第16話

 夕方になっても、金清野致の調子はいまいちだった。

 二人は引き続き掛け軸の行方について調査を続けていたが、手がかりは一つも得られなかった。百々瀬克樹の傍にあった汚損した掛け軸は、おそらく百々瀬家のものだろうと結論が出せたまではよかった。しかしそれ以上、掛け軸の情報が出るわけでもなく。二人とも無駄に梅の木に詳しくなっただけであった。そろそろ強行突破も考慮しなければならない頃合いだろう、と話を切り出せば、致は「考えておく」と言った後ふて寝を始めてしまった。辻村も一緒になって休もうか悩んだが、とてもではないが、あんな状態の致の傍にはいられない。とにかく今の彼は虫の居所が悪いのだ。

(ってことで気分転換に祭を見に来たんだけども……)

 想像を絶する人混みに辻村は圧倒されてしまう。こんな山間の集落だ。大して人もいないだろうと考えていたのは甘かったらしい。境内を埋め尽くす人をかき分け、隅の方で軽く息をつく。この祭のためにこの集落を訪れるもの、帰省しているもの……見たところによると、この青田神社の祭は翆嶺にとって最も重要な催事らしい。行きかう人々の話を掻い摘んで聞きながら肩をすくめる。

(でも、子供はいないんだな。若そうな人はいるけども)

 人で溢れかえっている境内では、複数の食べ物屋台が出ており賑やかな音楽が流されている。酒を取り扱う屋台も複数出ており、その屋台周辺ではご機嫌な翁たちが昔話に花を咲かせる。雨上がりの境内、水たまりや青葉に提灯の赤がてらてらと怪しく揺らめいていた。その光景にちょっとした高揚感を覚えた辻村は境内を隅から隅まで歩き回ってみることにした。適当に屋台で購入した焼きそばを食べながら、彼女は人の流れから外れていく。どうやら祭りの中心は神社の東側にある青田山らしい。

(雨が止んでてよかったな)

 雨が降っていれば少しは人も少なかっただろうか。そんなことを考えさせないほど、境内は熱気と活気で溢れていた。祭のコンセプトは非常に単純で、例の御伽噺に登場する山の神とその使いに感謝するというものである。毎年できた梅や、漬けておいた梅酒、その他米などの農作物を奉納し集落の発展と豊穣を祈るのが肝なのだとか。祭は二日かけて行い、今日はその一日目。前夜祭にあたる日だ。適当に話しかけた老人から聞いた話を咀嚼しながら、辻村はスマホのメモに書き留める。

(まぁ、特に言うことのないフツーの祭って感じだなー)

 奇特な風習も、衣装も飾りもなに一つない。特になにをするわけでもなく、彼女はぶらぶらと何度も境内を周回する。

「あ、そういや」

 ふと思い出して境内をざっと見回す。展示のやっていそうな場所といえば、社務所近くにある大きな蔵だろうか。そちらへ足を向け、辻村はそっと中を覗き込んだ。数人の老人が展示物を種に話に花を咲かせているらしい。中は通常の蔵とは違い、展示室のような内装になっている。茶器や高価そうな壺、他に装飾品などの陳列物がすました顔で並んでいた。傍に置かれた説明書を見るに、これらはすべて元九十九家の所有物の奉納品らしい。この展示室にはそういった奉納品と、祭に合わせて展示に貸し出された物品がある。

(そうだ、それならおそらく……)

 展示室の一番奥に目星をつけ、辻村はそっとそちらへ近づいた。予想に反して周囲に人はいない。それもそのはずだった。予想通り、主役であろう展示物のある壁面には布がかけられている。

(なるほど、ここに飾るんだな)

 布には『近日公開』とだけ書かれた紙が貼られていた。きっと意味のないであろうそれを一瞥し、辻村は蔵を出た。落胆した様子の人は見られなかったものの、平時であればもう少し活気があるのだろうな、と思ってしまう。それくらいに、寂しい展示場に見えてしまった。


 少し冷えた山風を浴びながら、辻村は本殿から少し外れた茂みの中に通れそうな道があることに気が付いた。好奇心に突き動かされた爪先は迷いなく茂みへと分け入っていく。

 こちらの方には、全く人がいない。人混みに中てられた人が数人いてもおかしくないと思っていたのだが、どこを見ても全く人がいない。この空間だけ避けられているような、そんな具合の意図を感じてしまう。

 枝に気を付けながら獣道を歩いて行く。最近人が出入りしているのだろう、そこまで酷い隘路ではなかった。時折肩に付く水滴を払い落としつつ、鋭く折り返す道を歩く。上下は激しくしないものの、意地の悪いつづら折りが足に疲労をためていく。何度目かのヘアピンカーブを抜けた先、境内からおおよそ五分ほど歩いた先は少し開けた空間だった。

「……お? なんだ、こりゃ……傘、とサンダルぅ?」

 道の終わりに乱雑に置かれたそれらを一瞥して、辻村は一息入れる。傘はよくあるビニール傘で、サンダルはホームセンターなどでワゴンで売り出されているような安物だろうか。どちらもここに置かれてから少し経っているのだろう。緑色に染まりつつある人工物を爪先でつついてみる。傘は半分土に還りかけているのだろう。

「不法投棄かねえ。それにしてはラインナップが変だけど」

 静かな空間へ対抗するように独り言を呟いてしまう。見回した空間は辻村たちの滞在している離れよりも広そうだった。通ってきた道に近い場所に、先ほど触った傘とサンダル、それから地蔵が置かれている。道は空間の中ほどまで続ている。導かれるようにしてそちらへ行ってみれば、丈の長い草の中に低い円柱型の石と、細い長方形をした石を見つけた。ここが人工的に作られた空間であることは間違いないが、どんな場所だったのかはまるで読み取れない。

「止めなさい。そこから先は危険です」

 もう少し詳しく調べよう、そう思った辻村の足を飛び込んできた声が止める。制止の声にしては柔らかく、呼び止めるにしては強い言葉だ。振り返れば、いつの間にか年老いた巫女が通ってきた獣道の方に立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る