鬼瓦の純情

堂場鬼院

第1話 土産

 平日の午後の病院は静かで受付係も眠気を催していたが男が現れたことでいっぺんに吹き飛んだ。

「こっ、こんにちは……」

 椅子から思わず立ち上がり声を上ずらせて挨拶する。人員削減で仕方がないとはいえいまほど受付一人体制を心細く思ったことはない。

「どっ、どちら様でしょうか……?」

 だんだん体が震えてきた。受付係は努めて愛想笑いしているのにきた男といったら強面で睨んでくるわ口角は引き上げるわまったく鬼も裸足で逃げ出す雰囲気である。

「……こんにちは」

 わ、笑った……!? 笑ったんだこの人!! めちゃくちゃ怖くて泡吹いてぶっ倒れそうなんですけどと思いながら受付係は生唾をぐっと飲み込んだ。

「ご、ご用件を……」

「遠藤です。110号室の角さんのお見舞いにきたんですが」

 慌ててパソコンで面会予約を確認すると確かに午後の欄に「遠藤」と名前がある。

「あ、はい承っております。110号室はそこを右に曲がって廊下の突き当たりを左に曲がっていただきますとございます」

「どうもありがとう」

 遠藤はますます笑って(怖)受付を離れていった。角を曲がり姿が見えなくなるまで受付係は心臓がどきどきして生きた心地がしなかった。


『コンコン』

 110号室の前に到着した遠藤は扉をノックした。四人部屋となっておりネームプレートの一つに「角」の名前がある。

「遠藤です。失礼します」

 扉を開くと中はしんと静まり返っていたがベッドの周囲に引かれたカーテンの隙間から刺すような視線を感じた。しかしそれらも遠藤が扉を閉めると一斉に解かれた。

「おお遠藤ようきたな。まあ入れや」

「はっ、失礼します」

 奥の窓辺のカーテンを引き開けるとベッドの上に角が頭に包帯、片足にギプスという状態で横になっていた。

「狭いとこすまんな。ここもえらい繁盛で空いてるとこいうたらこの部屋しかなかったんや」

「とんでもありません。組長のご友人の病院だとか」

「せや。俺の大学時代の腐れ縁でな。ここと、この真上を借りられた。個室の方がええけどあんまり無理いうても可哀想やろ」

「なるほど助かりますね」

 角と遠藤は笑った。

「……で、お前にわざわざきてもろたんは他でもない。頼みがあるんやが聞いてくれるか」

「はい。何でしょうか」

「俺の娘と息子の面倒見てくれへんか」

「ご令嬢とご子息のですか」

「ご令嬢とご子息て。そんな敬わんでええ。亜美と翔太のな、面倒を見てほしいんやがどうや」

「私がですか? よろしいんで?」

「お前しか適当なもんおらんのよ。な?」

 角が遠藤を見た。

「……差し出がましいことをいうようですが、お噂を聞いておりますと亜美さんは非常にしっかりした方ですからとくにご心配に及ばないのではないでしょうか」

「どんなお噂が耳に届いてるか知らんが、亜美もそれから翔太も俺がいうのも何やがしっかりしとる。けどな、やっぱり心配やねん。お前にはわからんやろうけど親心てそういうもんやで」

「はあ」

 遠藤は思案した。

「面倒といいますと、具体的にはどういう……」

「うん。まあ登下校の送り迎えに、学校で何ぞあったら出席したってくれ。後は遊びにいくときとか塾いくときとかも付き添ったってくれな。簡単やろ?」

 遠藤は唇を舐めた。

「……あの、念のために訊いておくんですが、亜美さんや翔太くんが誰かに狙われているとかそういう話ではないですよね?」

 角はにやりと笑う。

「さすが遠藤や。せや、そういう話や」

「いやいや……それやったらもっとようけの人数で――」

「ちゃうちゃう早まるな。もしものときの親心ちゅうわけや。俺が不細工にも怪我して入院してる間に可愛い娘と息子にもしものことがあったらと思うと夜しか寝られん」

「せやかて組長。俺の代わりに若いの使ってもええのとちゃいますか」

「そこや。お前の他に適当な若いもんおるか? おらんやろ? それにもし亜美にちょっかい出すようなことでもありゃあ大変やし亜美も世間知らんもんやから若いもんの悪い影響受けるかもしれん。そこにくるとお前は安心や」

「どうも……」

「お前ほど女っ気のないやくざも俺知らんわ。まあその顔やったら女も何も逃げていくやろけどな。あっはっはっは――いててててて……」

 角が顔をしかめると一斉に周りのベッドから起き上がる気配がする。

「大丈夫、大丈夫やちょっとこの足が痛んだだけやくそ……まあそういうわけで遠藤、お前に亜美と翔太の命任せたよってに。あんじょうやりや」

「わかりました」

「おお、お前ら寝とらんと送らんかい」

「「「へいっ!!!」」」

 遠藤は帰り際に組長警護の三人の組員たちに見送られた。

「遠藤さん」

 中の一人がそっと紙袋を差し出す。

「甘いもんと辛いもん両方入ってます」

 遠藤が受け取るとずっしり重い。

「組長からです。どうぞ」

「そうか」

 中を覗き見る。

「俺の携帯の番号知っとるな」

「はい」

「何ぞあったらすぐに連絡せえよ」

「ご心配なく。亜美さんと翔太くんをよろしくお願いします」

 遠藤は病室を出た。重い紙袋を提げながら。

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