3 竜と偽りの盃

 ゼーランドと呼ばれた竜は、久しぶりに人の姿になったのだから人間の食事と酒を満喫しなければ勿体ない、と思い至り、近隣の村へと向かうことにした。【レバナス村】と呼ばれたその村は、過去にも何度か訪れた事があるので、ゼーランドは迷うことなく村の入り口へと辿り着き、酒場へと入って行く。


「やはり人間の飯はいいな」


 目の前のテーブルには魚の煮付けと、焼かれた豚肉の皿が置かれている。店長の自慢の料理らしく、店員に進められるままに皿が置かれた。まあゼーランドにとってみれば、酒と一緒ならなんでもうまい。お金も以前に人間だった時に、傭兵の仕事で蓄えていた物を持ってきているので心配はない。


 最後に魔女イリスと戦った後に、ゼーランドは興が高じて世界を巡る旅に出ていたが、それまでは人の姿で人に交じって傭兵稼業をするのが楽しかった。傭兵というのは、成功すれば潤沢なお金が貰えるが、失敗の代償はすぐさま命に関わる世界。その日生きている事に感謝して、おいしい物を食べて次の旅へ向かう。それが醍醐味だった。その中で知り合った人間もたくさんいたが、もうほとんどが土の中だ。ゼーランド自身も数々の死地を巡ったが、人の姿をしていたので、いつ命を落としてもおかしくはなかった。もし自分が竜の姿だったならば、助けることができた命は無数にあっただろう。そう回想することも少なくない。しかしゼーランドは、人間の営みと竜の間には超えてならない一線があると思っている。それを教えてくれたのが、出会ったばかりの魔女イリスだった。


「奴は本当に死んだのだろうか?」


 酒を呑み、ひとり呟いた。


 魔女イリスと盃を交わした事はあっただろうか。ゼーランドは回想する。何度かそんな機会もあったような気がするが、もうほとんどが思い出せなかった。お互い闘い疲れて、そのまま野宿をすることもあったが、先に思い出せるのは焚火に照らされた銀髪の横顔。そのときの言葉。


 ――力を持つ者がみな、私やお前のようだったらよかったのにな。


 結局、魔女イリスはその言葉の真意を話す機会もなく、遠い場所へ行ってしまった。


「それに、あの娘……」


 ゼーランドは己が感傷的になっていることに気付く。人の姿になって、人々の中で溶け込んで飯を食らう内に、次第に人間的な感情に変化しているようだ。何度か経験のある感覚だが、これまでよりも一層鋭い気がする。だが、気のせいだとばかりに酒をあおる。


「イイ呑みっぷりだな。兄弟」


 そう言って話し掛けてきたのは、隣のテーブルで酒を飲んでいた男だ。彼は兵士の恰好をしていた。


「お前は傭兵の類か?」


 ゼーランドの問いかけに、赤ら顔を楽しそうに歪めながら兵士は話す。


「違う違う。王国から派遣された騎士だ。私はそこで団長をしている〈モーリ〉という者だ。そういうお前さんは傭兵なのか?」


「そうだ。傭兵をしながら旅を続けている。今は契約を交わしていないので、気ままに旅の最中というやつだ」


「はは。いいね! 俺たちも気ままに旅をしてみたいもんだ」


 モーリが高らかに声を上げると、周囲の似たような連中が囃し立てるように声を上げる。


「なんだ。お前らは仲間なのか」


「そうさ。仲間だ。互いに互いの血が流れている。同じ物を食って、同じ土を踏んで、同じ血を流す。そうやって俺たちは生きているわけだ」


 モーリは饒舌だった。王国から派遣されたということは、この地方一帯を治める【アレクセイ王国】ということか。その騎士団長ということは、王国内で最強ということになる。しかしその割に目前の男には、騎士がまとう凄みという物が感じられなかった。まあ、酔っ払いだからな、とゼーランドは酒を口に運んだ。


「しかし騎士団が、何故こんな辺鄙な田舎にいるんだ。馬でも三日ほど掛かるだろう」


「四日だ、四日。何故と言われれば耳が痛い。命ぜられたところに馳せ参じるのが我ら職業軍人の宿命だ。たとえそこに何もなくとも駆け付ける。穴を掘れと言われたら穴を掘る。四日間を馬の上で過ごせと言われたら、俺たちはそうするしかない。だからまあ、今は解放されて宴会というわけだ」


 その距離もゼーランドの本来の姿ならば、半日と掛からないだろう。もちろんゼーランドも馬に乗ったことはあるが、どういうわけか乗せてくれる馬が少ない。彼らの野生の感が、ゼーランドは普通の人間ではないと察知しているのかもしれない。


「あんた。強いだろう」


 唐突にモーリが切り出した。


「さあ。今までなんとか生き延びてきたが、己が強いと思えたことはないな」


 もちろんそれは人間の姿をしているときの話であって、竜の姿に戻ったときは最強だとゼーランドは自負している。しかし銀髪の魔女によって世界の広さを味わって久しいので、最強に近い、と思うようにしている。


「それは強いヤツの返答だ。俺としては、そんなアンタがここへ来た理由を知りたいね」


 理由と言われても魔女に会いに来ただけで、村に滞在するつもりはなかった。その魔女も小さい娘を残してこの世を去っているので、徒労と言う他ない。しかし本当の事を伝えてもいいのだろうか、とゼーランドは悩む。竜だということが知れて、騎士団の討伐対象となっても困る。


「知人に会いに来た。だがその知人はすでに死んでしまったようだ。だからこうして今は一人で酒を飲んでいるんだ」


 酒を口に運ぶ。そうか。もうあの魔女と酒を飲むことは叶わないのか。その茫漠とした空虚な様に、ゼーランドは言葉を失った。


「ほう。それは残念な話だな。そういう事なら俺が一本奢ってやろう。弔い酒だな」


 そういうとモーリは素早く立ち上がり、店員と話した後に奥の厨房に入っていった。ほどなくして酒瓶を両手に持って戻ってくる。


「ほら、これはお前さんの分だ」


 そう言って片方の酒瓶をゼーランドに渡した。よく見ると酒造の銘柄が瓶に刻印されたもので、それはこの酒が高級品である事を示していた。


「こいつは有難い。しかし本当にいいのか?」


「なあに。構わないさ。人を弔うときは良い酒を飲まないとな」


 モーリは勢いよく瓶を傾ける。それにならってゼーランドも勢いよく酒を飲んだ。変わった味だったが、悪くはない。あまり高級な酒というのを知らないので、おいしいと言えばおいしいのかもしれない。


「味はどうだ?」


「うまいが、飲み慣れた安酒の方が性に合っているのかもしれない」


 その言葉にモーリは甲高く笑って肩を叩いてきた。


「上々だ。これはこの地方一体でも特に純度の強い酒でな。味に癖はあるが、慣れてくると忘れられない味になってくる」


 確かに匂いがきつい。含まれるアルコール分も相当に高そうだが、果物が腐ったような匂いがする。今はゼーランドも人間の鼻だからあまり抵抗感はないが、竜の姿だったならば火炎を吐いていただろう。


「騎士団の用事はなんなんだ?」


 ゼーランドの問いにモーリは顔を歪ませる。


「ふん。面白くもなんともない任務さ。明日の朝に偉い方がこの村を訪れるのさ。俺たちはその先遣隊ということだ」


「偉い方?」


「この国の大臣だ。誰とは言えないが、国の要職をこなし、王の側近の一人でもある。だからその方の身辺を守るのが今回の任務だ」


 この辺鄙な村に国王の側近が来るだと?


 ゼーランドは口にこそ出さなかったが、これは人間社会でも異例の出来事であることが分かった。王とその側近というのは、そもそも城から出ることはない。それを知っているので、戦場では傭兵たちが好き好きに王の悪口を言っていたのだ。城から遠ざかれば遠ざかるほど、その威光は陰っていく。


「だから明日は大人しくしていてくれよ」


「俺に言っているのか?」


「ああ、そうだ。アンタみたいな強い武人に警戒するのが俺たちの仕事だ。この酒に免じて、明日はゆっくり眠っていてくれ」


 次第に酔いが回る。モーリという男とは有意義な話ができたが、そうした気になっているだけかもしれない。ゼーランドがこんなにも酔いを感じることはかつて無かった。ゆっくりと身体が重くなっていく。


 誰か。この御仁を宿屋まで運んでやれ。


 薄い意識の中でモーリが肩を触った。ゼーランドは自分で宿に帰れる、と主張しようとしたが、どうにも口は回らない。


 またどこかで会う事もあるだろう。


 そこでゼーランドの意識は途切れた。

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世界の果てを目指して無双する竜と白銀の魔女 yasuoman @225mm

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