3:合鍵とパラベラム

「改めて今日からお世話になります。奈砂 百珈です。不束者ですが何卒よろしくお願いいたします」

 雑然とポスティングチラシやタオルが散らかったフローリングに三つ指をついて頭を下げると、「うわ」と引きつった佳斗の声が降ってきた。

「そういう堅苦しいのはよせ。まともに部屋の片付けもしてないんだから、気楽にしてくれないか」

 呪特での体験入隊が決まったその日、百珈は基地内の休憩所で一晩過ごした。共有のシャワーもベッドもあるからしばらくここで暮らしていけるかもしれない、と呑気に思っていたのだが「若いおなごが一人でいけない」と吉乃に猛反対され、官舎の空き部屋を探してもらった。生憎すぐに入居できる部屋がないことが判明したのだが、佳斗が家族向けの部屋を一人で使っているという。あれよあれよと吉乃に後押しされていつの間にか転がり込むことになってしまったのだけれど、百珈は内心緊張していた。母の汐里としか暮らしたことがないのだ。旅行や合宿で友人らと二、三泊するのとは勝手が違うはず。

 迷惑をかけてはいけない、と先走った結果の玄関先スライディング座礼だったのだが。佳斗にはかえって逆効果だったのかもしれない。

 おいで、と案内されておずおずと部屋に立ち入る。呪特の隊員用に運営されている官舎は表向きはいたって普通の十階建てマンションだった。室内も築浅の小綺麗な2LDKで、リビングには白い三人掛けのソファとローテーブルがぽつんと置かれている。ちらりと伺った佳斗の部屋にもシンプルなベッドが一台あるきりで、片方の部屋は空っぽだった。あまりインテリアに頓着しない性格なのか、はたまたミニマリストか。片付いていないのは玄関先だけのように見えた。

「私が入居するタイミングで空いてたのがこのタイプの部屋だけでさ。そのまま移動もせず何年も持て余し続けてたから、使ってくれるとありがたいよ」

 リビングと部屋続きにあるカウンターキッチンを覗き込むと、シンクもコンロも清潔なままで使用感がほとんどなかった。最低限の調理器具や調味料はあるようだが、そちらも新品同然で。

「佳斗、ご飯はどうしてるの……?」

「基地の食堂かコンビニで買うのがほとんどだな。家事はあんまり得意じゃないんだ……」

 あはは、と気まずそうに笑って佳斗が頬を掻いた。おもむろに冷蔵庫の野菜室を開けると、中身を手に取ってしょんぼりと溜め息を吐く。

「たまには作ってみようかなと思いつつ、結局面倒になって腐らせてばっかりなんだよな」

 ビニール袋に詰められたニンジンや大根たちが元気をなくして萎びつつあった。瑞々しさは無いものの、カビも生えていないしまだ食べられる範疇だろう。

 百珈はちらりとスマホの時計を確認した。夕方の四時台、夕飯には少し早いが食べてもおかしくはない時間帯だった。

「佳斗、お腹空いてる?」

「ああ、今日は軽くしか食べてないから空いてるけど」

「私が夕飯作ろうか……?」

 リュックサックの中からぬ、とマイ包丁を取り出して見せると、一瞬目を見張ってから佳斗が破顔する。

「嬉しいな。ある物は自由に使ってくれて構わないから」

 許可をもらって百珈は意気揚々とキッチンを漁り始めた。冷凍庫で眠っていた鶏肉や野菜たちも発掘した。お米も炊けるし、出汁もあるから味噌汁も作れる。せっかく設備があるなら活用しないともったいない、とばかりに調理に取り掛かった。たった数日空いただけなのに、日課の家事が出来ないせいで鬱憤が溜まっていた節もあるのかもしれない。

 ベランダでタバコを吸って戻ってきた佳斗が興味深そうに百珈の作業風景を眺める。

「羨ましいな。私はどうにもガサツで向いてなくて」

「簡単に食べられるものたくさんあるし、別に無理して作る必要はないと思うけど……でももし上手くなりたいなら、私が手伝うよ」

 やってみる? と剥きかけていたじゃがいもを示すと、佳斗がぱっと瞳を輝かせた。洗い終えた手で拙くピーラーを扱う手つきに、百珈はつい笑みが込み上げてしまう。あんなに勇ましく戦っていた彼女にも苦手なことがあるんだな。

 芽の取り方やサイズを揃える切り方のコツを教えながら調理を進めていくと、昔は母に教わったことを初めて誰かに教えていることにふと気がついた。もしかしたら佳斗は教えてくれる誰かがいなかったのかもしれない。

「そろそろ煮えたかな。こっちが鶏じゃが、大根と玉ねぎのお味噌汁、ツナ缶とほうれん草の和物です」

 リビングのローテーブルに食事の準備を整えた。食器が足りず、調理ボウルや鍋をそのまま器としてしまったが洗い物も減るのでヨシということにした。一緒に完成させた食事を目にして佳斗がほう、と息を吐く。

「瀕死の食材たちで作ったとは思えない出来栄えだ」

「味付けが口に合うか分からないけど……食べよう!」

 いただきます、と手を合わせて佳斗のひと口目をそっと見守った。柔らかく煮えたじゃがいもを噛み締めて、青い瞳がきらりとまたたく。

「味が染みていて、とても美味い。……味噌汁も私が作るとボンヤリした味なのに、本当に同じ調味料を使ってるのか?」

「よかったあ。和風だしの素はね、意外と入れた方が美味しいかもしれない。あと具材は先に炒めておくとコクが出るんだ」

 次々と美味そうに箸をつけていく佳斗の様子に、百珈はほっと胸を撫で下ろした。偉そうに出しゃばったからには美味しく食べてもらいたかったのだ。

 浮世離れした雰囲気や美貌を持つ佳斗だけれど、笑うと案外幼く見えた。料理が苦手で、タバコが好きで、たぶん物凄く強い人で。他に彼女について知ってることって何かあっただろうか、と百珈はおずおずと質問を口にした。

「佳斗ってさ、好きな食べ物はある?」

「あー、わりとなんでも食べるけど……甘い物が好きかな。食堂のホットケーキとか基地の近くにあるタピオカミルクティー屋はよく行く」

 甘党でしたか、と脳内のメモ帳に情報を書き込んでいく。確かに前に飲んでいたココアも甘そうだった。タピオカは怪しいけど、ホットケーキなら私にも作れる。

「あとイヤだったら答えなくていいんだけど……歳はいくつなのかなって……?」

「何歳に見える?」

「ええ……」

 にやりと意地悪そうな笑みに顔をしかめて、百珈はじっと佳斗の造作を見つめた。正直言って年齢不詳気味なのだ。髪の色も瞳の色もアジア人離れしているし。十歳以上年上にも見える大人びた色もあれば、そう年の差を感じない青さもある。でも堂々とタバコが吸えるってことは……

「じゃあ、はたち」

「二十三歳。若く見られたいと思ってないから気にするな」

「うおお……絶妙に分からないぜ……」

 五つ上、と思うとなんだか急にこそばゆさが込み上げてしまった。少し年上の、お姉さん。日常生活ではもっと年上の大人ばかりだったし、友人といえば同級生か後輩ぐらいの狭い世界にいたから。

 そのくすぐったさを抱えたまま、とりとめもない話の中で淡々と食事を終える。二人で食器を洗って片付けをしてから、満腹感の眠気を覚えて百珈はソファの上で膝を抱えて丸くなった。このままのんびりした日々が続いたらいいんだけど。

「訓練が始まるのって明日からだよね……?」

「ああ、吉乃と一緒にメニューは組んでおいた。無茶はしなくていいが、ある程度の疲労は覚悟しておいてほしいかな」

 ソファの端に腰掛けた佳斗が苦笑いをする。特殊部隊の訓練に放り込まれる、そう思うと緊張と不安が渦巻いて仕方なかったけれど。

「百珈が慣れるまで、基本的な指導は私がする予定だ。吉乃も補佐してくれるし」

 こちらの心配も透けているのだろう、佳斗の言葉に百珈は小さく頷いた。いきなり飛び込んだ環境で、自分らしさを失わないために足掻きたかった。普段みたいに食事の支度をしたかったのもそのせいなのかもしれない。

「百珈、」

 ふと名前を呼ばれて顔をあげると、煙草の残り香がする佳斗の手の平が目前に伸びていた。

「少し体調を確かめたいんだけど、触ってもいいか……?」

 尋ねられて面食らったままこくりと頷くと、佳斗のぬるい指先が首筋に触れる。今日は冷たくないんだ、ご飯食べた後だからかな。無骨な腕時計に目を落とし、脈を計る手つきでそんなことを思った。心拍数が上がりそうになる前に体温が離れて内心で安堵していると、下瞼の様子を見てから、佳斗の指先がふと唇に触れる。

「……断りもなく、あんなことして悪かったな」

 あんなこと? 一瞬考えてから、血を飲まされたことか、と思い当たる。百珈は熱の昇りそうな頬から意識を逸らしながら、大丈夫、と呟いた。確かにキスは初めてだったし、びっくりはしたけれど。

「人工呼吸の延長みたいなものでしょう……?」

「そのつもりだったけれど、こんな事態に巻き込む気はなかった。私の短慮のせいだ……もしも誰かを恨みたくなったら、私を恨んでくれていいからな」

「まだなんにも始まってもいないのに分かんないよ。きっとなんとかなるって」

 そうか、と微かに笑って佳斗は目を細めた。私が不安なのと同じように、佳斗も不安に思っているのかもしれない。救われた恩もあるし尚更明日から頑張らないと。

「……お風呂、入りたい! 今日は早く寝て明日に備えます!」

 ざわざわと煩くなってきた心臓を振り切るように、百珈はソファから勢いよく立ち上がった。その威勢の良さに笑って、佳斗はバスルームの使い方を教えてくれる。

「……今夜はゆっくり休んで。期待してるからな」


§


 翌朝の九時すぎ。吉乃に案内されたのは基地内の中層にある地下運動場で、バスケットボールコート二面分ほどの広さはありそうだった。百珈がまだ残る眠気を引きずっていると、ひとまず基礎体力の測定と訓練から、と三千メートル走をすることになった。敷かれたトラックを淡々と走りながら、百珈は久しぶりの運動の感覚に体の節々から上がる悲鳴を聞いた。剣道部でも走り込みや階段を駆け上がる稽古はあったけれど、週に一回程度だった。その部活動からも離れて数ヶ月が経っているせいか、案外体が鈍ってしまっている。

 十三分半ほどのタイムで走り終えて床の上に転がると、ストップウォッチを手にした佳斗が可笑しそうにタオルを投げてくる。

「悪くないタイムじゃないか? 平均的だろ」

「めっちゃ脚が、早くなるスーパーパワーとかは、ないんですかぁ」

「そこに無いなら無いな」

 かなり善処したつもりだが、血の恩恵は治癒力ぐらいなのかもしれない。それでも充分なはずだけど、多くを求めすぎなのかな。じわりと押し寄せる焦燥感を飲み込んで、百珈は大きく溜め息を吐く。

 動いて体もほぐれただろう、と吉乃から組んだメニューについてざっくりとした説明を受けた。持久走や筋トレといった体力訓練と、剣技を養う近接戦闘術に基礎的な射撃訓練。それからシミュレーターによる仮想戦闘訓練。

「さあて、とりあえずキッザニアみたいなもんだと思って、気楽に全部試してみましょう。レッツゴー!」

「きっざにあ」

 テーマパークにしては殺伐としすぎているが、職業体験という点ではあながち間違いではないのかも。

 それからは佳斗と吉乃と共に、基地内の訓練施設を端から端へ巡る旅になった。


 まず案内されたのは四方八方が黒い壁に囲まれた広い部屋だった。高校の百人座れる視聴覚室と同じくらいかな、と百珈が天井の機材を見回していると、見たことのない形状をしたゴーグルやグローブを佳斗に装着させられる。目の前は暗い液晶しかなく、二人が部屋から出ていく気配がして戸惑っていると、

「そもそも呪鬼とは何かって話をしましょうか」

 耳元を覆うヘッドフォンから吉乃の声がしたかと思うと、システムの起動画面が液晶や壁面に映った。

「正確な発生日時は不明ですが、最初に呪鬼が観測されたのは二十五年前のことです。人間を襲ってその血肉を喰らい、存在するだけで瘴気を撒き散らして害を成す、災いのようなものですね」

 目前に展開されたのは都心部でよく見るような、繁華街の景色だった。これがシミュレーターか、と映像のリアルさについ手を伸ばしてしまうが、すぐ傍にあったネオンサインや自動販売機には触れなかった。

「感染症の世界的流行により都市封鎖がされていた時期でした。深夜の新宿駅北東部に現れ、当時は呪特もありませんでしたから出動した自衛隊により捕獲。現地討伐が出来ず、液体窒素で凍結し輸送されました。その時の騒動や死傷者は集団感染による区画閉鎖を理由に秘匿処理」

 夜の路上にふと細身の黒い人影が現れた。着物のような袖丈の長い衣装を着ているようにも見えたが、ゆらゆらと黒く滲んでいて細部は分からなかった。ただ頭部と思しき部分には感覚器官が存在せず、のっぺりとしている。百珈が目を凝らしていると、頭部の部分がゆっくりとねじれ、回転するのが見えた。現れたのは鋭く巨大な乱杭歯が並んだ獣の顎だ。

 これは仮想の訓練だ。今そこに実在しないと分かっていても、寒気が止まらなかった。かつて遭遇し、腹を裂かれた呪鬼と同じ空気を感じ取ってしまい、百珈は吐き気を覚えた。怖くて脚が竦む。ゴーグルを放り投げて部屋から逃げ出したら、怒られるだろうか。

「〝一号鬼いちごうき〟は異災生命科学研究所の前身にあたるラボに輸送され、様々な解析と兵器開発の下地になりました。呪特が現在使用している特殊装備の基礎はこの当時に開発されています」

「前方にある剣は見えるか?」

 佳斗の声につられて目を向けると、濡れたように青く光る直刀が地面に落ちていた。これが呪特の装備、というやつだろうか。百珈が恐々と拾い上げると、うっすらとゴーグルの向こうに柄を模したパーツだけが見えた。刀身は映像上くっついているだけで、実際に刃物を振り回している訳ではないらしい。

 少しほっとしつつ柄を握り込むと、静止していた一号鬼がゆらりと動くのが見えた。袖口から飛び出した爪が空間を振り払う。反射的に転がって無様に回避したが、一号鬼は間髪入れずに転回して百珈の喉笛に向かってぐわりと顎を開いた。震えながら剣を突き出してみたが、目を開けてられなかった。

「いやああ無理無理!まじで無理!怖すぎる!もう勘弁してください!急になんて戦えないよ!」

 ギブアップだった。柄を放り投げ、部屋の真ん中で頭を抱えてうずくまると吉乃の明るい声が聞こえてくる。

「ごめーん、突然すぎましたね。説明だけよりも分かりやすいかなと思い」

 確かにインパクトは絶大でしたけど。涙目をこじ開けるとゴーグルの映像は消えて、元の室内が見えた。立ち上がれないまま床に転がっていると、部屋に戻ってきた佳斗に背中をさすられてハッと我に返る。

「大丈夫か?」

「……初っ端から己の無力さを痛感している所存。雑魚すぎて笑えない……」

「練習のための練習みたいなものだ、気にするな」

 ほら、と差し出された手を握ってようやく立ち上がれた。シミュレーター用の装具を回収されて心底安堵してしまう自分が情けない。また斬られる恐怖と痛みが条件反射のように刷り込まれてしまった。あれと戦って、倒せるようにならなくちゃいけないなんて、まだ想像がつかない。

 恐怖の余韻を振り落とすように、息つく間もなく次の訓練へと案内される。少し休憩したかったけれど、ここはテーマパークじゃないから弱音も吐いていられない。


 近接戦闘術用の訓練室に立ち入ると、検査の際にも見た覚えのある場所だった。佳斗が手合わせしている様子を俯瞰で見た記憶。武器庫も併設されているようで、隊員たちが主要な武器としている破敵剣はてきけんについて説明を受けることになった。名前の響きからして神仏の加護のようなものを感じてしまう。

「えっと……通常の兵器じゃ太刀打ちできない、って前に衛藤さんが言ってたけど……特殊装備ってお祓いとかお清めした武器ってこと?」

「いや、呼び名は神器にあやかっただけでこれ自体は普通の直刀だ。呪鬼を倒すための血清が刀身の筋彫りから染み出す仕組みになっている。この血清に含まれる抗体が呪鬼にとっては毒性で、急速な自壊を誘発させるんだ。一号鬼を生体試料として解明された呪鬼の弱点だな」

 木綿の柄巻は一般的な模造刀の握り心地だったが、頭の部分がやや特殊な形状にくぼんでいた。試験管に似た樹脂製のボトルをそのくぼみから柄の内側へ押し入れると、刃紋から棒樋ぼうひにかけてがツウ、と青く潤んで光る。

「血清は使用者が判別しやすいように染色されてる。この青が切れたらボトルを再装填するんだ」

「……なんだか綺麗だね」

 銀色の刃と青白い毒、怪物を退治する武器にしてはどこか気品のある造形に思えた。霊験も加護もない科学の結晶だけれど、冷たくて凛としている。

 百珈の呑気な感想にも呆れずに、佳斗は笑って目を細める。

「私も昔は剣を使ってた。百珈の適正次第ではきっと良い相棒になってくれるはずだ」

 そうだ、佳斗は銃の人だった。手合わせをしていた時の動きは淀みなく、ブランクがあるようには見えなかったのに。

「体験入隊中は練習刀が主だから、当面使うことはないと思うが……仕組みだけでも覚えておいてくれ」

 静かにもう一度柄を握りしめて、百珈は剣を手放した。この真剣を使える日が来るといいけれど、まだ何一つ分からないもの。過度な期待はしない方がいい、と思いつつも白刃と青のきらめきが脳裏に焼き付いてしまっていた。

 

 今日最後の案内場所、と立ち寄ったのはシューティングレンジだった。室内に十個以上のレーンが整然と並んでいる。先客と思しき女性隊員がロングレンジの中でライフル射撃をしていた。束ねられた髪には鮮やかな桃色のメッシュが混ざっており、その甘い風貌と無骨な銃器の温度差に百珈はつい目を奪われてしまう。分厚い防弾ガラスの向こうからは等間隔に銃声が鳴り響いていた。

「今日は射程距離の短いハンドガンから練習してみようか」

 控室の壁にはガンラックが並んでいたが、やはり無造作に飾られている訳ではないらしい。佳斗に言われてセキュリティシステムに百珈が名札と顔認証をすると、ロックが解除される音がした。

「部隊の主力装備は私も使っているアサルトライフルになる」

 佳斗が示した銃はトリガーの前辺りにHK416と刻印がされていた。大きくて重たそうだけれど、佳斗は易々と取り回しているように見えた。百珈が練習に使う銃には、スライド部分にSFP9と刻まれている。まだマガジンが入っていないせいもあるだろうが、初めて手にした銃は非常に軽かった。

「こっちは副兵装サイドアームとして支給されている。剣の補助として選ぶ隊員も多いな」

「実弾を撃つの……?」

「いい質問ですね」

 きらりと眼鏡をきらめかせてから、吉乃がラック下から弾薬の入ったケースを引っ張り出した。空っぽのマガジンへと慣れた手付きで弾込めをしながら、そのうちの一つをつまんで百珈に渡してくる。映画などでよく見る小さい弾薬のようだったが、尖った弾頭部分は強い青みを帯びていた。

「この青って、もしかして剣の血清と一緒ですか?」

「大正解。市街地での発砲が多いことと、そもそも呪鬼には実弾が効果的ではないので低致死性の特殊弾を使用しています。弾頭は血清と金属粉末を混ぜた素材で、いわゆるフランジブル弾という銃弾と同じ仕組みですね。呪鬼の表皮に僅かな傷さえ与えれば、自壊を誘発させるのは剣と一緒です。呪特ではセラム弾と呼んでいます」

「比較的新しく導入された武器で、吉乃のアイディアで開発から実装までこぎ着けた特殊弾なんだ。語らせると長いぞ」

 うっそりと笑う佳斗に「話が長くて悪かったわね」と吉乃がむくれた表情を向ける。

「近距離での戦いになると隊員の殉職率が高かったのよ。命を守るためにも私たちには飛び道具が必要だった」

「私も移行したクチだし、実際立ち回りやすくなったからな。助かってるよ」

 いざ褒められると気恥ずかしくなったのか、吉乃は小さく咳払いをした。

「通常の銃弾より火薬量も少ないので飛距離や弾道に癖はありますが、当たっても致命傷になりづらいです。呪鬼が放つ瘴気が有害なので現場からは人避けをしていますが、万が一が無いとは言い切れませんし」

 確かに、自分のように巻き込まれてしまった人間もいる。百珈はやや頼りなく感じる拳銃のグリップをきゅ、と握りしめてみた。剣の重さが枷にならない分、動きやすいのかもしれないが、あまりに未知すぎて使いこなしている自分はまったく想像できなかった。

「基本的な使い方や注意点をお教えしますので、その後に撃ってみましょうか」

 拳銃の扱い方から、他者に銃口を向けない、撃つ時までトリガーには触らない、といった基礎であり最も重要なルールなど、吉乃からの指導をみっちり受けてからレンジへと向かう。ちょうど訓練を終えた先客の女性隊員は装備を片付けて引き上げるタイミングのようだった。

「あ、佳斗先輩も加賀美分析官も、おつかれさまです」

「おつかれ、結彩ゆあ。練習は終わり?」

「はい。出動も無さそうだし午後休もらえたのでマツパとネイルのメンテ行ってきま~す」

「ネイルサロンか。相変わらず熱心なことで」

「今月の爪、冬っぽい白かシンプルめなピンクにするか悩んでるんですけど、先輩的にはどっちがいいと思います?」

「この前も今もピンクだったろ。そろそろ白じゃないか?」

「そっかあ、じゃあ白にしよっかな」

 佳斗と親しげに話す隊員はふわりと笑ってからガンケースを背負い直した。支給される上着以外は服装も自由なようで、ハーフツインに結われた髪やフリルの多いショートパンツはざらめをまぶした飴のようにキラキラと輝いて見えた。お人形みたいだ、と百珈が見惚れていると結彩と呼ばれた隊員がこちらをくるりと振り返る。

「おっ、あなたがウワサの新入りさんかな? あたし大宮おおみや 結彩ゆあって言います」

「わっ、えっと、奈砂 百珈です……!」

「別班だからあんま絡みはないかもだけど、呪特じゃ貴重な女子枠だし仲良くしてね~」

 ニコッと微笑んでからピースをしたかと思うと、結彩は颯爽とシューティングレンジから出て行った。ウワサの、という部分が引っ掛かってしまったけれど、こんな人生経験すら浅い素人がホイホイ部隊に混ざったらそりゃ話題にもなるか。クラスに入ってきた転校生が幼稚園児だったら、驚かれるに決まってる。

「今日も慌ただしい子だな。結彩は後方支援の狙撃手だから、ここに来れば大抵会えるよ」

「後方支援って役割もあるんだ……」

「あの子のいる班は突撃したがるヤツが多いからな」

 佳斗はそう苦笑がちに零してから、百珈にイヤーマフを手渡した。ブースに入って、もう一度手順を教わってからマフを装備すると世界がぼわっと遠くに感じる。マガジンを装填した銃が妙に重く感じられて、十メートルほどしか離れていない紙のターゲットが蜃気楼のように揺らいで見えた。

 初めて引いたトリガーは重たかった。覚悟していたけれど予想以上の反動、火薬の匂いと閃光。これが本来の実弾だったら、と考えると恐怖が勝ってしまいそうで意識を空にする必要があった。この特殊なセラム弾だって敵を殺すという目的は一緒だ。怖い、どんなに深呼吸をしても手の震えが収まらなくて、思うように照準を定めることが出来なかった。

 二十発ほどを撃ち切り、ホールドオープンになった銃をそっとカウンターに置いた。吉乃の操作で吊り下がっていたターゲットが目前までするすると移動してくる。

「こりゃ弾が可哀想だね」

「初めてだし仕方ないだろ」

 今回使ったのは弓道場で見るような同心円の標的だったが、当たっている弾自体が稀という惨憺たる結果だった。紙の端にかろうじて当たっているのが二発、それ以外は円にかすめてもいなかった。この近距離でこんな有り様じゃあ、先が思いやられるだろうなあ、と百珈は他人事のように用紙を見上げた。

 三人揃ってひとしきり的を眺めてから、佳斗がぽんぽんと百珈の背中を撫でた。

「良く言えば練習し甲斐があるし、百珈は剣に絞って練習する手もある。誰にだって向き不向きはあるからな!」

 うわあ!めちゃくちゃフォローされてる! と落ち込みかけて、百珈はぐっと唇を噛み締めた。もともとあれもこれも器用に出来るタイプじゃないのだ。

「やっぱり私には剣道しか取り柄がないのかもしれない……ほら、料理だって包丁使うじゃん……? 竹刀と包丁って親戚だし」

「おーい、まだ諦めさせないからな? 逃げるなよ?」

「はい……練習しまぁす……」

 そう返事をしたものの、盛大な溜め息が零れてしまう。百珈の今後の訓練方針について話し合いを始める佳斗と吉乃をぼんやりと見つめる。

(佳斗みたいにかっこよく戦ってみたかったし、さっきの結彩さんだって真剣そのものだった)

 誰もいないレンジを彷徨うように歩いて、壁に貼られているターゲット用紙を見つける。ブルズアイを綺麗に貫いて大きな破れ穴になった用紙には佳斗の名前が記されていた。やっぱり優秀な人なんだ。自分が並び立つには本来程遠い存在なのかもしれない。

 ふと機械的なアラート音がスピーカーから流れて、百珈はびくりと飛び上がった。出動要請のコールらしく、芦矢班の名前が含まれていた。班と言っても一人なのだろうけど。

「悪いな百珈、今日はとりあえず昼休憩に入って、後は吉乃からの指示に従ってくれ」

「佳斗はお仕事……?」

「ああ、行ってくるよ」

 気をつけて、と言う間もなく佳斗は足早に射撃場を出て行った。かと思えばまたカツカツと高いヒール音を鳴らして戻って来る。

「これ、私の部屋の合鍵。先に帰ってて」

 またな、と笑って彼女の艷やかな銀糸の余韻が光って残る。百珈は呆然と手の中に収まった鍵を見つめて、きゅう、と強く握りしめた。あっさり渡されてしまったけれど、何故か嬉しさと気恥ずかしさがない混ぜになって頭が混乱してしまう。こそばゆい、と思ってしまうのはそれこそ的外れなのかもしれないけど。

 これはただの鍵だ、彼女の家に帰るための。

 百珈はぐるぐると騒がしい意識を振り払うように、吉乃の元へと駆け寄った。

 ちゃんと練習して、帰ってきた佳斗に少しでも良い報告がしたかった。

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呪鬼祓う白花 蜜井 眠 @mitsui_zzz

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