One cigarette, one puff of smoke, one soul flowing away.

八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)

一本の煙草、一服の煙、流れゆく一人の魂


 クリストファー・リディアック・スナイダー大尉に捧ぐ


 本国のガナード州カスペンスの街にも春が訪れていた。

 桜やタウベントの木々の花が咲くガーリッシュ国立公園の池の畔を夫婦となったドルフェーとロルッシュは歩いている。飛行するには絶好の日和ともいえる澄んだ青空、吹く風も穏やかで心地よく、湖畔の水鳥たちも春を味わい楽しんでいるかのように水面をあちらへこちらへとゆったりと泳いでいる。


「今度、王都ガナードに来て欲しいって母様が言っていたわ、そして多分、父様とも長い話になると思う」

「ああ、いいよ。でも、長い話は勘弁してほしいね」

「ごめんなさい。いつものそうなのよ。私も一緒に聞くから我慢してね」

「歴史の話かな?」

「いいえ、今後の話らしいわ」

「伯爵家の?」

「そう」

「なんてこった」


 ドルフェーが頭に手を当てて困った素振りを見せると、クスクスと可愛らしい笑い溢しながらロルッシュはその背中をやさしく摩った。

 あの戦場での告白から2年ほど過ぎ去っていた。

 軍広報部に相変わらず勤務しているドルフェーは戦後処理に関わり、広報部での割と目立たないけれど現実的な任務を成し遂げたことにより順調に階級を重ねた結果、准将へと昇進していた。第10航空群独立分隊の「リーススタリオル」のヘリパイだったロルッシュもその卓越した技量によってドルフェーが過去に所属していた本国教導隊にヘリとセットで転属となり階級も大尉へとなっている。

 2人は本国教導隊と空軍総司令部のあるカスペンスの街に引っ越してきて、小さな家を買って静かな夫婦生活を営んでいた。多少の不自由すら楽しみへと変えることのできる夫婦であるから、それほど困ったことは無い、だが、どこの夫婦にも解決に途方もない労力を有する問題の一つや二つがあるように、2人を悩ませる大きな問題が立ちはだかっている。

 付き合い始めてからドルフェーが知ることとなったのだが、ロルッシュの生家は建国時からの伝統と格式の誇る由緒正しい古参貴族であり、その御息女であったことだ。長女ではなく次女とのことであったので跡継ぎ問題には巻き込まれないだろうと胸を撫で下ろしていた2人であったが、姉妹で結婚したのが次女だけであり、そのお相手を彼女の両親が大変に気に入ってしまったことで徐々に雲行きが怪しくなってきている。早い話が「跡取りになれ」とのアピールを両親と「これ幸い」と厄介ごとから逃げようと画策する姉と妹からのメッセージや食事会で暗に伝えられて2人はやや疲れていた。


「ごめんなさい、面倒ごとに巻き込んでしまって……」

「いいよ。君とならの乗り越えられるさ」

「うん、貴方となら乗り越えられると思う」


 新婚から日を経てもなお蜜月のような関係は変わらず、ご近所でも熱すぎるが故に噂になるほどの2人は手をしっかりと握り合いながら肩を寄せ合って少し木々の茂る散策コースへと足を向けた。互いにお気に入りで林を抜けてゆく心地よい風を味会う場所で定番のデートコース、でも、毎月24日に重なる日だけはルートを変更する。

 煉瓦で舗装された小道をゆっくりと歩き、公園のシンボルツリーでもあるタウベントの大樹で左右へと道は分かれるのだが、今日は右ではなく左へと折れてゆく。やがて煉瓦の小道は途絶え、純白の大理石の敷き詰められた空軍国立墓地へと2人は足を踏み入れた。


 ドルフェーにとって生涯忘れることない女性が白い墓石の下で眠りについていた。


 空軍総司令部の3つある庁舎で比較的新しい建物の1階に戦死した将兵を祀る霊廟がある。

 多種多様な宗教で彩られるこの国においては特定の神像などが置かれることはなく、静寂に包まれた純白のホールに巨大な国旗と空軍旗が掲げられているだけだ。その両側には数多くの戦死者名を刻んだメモリアルボードがあり、ときより遺族が訪れてはその名に触れて涙を零しているのを見かけることもある。

 部屋の中央部には戦功著しい者達の、その功績からすれば細やかすぎるほどの銅像などが並び、その中の1つにフライトグローブをつけた両手でしっかりと操縦桿を握っている鋳型の彫刻があった。


『空の大天使、クリストファー・リディアック・スナイダー大尉を讃えて、陸軍第3師団、海軍海兵第2師団(ストーム防衛作戦従軍将兵一同より捧ぐ)』

 

 空軍総司令部へ陸軍や海軍の将兵が任務を帯びて訪れる度、霊廟に敬礼を向け、そしてこの彫刻にも必ず哀悼の敬礼を捧げてゆく。同じように空軍にも登庁する度に必ず敬礼を捧げる人間が1人いた。

 

 それがドルフェーである。当時は中尉であった。


 丁度、ドルフェーが戦闘機部隊から落第生の烙印を押されて追い出された頃、空軍では救難救護ヘリ部隊の増設が決定されたところで人員を募っている最中で、彼はすぐに部隊移動と機種転換訓練に回された。


「失礼します、ドルフェー中尉入ります」

「お、きたな」


 3週間の機種転換訓練を終え、休む間もなく辞令と命令書を手渡され輸送機へと放り込まれた。

 行先は激戦地のガルガンダ砂漠にあるストームという中規模都市だ。

 敵軍領地へと侵攻作戦が実施されたばかりで、ようやく制圧に成功し掌握したばかりの最前線だった。街の近くにある飛行場にプレハブで新設されたばかりの救難救護ヘリ部隊第8小隊室に命令書の指示通りに入室すると大柄な女性大尉がステンレス机に両足を投げ出だして葉巻を燻らせながら退屈そうに座っていた。

 男性と錯覚しそうなほどに短く刈り込んだ髪に中性の容貌、唯一、大きく張り出した胸が女性であることを体現していた。


「スナイダー大尉だ、よろしく中尉。評価表と軍歴は持ってきたか?」

「はい、戦時特例で急ごしらえではありますが、こちらになります」


 差し出されたファイルに目を通しながら、時より視線を周囲へと向けては書類へと戻す、自然体で行われるヘリパイ特有の行動に熟練度が伺い知れた。


「なんだ、こっちの方がよほど向いているじゃないか、いいね、こういう奴を待っていたんだ」

「恐れ入ります」

「よし、では、機に案内しよう、先に言っておく、定番文句になるが、地獄へようこそ、中尉」


 机から脚を下ろして立ち上がった彼女が握手を求めてきたので応じると、背筋が凍るような声でそう告げられた。


 その後は、まさしく地獄だった。

 

 救難救護ヘリは汎用ヘリに増槽と降下用アタッチメントを付けただけのものだ。防弾処理は底部に装甲板を張り付けただけの気休め程度の代物で、ときよりそれに弾が当たって弾ける金属音を奏でる。

 2名のヘリパイと2名の衛生兵で1チームを編成しているが、衛生兵は精神をやられることが多いため交代制で定まることは最後までなかった。

 救難救護ヘリの性質上、負傷者を救護するのが基本任務であり、砂漠のあちらこちらにある前線基地に赴いては偵察や戦闘で負傷した者達をストームの臨時野戦病院に搬送することが基本とされていたが、現実はそうではなかった。

 ドルフェーはそこで数多くの負傷者を見た。それは戦争を間近で見たことに他ならなかった。

 空軍は空から攻撃をするのが主務だ。だから、負傷兵はそれほどでない。だが、陸戦は違う、敵味方の銃弾が飛び交う中を兵士達は駆けまわっては制圧すべく戦いを繰り広げてゆく。硝煙の匂い、機関銃の銃声、そして怒声。激しい爆発音と兵士を巻き込んで吹き飛ぶ建物、そんな光景を上空から確認しながら、スモークの焚かれた地点へと素早く降り立つことを求められる。


「急げ!早くしろ!」

「何人いる?」

「馬鹿野郎、そんなに乗せられる訳ないだろ!」

「重傷者からだ!」

「は?息がある?下体が吹き飛んで内臓が出ているのに救えるか!」

「お前は軽症だ、こんな擦り傷のような怪我で乗るんじゃない、銃を持って戦闘に戻れ!」

「腕はここにある。受け取っているから気にするな」

「両足?くっついているから大丈夫だ。とにかく安め」


 着陸すれば衛生兵の怒鳴り声は日常茶飯事だった。

 荒れた戦場では特に口数も多くなる、もちろん、衛生兵は口悪いが冷静だ。ブレードとエンジン音の中では大声で怒鳴るしか機外の相手と会話するすべはない、相手もまた極度の緊張から声が荒くなるから、結果として怒鳴り合いのように聞こえ、それはヘッドセットのマイクを通じてこちら側にも聞こえていた。


「機長、やってくれ!もうこれ以上は乗せられない」


 衛生兵の声が告げるとスナイダーはドルフェーに向かって頷く。


「分かった。離陸する。」

「周囲に警報なし、目視でも異常なし」

「上がる!」


 ローターを廻すエンジン音が高鳴ると同時に機体がふわりと上昇を初めてゆく。


「次だ!次も来る!すまない!許してくれ!」

 

 衛生兵が収容できない兵士達へ告げる最後の言葉はいつもこれだった。

 戦場を飛び立っても安心はできない、制空権は確保されているとはいえ、元は敵国領土でもあり地理的には甚だ不利な状況だった。


「点滴は?」

「ルートは取った、大丈夫だ」

「おい、傷口から出血している、なんだこの止血処理は!?」

「災厄だ、血圧が低い、昇圧剤を使え」

「いや、無理だ」

「どうして?」

「ヘルメットを外そうとしたら中が血の海だ。頭を撃ち抜かれて多分弾が留まっている」

「そうか……残念だ」

「モルヒネを打ってやれ、穏やかに逝かせてやろう」

「ああ」

「さ、次だ、足が無いな」

「受け取って箱に入れてある、止血処置はさっき済ませた」

「点滴と……」

「おい、こいつ手榴弾を付けたままだ」

「なに?とっとと捨てろ」

「機長、地上付近に友軍は無いか?」

「居ない、投げ捨てていいわ」

「了解」


 飛行中も救命措置が施されてゆくが、結局として救える命もあれば救えない命もある。現実としてそれは操縦席の後ろに常に満ちていた。着陸する度に救護車輛に生きている者は載せられ、生を失ったものは丁重に納体袋へ収められて運ばれていく。

 最初は心が荒れたドルフェーも2週間も経たないうちにすっかりと慣れてしまった。

 ヘリからすべての兵士を下ろし、蛇口を捻り水を出したホースを伸ばして機内の扉をすべて開け放って洗い流す、最初は拭いていたが、スナイダーから水で流せと半分命令のようにきつく指示された。

 それが身を護る術だと言われて。そして結果として正しかった。

 水で流してしまうと赤く染まった水がやがて透明に変わると、不謹慎なことに綺麗になったと思えた。

 その血の意味を深く考えることも無くなってしまった。


「綺麗な夕日だな」

「ああ、何をやっているのだろうな」

「戦争さ」

「これが?」

「そうさ、日の出から日の入りまでの日常さ」

「無事に家族の元へ帰してやらないとな」

「ああ、俺らで送り出してやるんだ、今日の夕日が拝めるのも彼らのお蔭なのだからな」


 ある日、中隊の1つが全滅するという痛ましいことがあり、ストームから後方基地へと納体袋の戦友を乗せて搬送することになった。輸送機では事が足りずにヘリ部隊も駆り出されたのだ。帰りに救護の可能性もあることから衛生兵も付き添い、編隊を組んで飛行しながらヘッドセットを通して衛生兵の会話が聞こえてくる。

 砂漠に沈んでゆく真っ赤で大きな夕日は美しく、沈みゆくまでに大地に血を滴らせるように見えてしまったのは幻影ではないと誰しもが思った。


「敬礼!」


 後方基地で戦友を下ろすときは必ず整列して敬礼で見送る。

 黒い袋を6人がかりで糊のきいた綺麗な軍服を着た兵士達が持ち上げて搬送車へと運んで行く。風の音と軍靴の音が鳴るだけの世界、やがて、搬送をすべて終えると機体をチェックしてから、ナイトビジョンを用意してゆく。すぐにストームに戻り、そして明日の搬送に備えなければならない。

 慌ただしく準備を進めてゆくドルフェーに急に背後から若い声が掛けられた。


「すいません、空軍救難救護ヘリ部隊第8小隊のヘリでしょうか?」

「ええ、そうですけど……なにか?」

「陸軍第三師団の者です、ストームに派兵されることになったんですが、輸送機が足らず、できれば空軍のヘリに頼み込めと命令を受けまして……」

 

 新兵訓練を終えたばかりの若者で、胸には志願兵であることを示す緑のリボンが縫い付けられていた。


「でたらめだな、なんだ、high schoolのでたばかりじゃないか?」

「途中で軍に入隊しました。ようやく戦地で戦えます」

「そうか」


 スナイダーもドルフェーも衛生兵達も、その嬉しそうに笑う顔を見て言葉を発することができなくなってしまった。新品の制服に背嚢、自動小銃を手にしたあどけなさの残る若い新兵に投げかける言葉など見当たらなかった。


「何人乗るの?」

「できれば6人ほど」

「同じくらい?」

「はい、同じ学校で志願した者ばかりで顔見知りです」

「そう、いいわよ。載せてあげる」


 スナイダーがそう言って笑顔を見せると、その新兵を大きな胸の中へと抱き寄せて、しっかりと抱きしめた。


「どう、女の人の胸は初めて?」

「え、あっと、はい」

「私の自慢のおっぱいよ、触れたこともないでしょ、服の上からだけど覚えておいて」

「覚えて……」

「そ、怖くなったらこれでも思い出して、奮い立ちなさいってこと、あ、別のところも立っちゃうわね」

「す、すみません」

「頑張って、そして死なないようにしてね」

「はい」


 新兵を離して仲間を呼びに行かせる、その目が柔らかく潤んでいたことをドルフェーは見落とさなかった。

 結果として若者が他の6人にも若さゆえに自慢してしまい、「もう、安くわないのよ」と溢しながらもスナイダーは全員を抱きしめて同じように声をかけた。

 離陸したヘリの中でも若者達は口数が減らなかった。衛生兵が下世話なレクチャーを始めたのをスナイダーが叱り飛ばして、大笑いしながら帰路を飛んで行く。


「ありがとうございました!」

「はい、頑張ってね」

「敬礼!」

「ご苦労さま」


 新兵の敬礼に返礼をして7人は集合場所になっているハンガーへと走って行った。その後ろ姿を全員で姿が見えなくなるまで見送ると、衛生兵の1人がメモを差し出してきた。


「これ、機長に渡しておいてくださいと、あの一番最初の若いのから」

「そう」


 名前はあえて聞かなかった。聞けば傷になるからだ。


『とても温かな抱擁をありがとうございました。思い出して頑張れます。皆に言ってしまってごめんなさい。クラウス・クシュナー2等兵より美人のお姉さんへ』


「美人のお姉さんへだって、私の綺麗さに気がつくなんで気が利くわね」

「なかなか気が利いていますね」

「なに?嫌味?」

「いいえ、なんにも」

「ドルフェー、あなたにも伴侶ができたら私に何度でも報告をしに来なさい」

「え?」

「その頃には平和になっているでしょ、といっても、こんな美人のお姉さんが隣にいるなら目が肥えちゃうわね」

「運命の人くらい探し出して見せますよ」

「あはは、期待せずに待ってるわ」


 気分の良い時にしか吸わないミニシガーをポケットから取り出したスナイダーは笑いながら火を点けて一服つけると、味わうように煙を吐き出したのだった。


 それが起こったのはあれから1週間後のことだった。

 深夜に突然、基地の外周で爆発が起こり、そして市内に砲弾が降り注ぎ始めた。敵情偵察隊が偵察に手を抜いたのか、それとも漏らしてしまったのか、そこは未だに判明していないが、ただ、強襲を受けたことは間違いない。

 砲弾が街に降り注ぎ、戦闘機隊が慌てて離陸して混乱しながらも陸上部隊が迫りつつある敵兵力と戦闘を開始した頃、スナイダーもドルフェーも同じように離陸に向けて準備を大急ぎで始めていた。

 2人とも休暇日であり、ずっと兵舎のそれぞれの個室で惰眠を只管に貪っている最中の攻撃だった。大慌てでベッドから飛び起き、飛行服を着用しヘルメットを持って外へと飛び出すと街の方から火炎が立ち昇るのが見えていた。基地内は混乱しているものの指揮系統はしっかりしているようで、陸軍兵と海軍海兵師団の兵士達が装甲車や輸送車で出動してゆくのが見えた。


「ドルフェー、離陸準備するわ!」

「はい」


 滑走路に被害はなく、隣接している駐機場のヘリも被害は受けていない。遠くの空でオレンジ色の光が見えると流れ星のように地面に落ちて爆発してゆく。戦闘機による爆撃が始まったようで、敵の砲撃の数も音も見る見るうちに減っていくのが分かった。

 全速力でヘリへと駆け込み、すぐに点検に入る。整備士がローターを廻すように指示を出していた。


「油圧計、燃料、システム共に問題なし」

「チェック、ノーマル、よし、始動」


 エンジン音が聞こえて徐々に回転数の上がる音が響いてくる、ゆっくりとブレードが回転し始めて徐々にヘリが目を覚ましてゆく。


「ナイトビジョンを常にオンにしておいて」

「はい」


 ヘルメットのバイザーを下ろし、そしてその上から双眼鏡のようなナイトビジョンのスイッチを入れておく。互いにランプがついていることを確認し合い、衛生兵が乗り込んでくると、すぐに負傷者が搬送されてきた。野戦病院の機能では回復の難しい者達が初期治療を施されては運ばれてくるのを収容し離陸する。


「手当は俺たちよりうまい、だから安心しろ、後方基地まで運んでやる」

「大丈夫、手を握っていてやるさ」

「機長、飛ばしてくれ!」


 衛生兵の声は穏やかだった。

 それが本当に大丈夫なのか、どうなのか、操縦席の2人には理解はできなかったが、最後の合図で機体は空へと飛び立ち、戦場の上を飛びながら後方基地を目指した。途中までは緊張を強いられたが、やがて、砲撃や銃声が聞こえなくなると、機内はエンジン音のみの静寂に包まれる。後方基地までのフライトをこれほど長く感じることは今までに味わったことが無かった。


 後方基地に着陸し負傷者を下ろして再度の離陸のために準備を進めている時の事だ。後方基地の空軍部隊司令が飛行禁止を命令して滑走路を閉鎖するという情けない行動に出た。今もこの命令の可否について軍法裁判が行われているが、その命令に耳を貸さず無視をして、飛び去った最初の1機がスナイダーとドルフェーのチームだった。

 その命令に烈火の如く怒り狂ったスナイダーは離陸を止めるべくやって来た基地司令に対して思いっきり怒鳴り散らした。


「私の上官は今もストームで指揮を執っている誇り高い男よ、アンタみたいな穴倉の根暗男とは違うわ!」


 そう全軍広域無線で嫌がらせのようにぶっ放すとチームを乗せたヘリは離陸してゆく。触発された別部隊の連中も直ちに離陸を初めて編隊となって一路にストームへと向かった。

 これほどの地獄は後先にも経験することは無いだろうと思われるほどに、ストームは地獄と化していた。着陸するとすぐに負傷者が運ばれてきては搬送を繰り返してゆく。

 穏やかだった衛生兵の言動が、徐々にいつものように熱を帯びてくると、手当すらも満足に行えていない現状であることが暗に伝わってきた。


「大丈夫だ、このヘリには司令官すら平手打ちできる機長が操縦しているからな、間違いなく助かるぜ」

「ああ、だから安心しろ」


 痛みに苦しむ傷病者にそう語りかけながら、衛生兵は治療の手を緩めることなくできうる限りの治療を施し、後方基地に着陸しては物資を補充し補給物資を乗せて再び離陸する。

 給油は常に稼働状態で行われるためどちらの基地でも極度の緊張に包まれていた。


「こいつら……あの時の…‥」

「ああ」


 一段と暗い声で衛生兵がそう言った時、2人は振り向かずにはいられなかった。片手と片足を失った手紙を書いたクラウスという青年が意識を失って救護担架に乗せられていた。ほかにも3名が片手だったり片足だったりに銃弾を受け傷だらけの姿で横になっているのが視界に入った。


「おい、覚えてるか、俺らだぞ」

「し、死んじゃいました。他の奴ら、隣に居たのに、隣で……」

「お前は生きている、なら、しっかりと生きろ、いいな、ここでくたばることは許さんからな、俺が責任を持って救護してやる」

「でも、あいつら置いていくわけには……」

「もちろん、あとで連れていく、胸のデカい機長に任せとけ、機長、やってくれ!」


 いつもより若干荒い離陸だった。

 動揺が操縦桿に伝わっているような気がしたが、ドルフェーがナイトビジョン越しにスナイダーを見つめても、ヘルメットの中の表情も操縦桿を握る手さばきもいつものように見えている。


 だが、これがスナイダーのラストフライトになることになるとは、誰しもが思いもしなかったし、本人も思っても居なかっただろう。


 空軍検死報告書には以下の通りに記載されている。

『後方基地への飛行中において狙撃もしくは何らかの手段により、右下部から右側面に多数被弾、スナイダー大尉の側頭部を1発が貫通、右手右足にも複数の被弾痕あり、ほぼ即死と思われる』

 

 実際は即死ではなかった。ほんの2~3分は意識があり、ドルフェーと最後の会話をしている。空軍はこの記録をスナイダーの名誉のために抹消したのだ。


 銃撃後、アラートの鳴る機内でドルフェーは計器類を確認しながら、衛生兵が精いっぱいに操縦席へと体を伸ばして手当を施しているのを見つめた。


「無理でしょ、頭が死ぬほど痛いわ、それに出血も多すぎる。無理よ。ドルフェー、前が見えないのだけど、私、操縦桿はしっかり握れている?」

「ええ、しっかり握っています、被弾後とは思えないほどに安定飛行しています」

「そう、機体は大丈夫なようね。スティックを譲るわ」

「受け取ります」

「ふふ、少しは戸惑いなさいよ。あ、ドルフェーお願い一ついいかしら?」

「なんでしょう?」

「ポケットのリトルシガーを咥えさせてくれる?今だけ規則を破るわ」

「ええ、かまいませんよ、でも、届きそうにないので衛生兵にさせますね」

「いいわ、迷惑かけるわね」


 頷いた衛生兵が押し黙ったままスナイダーの胸ポケットにあったリトルシガーを取り出して口元へと当てるとスナイダーはそれをしっかりと噛み締めた。


「ちょっと血生臭いわね、ああ、私の血か」

「火くらいは私がつけますよ」

「お願い、オイルや燃料の匂いは無い?漏れは大丈夫?」

「ええ、大丈夫です」

「そう、なら、お願い」


 ドルフェーはポケットに入れていたライターを点けると、精一杯に腕を伸ばしてリトルシガーの先へと向けた。

 じりじりと葉を焼く音が聞こえた気がした。

 実際はアラートの音で喧しかったから聞こえるはずはないのに、スッと息を吸い込む音と、そして、ゆっくりと白煙を吐き出す息の音さえも聞こえてきたような気がした。


「ありがと、美味しいわね、ねぇ、見えないけど、操縦桿をしっかり握っている?」

「ええ、握っています」

「そう、じゃぁ、大丈夫ね、あとを任せるわ、ドルフェー中尉」


 それ以降、通信記録には彼女の声は録音されていない。

 ただ、時より何かが燃える音が聞こえていて、後方基地への着陸間際にドルフェーの声が一言だけ記録されていた。


「ああ、魂が煙となって消えちまう……」


 それからもドルフェーは部隊に残り続けた。

 スナイダーの遺志を継ぐように、戦場を駆けまわり、そして救難救護ヘリの操縦桿を握り続けた。やがて勲章を授与されて本国教導隊への移動となるまでそれは続いた。

 空軍公式記録ではスナイダーの行動によって膨大な数の負傷兵が救われたことが記されている。当時を知る者達はあの広域無線でぶっ放された言葉に救われたのだと口々に言い合い、クラウス2等兵の請願に始まったメモリアル記念碑の鋳型彫刻へと繋がった。


 白い墓標の前でドルフェーとロルッシュは足並みを合わせて立ち止まる。芝生は青く、空は果てしなく青い、砂漠のことなど微塵も感じさせないほどの場所なのに、なぜか、砂塵と硝煙と、血生臭さが漂う気がした。


『クリストファー・リディアック・スナイダー 美人のお姉さん、ここに眠る』


 墓碑銘はそう書かれている。

 あの手紙はずっとポケットに入っていたのを後に知ったドルフェーは墓碑にそれを彫って貰った。

 その言葉を見る度にあの笑顔が思い出される。

 白墓碑の下に勲章が1つ埋め込まれており、それはドルフェーが授与された「最高位戦闘救護勲章」だ。本来なら叙勲するのはスナイダーだったはずだと言い、遺族の了承を経て墓へと埋め込んだのだ。


「敬礼!」


 ロルッシュはドルフェーからスナイダーのことを聞いてから、墓参りには必ず一緒に訪れている。

 姿勢を正し2人揃って墓石へと敬礼を向け、ゆっくりと時間をかけて終えると2人は墓を後にしてゆく。


 今は素敵な伴侶と共に平和に暮らせていますと心から報告をして。

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