れ仕事は全てアレが勝手にやってくれるだろう」
「もううんざりだよ。汚い仕事は」
店主は額に浮かぶ汗をハンカチで拭き取りながら、店に二人を招き入れたことを後悔していた。明らかにまずい客だ。何か大きな犯罪に手を染めているに違いない。
「ヒルデだけはどうにかせよ。あの子が必要だ。後は誰がどうなろうと変わらぬ。死んでも計画を狂わせてはいかんぞ」
「はーい。じゃあ、そろそろ行くわ」
一人が店から出ていく。二人きりになり、店主は静かに男に近づいた。顔に作り笑顔を張り付かせながら。
「い、いやあ。随分と怖そうなお話をされていましたね。もしかして、劇とかそういうお話でしょうかねえ」
「劇か……懐かしいな」
「あ、あはは。俺も最近じゃ全然——」
笑いかけて、店主は動きが止まってしまった。フードを脱いだその顔に、間違いなく見覚えがある。
「あ、あなたは……いや、あなた様は」
「もう遅い時間だな。店を閉めてはどうかな」
「はい。もう少ししたら閉めますとも。今日は誰も気やしませんし」
「今すぐに閉めたほうが良い。人の体は、死んでからでは動かん」
「は、はい?」
その後、店を照らす灯りはすぐに消えた。椅子から立ち上がった男は、もう一度フードを目深に被ると、無人となった酒場から出ていった。
彼は時として、衝動的に人を殺めてしまう。フードの奥には、残忍極まりない魔族の顔があった。
◇
すっかり夜もふけた頃、剣聖と呼ばれるようになった青年は教会へと足を運んでいた。
どうしても今日、伝えておきたいことがある。そう聖女に呼ばれたのである。
(夜の密会……ってやつかな)
彼は心の奥では嬉しくてしょうがなかった。散々口説いても見向きもしない美女が、ようやく心を開いたと思ったからだ。
教会の窓にはまだ、柔らかな灯りが灯されている。ジュリアンは軽やかな足取りで辿り着くと、静かに扉を開いてみた。
「……げ」
思わず落胆の声が漏れる。祭壇の前で祈りを捧げる聖女レスティーナの側に、銀色の鎧を纏う騎士が四名、守るように囲んでいた。
彼女の近くには大司祭ハバルもいる。とても男と女が楽しむ夜ではなさそうだ。
「おお、剣聖殿。よく参られたな。ささ、こちらへ」
「そりゃあ、聖女に呼ばれたからには出向かないといけませんからね。剣聖として」
ジュリアンの来訪に気がついたレスティーナは、立ち上がって華のような笑みを送った。
「お待ちしておりました。実はジュリアン様に、ただならぬ試練が舞い降りようとしていたのです」
「ただならぬ試練? 並の試練なら今日だってこなしたところだよ。もしかしてそれは、俺と君のこれからより波乱万丈かな?」
「どうかしら。今宵のお願いが叶わないなら、平坦なものとなり得るでしょう」
遠回しに、お願いを聞いてくれなければ何もしない、と彼女は伝えている。この回りくどい表現を、彼は少々うざったく思っていた。
「王都グルガンに、大いなる災いが迫ろうとしています。グルガンの神にかけて、それは間違いなく、真に深刻な形となって現れようとしているのです」
「大いなる災い?」
彼は鼻で笑った。岩をも切り裂くグルガンの聖剣は、今も背中に預けている。いつだって一呼吸あれば剣を抜き、敵を倒すことができる。
聖女に出会ってからたった数日で、ジュリアンは剣聖としての力を身に付けつつあった。
元々どんなことでも器用にこなせる男である。そして自分を何よりも素晴らしく見せる術に長けている。
だから彼は、老若男女問わず人気者だ。裏にある薄情すぎる顔など、何年も付き合わなければ判別しようがない。
どんなに真摯に自分を愛した女も、どんなに思いやりを持って接してきた友人も、ジュリアンは飽きればすぐに捨ててしまう。
そうした情のなさを、彼自身は当然のものだと考えていた。
「どんな災いだって、君のお願いなら倒して見せる。一緒にそいつの所に行こうよ。邪悪を払う者同士、力を合わせるべきだ」
「ああ、なんて素晴らしい人! でも、ゆめゆめ侮ってはいけません。私達の相手になる者は、想像を遥かに超える魔人なのですから」
「魔人……」
魔が宿りし邪悪な人間。それを大陸では魔人と呼んでいる。彼は魔人の顔をまだ目にしたことがない。毒と血が混ざり合ったような悪夢のような顔を。
「そうです。戦いの時はもうすぐ。これまでの練習で行ったように、その剣で勇敢に戦っていただけますか」
「ああ」
「私のことも、守ってくださる?」
「もちろんだ」
「ああ、ジュリアン様!」
感極まった聖女は瞳に涙を浮かべ、ジュリアンに抱きつこうとする。両手を広げて向かい入れようとしたが、ここで騎士達が止めに入ってしまう。
(無粋な奴等め)
この時ばかりは、彼は苛立ちを隠せなかった。その姿を、大司祭ハバルが笑う。
「ほほう。どうやら二人は……いやはや」
「え? まあ、ハバル様ってば。何を誤解なさっているの」
「ワシの誤解かな? まあ良い。ジュリアンよ、敵はもはやすぐそこじゃ。これより時と場所を教えよう。二人の力で、世を救うのじゃ」
「はい。必ずや」
剣聖になった男は、余裕たっぷりという表情でうなずく。
自信を持つのは当然だった。聖剣を手にした男に、勝利した存在など歴史上一人もいなかったのだから。
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