第7話 だから、この満天の岬を見せたかった
鹿児島のキャンプが終わってすぐカレンダーが無事完成し、刷り上がった一刷をほおのきカメラ店に飾った。A3サイズにドーンとまるまる大地の写真を掲載し、カレンダー部分は下の方に白抜き文字でコンパクトにまとめている。
一月は志高湖の写真で、飛び立つ白鳥の姿を激写した構図。新年を飾るにふさわしいデザインとなり、スポンサーの安澤さんもホクホクと嬉しそうだった。
僕も一仕事終えたことと、自分の殻を破ったことによる解放感で柄にもなくはしゃいでいた。
「ねー、カレンダー完成のお祝いしようよ。ケーキ買う? ケーキ食べようよ、大地」
レストランのバイトを終え、夕飯を食べてのんびりしながらスマホで動画を見ていた僕は、甘味処やケーキ店などの紹介を目にし、甘いものが食べたくなっていた。
それに対し、大地は「はーあっくしょん!」と大きなくしゃみで返事する。
「いやー、それよかキャンプ行こうよ。いいとこ連れてっちゃるって言ったやろ」
大地は鼻を噛みながら、つらそうに言った。
「でもお前、ちょっと最近風邪気味じゃん。もう少しあったかくなった頃にしようよ」
気遣って言ったつもりだが、大地は「いや、この時期にいい場所があるんだ」と強気だ。そんなに行きたいなら構わないけど……。
「はーあっくしょん! あー、なんやろ、花粉かな」
「花粉はまだだろ。しかし大地の体調不良、かなりレアだよね」
「俺のことはいーと。気にせんどって」
そううるさそうに言う大地は風呂場へ向かった。
鹿児島から帰ってきて、なかなかくしゃみが止まらない大地の体調が気になるけど、彼が予約したキャンプの段取りは着々と整っている。
ちなみに三が日を過ぎてすぐの一月四日にお祝いキャンプが決まったが、せっかくなので烏森くんと明海さんも誘ってみた。明海さんもあやかしのことを知るため、今後も僕らと連絡を取り合うことになった、んだけど……。
『お正月のあとすぐって、スケジュール感覚バグってるんですか? って大地さんに言っといてください』と烏森くんからすぐに返信がきた。
ほどなくして明海さんからも返ってくる。
『お正月のあとすぐって、張り切り過ぎじゃない!? って大地さんに言っといてください!』
似たような文面だ。僕は風呂から上がってきた大地にそのまま伝えた。
「え、じゃあみんな来んと? って伝えとってー」
入浴で体があったまったからか少しは調子がよくなった大地にケロッと言われ、僕はやっぱりそのまま伝える。すると二人から同時に『行くに決まってるでしょ!』と返事がくるので、僕はそのまま伝えた。
「って、僕を伝書鳩にするんじゃねぇ!」
あやうくスマホをぶん投げる勢いで叫ぶ。
「僕はお前らあやかしの使いっぱしりじゃないんだよ! そもそも大地、お前がスマホ使えないのが悪い!」
「だってスマホ苦手なんやもん」
「それは入力が面倒なだけだろ! 僕がお前と一緒に住んでからスマホでの連絡係が僕になってる! そんなんじゃ僕がこの家出ていったとき、困るのはお前だぞ!」
この主張はもっともだろう。大地はスマホが苦手だが、それは帯電体質のため電波を発するものを触れないという理由だった。が、大地は普通にインターネットや固定電話を使ってキャンプ場の予約をするし、一眼レフは毎日触ってる。電子レンジだって使うし、テレビもたまに見ている。
そう。一度指摘したとき、はぐらかされたからもう言わなかったけど、大地は別に電子製品を触れないわけじゃない。
「お前のそのものぐさが、こっちにしわ寄せとしてやってくるんだ!」
「あははは。バレたかぁ」
「バレバレなんだよ! 結構最初からみんな気づいてたはずだから!」
「ごめんって。眞魚が好きで世話してくれとるとかなーって思って……あ、いや嘘です、ごめんごめん」
僕の鋭い眼光を見てか、大地はすごすご謝る。僕は大地が放置しているスマホを取り、パスワードを聞き出すとトークアプリを起動した。通知の表示が三十八件も溜まっていて、すごく気持ち悪い。僕は一件たりとも溜めない主義だ。
「放置しすぎだろ……あぁ、でもほとんど企業アカウントのやつか」
呆れて言うと、大地はえへへと笑う。僕は自分のスマホから烏森くんと明海さんのアカウントIDを出して大地のアプリに登録した。
「ところで眞魚、さっき言っとったけど……この家、出ると?」
一段落ついたところで大地が訊く。勢いで言ったことが大地の耳にも入っていたようだ。僕は腕を組みながらそっけなく返した。
「んー、まぁね、いつまでもお世話になりっぱなしはよくない。お前の仕事を手伝うにしても、やっぱり僕もきちんと自立した生活をしないとさ」
「ふーん、そっかぁ。寂しくなるなぁ」
大地はボソッと言うと静かになり、急に立ち上がって部屋を出ていこうとする。
「寝るの?」
「うん、おやすみー」
「おやすみ。って、待て大地。スマホ」
大地は「ん」と鼻を赤くしたまま振り返ってスマホを受け取る。その瞬間、かなり大きな静電気が僕らの全身に流れた。
「うわっ」
驚いてスマホを落としてしまう。大地もびっくりしたのか、その場に固まっていた。
「お前の帯電体質、ちょっと異常では」
「んー、まぁ冬やけんね、しゃーない」
大地はスマホをつまみ上げ、スウェットのポケットに入れると自室に戻った。
***
今回行くキャンプ場は宮崎県
もう幾度となく見慣れた九州自動車道を走り、途中のサービスエリアで休憩する。
「今日はいい天気だな」
トイレから出て、ふと空を見上げると淡い青空が広がっていた。
さて、大地の『いいとこ』というのはどんな景色が広がってるんだろう。大地の仕事の付き合いとはいえ、絶景とおいしい食事、温泉やのんびりとくつろぐ時間を過ごすうち、この生活がやみつきになっている。
深く深呼吸して、これから行く土地に思いを馳せた。
「楽しみだなぁー」
無数の車の中から大地の車を見つけ、助手席を開けようとした。そのとき、突然背後から何か小さいものに突進された。
「うぉっ、なんだ……?」
犬だろうか。いや違う。振り返ると、狸が僕の背中によじ登ってきた。
「眞魚、ヤバい」
「大地、お前……こんな公衆の面前で化けるなよ」
「すまん。故意にやったわけやないと。なんか……急に変身して戻れんごとなった」
いつもの調子で「えへへ」と笑って言う大地。僕は素っ頓狂な声を轟かせた。
「はぁっ!? なんで? 急になんで?」
「わからん」
嘘だろ、おい。本人がわからんなら、僕にもわからんだろうよ。
「と、とにかく車に乗ろう。その姿でこんな場所にいたらダメだ」
僕の提案で、ひとまず車に乗りこむことに。助手席を開けると大地がそのままぴょんと飛んで運転席に行く。
「おい、待て待て! お前今のまんまじゃ運転できないよ! そんな短い足でアクセルとブレーキ踏めないだろ!」
「あ、そっか」
こんなときにボケるのはやめてくれ。しかし僕も助手席のドアを開けたところ、かなり動揺していた。
改めて運転席へ回り、ドアを開けてシートに座る。大地は助手席にちょこんと座り、シートベルトに手を伸ばそうとしていた。
「いや、この場合、別にシートベルトしなくてもよくない? それよりもこの状況をどうにかしようよ」
「あ、そっか」
大地はモフモフの頭をポリポリ掻いた。見事な狸に化けている。今までは四分の一狸であることになんの不便も感じず、必要なときだけ化けていたのに。
「トイレに行くときは普通だったよな?」
僕が訊くと大地は「うん」とうなずいた。
「トイレ行って手を洗って外出たら、大きなくしゃみが出たんよ。そしたらこうなっとった」
「えー……ほら、だから言ったじゃん。風邪引いてんじゃないの?」
「うーん。これは多分、花粉症みたいな鼻炎だ」
だから、まだ花粉の時期じゃないだろ。そうツッコミを入れたかったが、話が逸れるのでやめておく。
「なんで戻れないの? ていうか、普段はどうやって化けて戻ってるのさ」
すると大地は腕を組んで考えこんだ。考えることなの、それ。
「えーっと、例えばさ、眞魚は文字を書くとき考えて書く? ひらがなの形とか考えずに書けるやろ。そういう感じで化けるのは自由自在なんよ」
大地が真面目な調子で言うけど、僕は首をかしげた。
「えっと、つまり……お前にとって化けることは文字を書くのと同じで、何も考えずにやってるわけ?」
「そう。子供が文字を練習して身につけるように化け術も同じなんよ。やけん、どがんして戻るかとか考えたことない。戻ろうと思えば戻れた。でも今は」
大地は腕をぐーんと大きく伸ばし、目をつむって息を止める。しかし、それは愛くるしいモフモフ狸が、精一杯伸びをしようとしているようにしか見えない。
「ほらな、戻れん」
「今、戻ろうとしたのかよ……嘘だろ……」
僕はハンドルに額を押し付けて突っ伏した。大地はもう割り切ったのか、大人しく座ってふんぞり返っている。
「時間が解決するかもしれんし、ひとまず先へ行こ。ほら、ナビ使えば行けるけんさ」
そうか、この状況だと僕が運転しなきゃいけないんだよな。
現在、熊本の
僕は息を整え、シートベルトをつけるとエンジンを入れた。ハンドルを握り、アクセルを踏む。
「よし、行こう」
一旦、無事に現地へ向かおう。大地は「おー!」と腕を伸ばした。くそ、かわいいからやめろ。
宮崎県へ入って自動車道を降り、町中を走るのが怖かったけどなんとか無事にキャンプ場までたどり着けた。しかし大地が運転するよりもはるかに時間がかかり、到着予定時刻より三十分ほどオーバーしている。入り口まで行くと見慣れない門があった。木製の駒止をくぐってそのままサイトまで車で行く。
「ここは野生の馬がおるけん駒止があるとよー。やー、ほら馬がおる! かわいかねー」
大地が窓の外を見ながらのんびりと言う。両手にはスマホを抱えており、どうやらこの緊急事態をお父さんに伝えているようだけど入力はかなり捗ってない。
僕は疲れと戦いながらサイトまで運転しているので返事ができない。ただ耳には入っていたので一歩遅れて「ふーん」とだけ返した。
確かに目の端に立派な馬が見える。そして左側には狸がいる。あの馬たちに大地を連れて行かれないようにしないと。
サイトは灯台近くの場所にし、そこでやっとエンジンを切って僕の運転が終了した。
「あーーーー……」
天井を見上げて疲労困憊の声を出す。これに大地が笑いながら「おつかれー」と言う。その姿はまだ狸のまま。
「なんとか到着できてよかったねー。最近、眞魚も帰りだけ運転してくれとったし、なんとかなったわ」
「そりゃ帰りはな、道もわかるしね……でもまだ行きは怖いよ」
「あはははっ! 何度か出口間違えてグルグル回ったよねー。いやぁ、ほんと無事にここまでようたどり着けたばい」
大地が感慨深げに言う。確かに僕はここまでの道中、道を何度か間違えてそのたびに悲鳴を上げていた。本当に運転は苦手だ。
しかし、僕はさらにまた新たな問題にぶち当たることを思い知った。
車から降り、キャンプギアを出していく。
「これ、僕一人でやるの……?」
サイトレイアウト、つまり拠点づくりをしなくちゃならない。
「思ったんだけどさ、この状態でもまだキャンプ続行するわけ?」
今さら言うなという話だが、僕はこのキャンプにかなり後ろ向きな思いを抱いていた。すると大地が目を細めて言う。
「何を今さら言いよるとよ。だいたい、ここの予約取っとったんやけん、キャンセルばしたらもったいなかろー」
「狸から戻れないお前に言われたら、くっそ腹立つな」
化け術も満足にできない狸なんて、ただの狸じゃん!
「まぁそう落ちこまんと。ぽんぽこ是好日を思い出せ」
そう言われてしまえば何も言えない。そうだ、大地が元に戻れないというこの状況をいいように解釈しよう。
宮崎まで自力で運転できたこと、今から一人でキャンプの拠点を築くこと。できなかったことができるというのはいいことだ。でも……でもさ!
「……ダメだ」
三分ほど考えた僕はその場にしゃがみこんでしまった。
「それも全部大地が元に戻れないからこうなったわけじゃん? いいことって何? もし一生大地が元に戻れなかったら、お前の両親になんて説明したらいいんだよ……おたくの息子さん、狸から元に戻れなくなりましたってか? 言えるわけなくない?」
「いや、別に眞魚のせいで戻れんごとなったわけやないけど」
僕は最悪な結末を想像した。頭を抱えていれば、横で大地が楽観的に笑うが、その声にはいつもの安心感はない。彼も彼で動揺しているのだろう。
寒空の下、互いに目を合わせるも大地の視線はかなり下。狸の姿でこちらを見つめられれば、この絶望的状況をさらに実感してしまうだけなので僕も悶々と唸るしかない。
「しゃーないなぁ。ほら、眞魚。成長のためだ。頑張ってテント設営しよ!」
仕切り直すように大地がぴょんぴょこ飛んで車のトランクから、テントの袋を引っ張ろうとする。しかし、うまくいかずにコテンと転がってトランクから落ちた。
「あぁもう、今のお前じゃ非力だ。わかったよ、やればいいんだろ、やれば!」
テント、タープ、テーブル、チェア、ウォータータンク、焚き火台などなどを並べ、僕は腹をくくった。
ひとまずテントの下にグランドシートを敷き、その上からテントを張る。大地の指示に従い、ポールなどを組み立て、ペグを打ちこんで形にしていく。
「うん、いい感じ。大丈夫だよ、眞魚」
大地は横について教えてくれた。
「はい、それでね、次はタープ。これはいつも車と連結して庇みたいにしとるやろ。まずポールを立てて、車のトランクの扉にくっつけるように張っていく。そうそう、うまい」
こうして屋根のようにすれば広くくつろげるスペースができる。いつもは大地と二人で広げて組み立てるので、一人だとタープが大きくてもたもたしたが、なんとかキレイにできた。
「あとはこのタープの下にテーブルを広げる。俺がよく料理しよるキッチン台ですね。はい、オーケー」
だんだん大地も先生っぽくなってるし。次にモフモフ狸はランタンのそばに立った。
「はい、ランタンの付け方ですね。うちのは残念ながら、ちょっと複雑なガソリン式やけど手順どおりにやれば問題ありません」
僕は大地の言うとおり、ランタンと燃料、漏斗を出して大人しく従う。まず、ランタンの給油口に漏斗を差し、そこに燃料を注ぐ。満タンになったらポンプのロックを解除して加圧させる。ポンプのノブを引っ張り出し、何度かポンピング。
大地はランタンの
「大地先生、どうでしょうか」
「うん、もうちょっと押してみ……ん、いいかも。空気も燃料も出たやろうし、それじゃ点火しよ」
「はい」
言われるまま柄の長いライターで火を灯し、ホヤの下から火入れする。無事に着火できたら、あとはツマミで光源の調整をする。
「うん、よかろ。それじゃー、これをS管で吊るして」
大地が持ってきたのは銀色のS字フック。ロープをタープのフックに結んでS管をぶら下げる形にし、ランタンの持ち手を引っ掛ける。
「できたー!」
僕と大地は同時に両手を突き上げて喜んだ。僕の大きな手と大地の小さな手で思わずハイタッチする。ランタンを設置しただけなのに異様な達成感があった。
「いい調子やんか、眞魚! それじゃあ次は焚き火台だ!」
大地が元気よく言うが、僕は即座に笑顔のまま両手でTの字を作った。
「タイム!」
一気に全部できるかよ!
「でも、火ば熾さんとあったかいココアも作れんとよ」
「そのココアも僕が作るんだろ! ちょっと待ってよ。僕、いきなりここまで運転して拠点まで作って結構頑張ったよ!? 頑張ったよね!?」
モフモフ狸の肩を掴み揺らして言う僕の情けなさ。
そりゃ大地はこんなこと一人でもへっちゃらだろうけど、僕はまだ一人でやったことないし、なんか失敗したらとんでもない大惨事になりそうで怖いんだよ。
それが伝わったのか、大地は「おぉ」と困ったように受け止めていた。
「ごめんごめん。先走っとったわ」
「いや……僕も情けなくてごめん」
「どがんする? 烏森くんか明海さんが来たら手伝ってもらおっか? そのほうが眞魚も安心やろ」
大地の気遣いはありがたい。そのほうが僕も安心する。でもそれはそれで、自分に負けたみたいで嫌だ。
「やってみる……」
「おぉ! 眞魚、えらい! えらいぞ!」
「うるさい、バカ。お前はさっさと元に戻れるように考えろ」
大地の拍手を突っぱねて僕は腕まくりした。軍手をはめ、焚き火台と向き合う。折りたたまれたそれは、見た目は薄い銀色の金属板に細い脚がついている。これを広げれば、三角の逆ピラミッドみたいな形になる。
車からバケツと着火剤を出し、バケツには水を張る。これは万が一、火の勢いが強くなったときのため。
着火剤の種類は様々あり、炭、固形燃料、手作りで新聞紙を巻いたものなどもある。大地は主にナラ炭を使う。
「これはさ、岩手のナラ炭なんよ。ほら、俺が一時期おったとこ」
「あー、例の東北の」
大地が脇でぴょこぴょこしながら言う。危ないので、近くに椅子を組みた立てて座らせておいた。再び焚き火台に向かい合う。
「そのよしみで安く仕入れられるんよね。ほんとありがたい話だよ」
「そういうことか……大地の人徳のおかげだな」
箱を開けると真っ黒な炭がある。これを焚き火台にまんべんなく並べた。その間、大地は何やら思い立ち、椅子から下りてどこかへ走っていった。ほどなくして口に何かを咥えて戻ってくる。やヤバい、ちょっとかわいいな。
どうやら近くに落ちていた枝をいくつか持ってきてくれたらしい。それを僕の横に置いてくれ、また椅子に戻った。
「はい、炭に火を入れてください」
その指示に僕は素直に従う。炭にライターで火を入れるけど……これがなかなか点かないので、何度か試すうちに大地が持ってきてくれた枝を炭に入れて再び点火させる。これを何度か繰り返した。
やがて炭に火が移り、黒い木炭が赤く染まっていく。これで熾火が完成。古いフイゴで風を送る。
「うあっちゃあ!」
火花が飛び、思わず驚くも大したことはなかった。
そのあとは管理棟で買った薪を半分に割って焚き火台の中に放りこむ。すると火力が増し、ちょうどよく煙と炎が立つ。
「はー……できました、先生」
「ようできました! 眞魚、本当に成長したねぇ」
狸が感激のあまり目をうるませて拍手してくる。僕は軍手を外し、狸をかかえた。モフモフに少しの癒やしを求める。
「あー……もう、どうなることかと思ったよぉ……」
「眞魚に足らんのは自信やなぁ。本当はテキパキできるのに、なんでそがん自信がないかね」
うるさいので顔や頭をわしゃわしゃしてやる。
「あわわわ、やめ、ちょっ、やめろって」
「それもこれもお前のせいなんだよ。少しは僕にモフらせろ」
「だーっ! こら、もみくちゃにすんなよぉ」
大地が嫌がるのもいとわず、しばらく僕はモフりに徹した。
そんな時間も経て、僕も椅子に座る。お湯を沸かすため、水を入れたやかんを焚き火台のグリルネットの上に置く。
「それで大地よ。元に戻れる算段はついたか? 実家にメッセージ送ったんだろ」
僕が運転中、大地は実家にいるお父さんにメッセージを送っていた。それを思い出したのか、大地は「あぁ」と手をポンと打ち付け、車にぴょんと飛びこむ。そしてスマホを持って帰ってきて、僕に渡してくる。ホーム画面にはなんの通知もない。
「正月明けやけど今、兄さんが帰ってきとるやん? やけん、ずっと酒ば飲みよると思う」
「あー……」
確かに東北から里帰りしに帰ってきたお兄さん家族が明日まで九州にいるから、大地の両親も羽目を外して宴会しているのだ。これは気づかないだろうな。
「そんなわけで、天狗の知恵を借りたいんよね」
それじゃ、烏森くんが来るまで待つしかない。
そう思っていると、道の向こうからゴロゴロとキャリーカートを引っ張ってくる金髪美女が手を振りながら現れた。青いダウンジャケットにスキニーパンツといういつものコーデの明海さんだ。
「さすが鹿児島在住。早かったね」
僕が言うと、明海さんが近くまでやってきて、深く深呼吸した。
「今日はお招きいただきありがとうございました」
ペコリと礼儀正しくお辞儀するそんな彼女の目に、悠然と手を振る狸が映る。
「ほぁっ!?」
「あぁ、ごめん。狸再びで。大地です」
僕がすぐに言えば、彼女は「あ、そうでした」と胸をなでおろした。
「ここまでお馬さんを見てきたんだけど、まさか狸さんもいるとは。えっと、大地さんって、こうプライベートタイムのときは狸になるんです?」
「いや、これにはちょっと問題がね……」
そのちょうど、お湯が湧いたので僕はマグカップにココアの粉末を入れた。明海さんもワタワタし、ひとまずマグカップを出すのでココアを入れてあげる。
明海さんはその場でキャリーカートから座椅子を出して座ったので、焚き火を囲って改めてここまでの経緯を説明した。その頃には、ココアも半分以上飲んでいた。
「なるほど……あやかしの血筋って大変なんですねー」
そう言うこの人も人魚なんだけどな。まるで他人事のような明海さんに僕と大地は苦笑した。
「あの、ところでつかぬことをお願いしますが」
明海さんが神妙に言う。そして彼女は土下座する勢いでお辞儀した。
「大地さん、モフらせてください!」
まさかの申し出に驚く僕。一方、大地は腕を組んで僕を見た。
「うーん……眞魚がいいっていうなら」
「おい、誤解を招くような言い方するな」
すかさず僕がツッコミを入れる。なんで僕の許可が必要なんだよ。
明海さんが「え、え?」と僕と大地を交互に見る。そして何やら察したように口元に手を当てた。大地はさらに天然ボケを炸裂させる。
「だって眞魚ってば、このモフモフは誰にもさわらせたくないって、保育園のとき言いよったけんさー」
「それは保育園のときじゃん! なんでそんなこと今ここで暴露するの!?」
慌てて言うと大地は釈然としない様子で首をかしげた。これに僕だけでなく、明海さんまで何かに心臓を撃ち抜かれた。
「はぅっ……かわっ……かわいい、死ぬっ!」
明海さんが胸を抑えてうずくまる。その気持ちはめちゃくちゃよくわかる。中身は二十七歳男性なのに!
「あ、あの、いいですもう。私、お二人のその素敵なご関係だけでご飯三杯いけるんで」
「だから違うってば! 僕ら、別にそういう仲じゃない!」
「いいんですよ、そういうのは勝手にこっちで盛り上がっとくので」
明海さんは顔を覆ってしまい話にならなかった。ダメだ、烏森くんの合流で余計にカオスな状況になるのが想像できる。僕は頭を抱えた。
「そうだ、明海さんも来たわけやし、そろそろ自由時間にせん? 眞魚、運転中は景色全然見られんかったやろ。遊びに行っといでよ」
大地がのんびりと言う。しかし僕は疲労のおかげで、とてもそんな気分になれなかった。
「僕はちょっと休むよ」
車からレジャーシートと毛布を出す。シートは身長がある僕でもちょうど足が伸ばせるほどの広さで、そこに座って毛布にくるまった。
「じゃあ、私は散策してきます。灯台、行ってみたかったんだぁ」
明海さんは元気いっぱいで、荷物もそのままに出かけていった。
「あの子、自分のテント設営忘れとるね」
そう言うと大地はココアを両手で持ちながら飲む。小さな手で頑張って飲もうとする姿は、どうしてもかわいい。
時刻は十七時頃。そろそろ日の入りで、赤い夕焼けに白い雲が浮かび、まだら模様を描いている。
灯台から帰ってきた明海さんが「いい眺めでした!」とテンション高く言い、僕らの近くにテントを張り始めた。
「海、近かったやろー」
「はい! 潮風が気持ちよくて、飛びこみたいくらいでした」
明海さんは笑顔で答える。
「それは人間の体的に大丈夫なの? 冬の海に飛びこんだ場合、君はどうなるの?」
思わず興味本位で訊いてみると、明海さんは「そうですねぇ」とゆるゆる話しだす。
「実は私、冬は泳いだことなくて。ほら、人間として生活してたわけですから、家のお風呂に水を張って入るとかぐらいでね。まぁ物足りませんでしたけど」
「物足りなかっただけなの?」
「はい。真冬でも問題ありませんでした。むしろ居心地がいいんですよ、バスタブは。ふふふ」
明海さんはわざとらしく不敵に笑う。なんだか彼女の闇を見た気がし、僕は目をそらした。
「あ、ご心配なく。単純に自分でバスタブに水を張って漂ってた感じです。妹に見られたときはひどかったですけど……まぁ、そういう変なことするから嫌われちゃうんですよね」
自分で言って自分で落ちこんでいく明海さん。しかしすぐに気を取り直し、勢いよく言った。
「でもでも! こういう話ができて気楽ですよ!」
「それならよかった」
僕はホッと安堵した。そのとき、大地が尻尾を揺らして立ち上がる。
「烏森くん、来た」
そのとおり、烏森くんがスクーターに乗ってやってくるのが見えた。やがて近づき、無事に停車させるとヘルメットを取ってさっそくぼやく。
「宮崎、遠いっすわ」
「おつかれ、烏森くん」
大地が手を上げて言うと、烏森くんは目を丸くした。しかし、あらかじめ話をしていたからか、大した驚きはなく「ありゃまぁ」と言って、相変わらずの軽量な荷物をその場に置いた。
「あ、そうだ。明海さん、リアルでははじめまして。烏天狗の烏森修五郎です」
「はじめまして、明海鱗歌です。人魚、らしいです」
双方、顔合わせが簡単に済み、一同が照れくさそうに笑う。しかしすぐに烏森くんが手をパンと大きく叩いたので、和やかムードは一瞬で消えた。
「さて、単刀直入に言います。狸の化け術は天狗の管轄外です」
結論が早いな。あまりのスピード感についていくのがやっとだよ。大地も明海さんも目をぱちくりさせてるし。
すると烏森くんは「でも」と後を続けた。
「僕らはあやかしの交ざりものだ。その心得ならきっと皆さん同じだと思います。力を使えば人間から離れていくし、その力も千差万別。僕は修行して神通力を得たし、大地さんは趣味で狸に化けられるし、明海さんはもしかしたら血が薄いのかもしれんけど、きっと泳ぎは抜群やろうし。ただどのあやかしにも共通するのは心の持ちようってことです」
その説明に誰もが固唾を飲んでうなずき、烏森くんは目に力をこめて鋭く言った。
「つまり僕の推察では、大地さんは何かを悩んでいる」
全員の目が大地に集中すると、当の狸は目をしばたたかせ、困ったように首をかしげた。
「おい、そのかわいい仕草やめろって」
僕が言うと大地はキョトンとした。瞬間、明海さんが崩れ、烏森くんも何かに撃ち抜かれたように胸を抑えだす。
「かっ、かわわっ……! はー、もう無理! 耐えられん!」
「大地さん、マジでそういうとこです!」
明海さんが顔を覆い、烏森くんが意味不明な文句を言う。全員が大地のかわいさにやられてしまい、空気はたちまち和やかに戻っていった。
大地が何かを悩んでるねぇ……。
大分のキャンプで大地も悩むことがあるという話はした。でも、あのときの彼は化け術が安定していた。それに今、本人も何に悩んでいるのかわかってなさそうで、考えることをやめて明海さんたちとトランプで遊んでいる。
僕は夕飯の準備をするべく、クーラーボックスを出してキッチンテーブルに置いた。
「みんなー、僕一人じゃ料理できないから手伝ってほしいんですけどー」
声をかけるも、ババ抜きの最終局面中で誰もこっちを見ない。
「あー、やだやだ! 怖い!」
明海さんがババを持っているらしく怯えている。大地がカードをかすめ取るも、ババを引いて項垂れた。明海さんが上がり、烏森くんと大地の一騎打ち。結果、烏森くんがババを引いて、大地が別のカードを引いて終了した。
「あー、負けたー!」
「烏森くん、眞魚の手伝いよろしくね!」
大地が明るく言うので、烏森くんはしょぼくれた様子で僕の元へやってきた。しかし大地もついてくる。明海さんはさっそく酒が入ってるので、この際、戦力には数えない。
「今日はねー、ちょっと凝った料理なんよね」
大地が申し訳無さそうに言うので、僕はクーラーボックスを開けながら笑った。
「凝ったものってなんだよ」
開ければそこには、骨付きの鶏もも肉が四本。でかっ。思わぬ迫力に驚き、つい蓋を閉める。
「そりゃ、宮崎ならチキン南蛮やろ」
大地が蓋を開け、肉を引っ張り出した。それは確かに、そうなんだけど。
「やだ、なんでこんなときに僕が調理しなきゃいけないんだよ……!」
「大丈夫です、眞魚さん。僕もいます」
烏森くんが言うけど、骨付きのもも肉を見たらたちまち涙目になった。
「あ、待って。鶏肉の生足は、なんか……あの、僕の血がぞわぞわする。ヤバい、無理っす」
「あぁ、そっか。烏天狗だもんね。鶏と烏という違いはあれど」
「でもチキン南蛮は好きです」
そうケロッと明るく言う烏森くんだが、当然戦力外なのでキッチンから追い出した。
「あ、烏森くん、お米炊いとってー」
大地が言うと、烏森くんは「はーい」と素直に返事して、自分の焚き火台で炊飯の準備を始めた。
結局一人でやるしかない。僕は強烈な骨付きもも肉を出し、テーブルに並べた。
「下味はつけとるけん、あとは衣にくぐらせて揚げるだけばい」
どうやら大地が指示してくれるので僕は安心した。包丁も使わずに済みそうだ。
クーラーボックスの中には、その他に大地があらかじめ作ってきていた衣液と片栗粉、甘酢タレ、タルタルソースが入っている。
「今日のタルタルソースは親父が作っとったやつを持ってきた。たくあんと玉ねぎとゆで卵のタルタルやね」
大地が得意げに言う。大地のお父さんが作るタルタルソース、本当にうまいんだよね。確か、隠し味に練乳が入ってたんだっけ。そんなことを考えながら調理をすすめる。
ジップ付きビニール袋に衣液を入れ、骨付き肉を入れて揉みこむ。それをバットに入れた片栗粉に置いてまぶし、これで衣つけが完成。これを四本分やって、あとは焚き火台の上にグリルネットを設置し、揚げ物用の鍋に油を注いで温める。片栗粉を油に落とし、パチパチ弾けたら肉をゆっくり投入した。ここまで全部、大地の指示どおりスムーズに進んでいる。
あとは衣が揚がり、バットに置いて他三本も同様に揚げていった。
「火を十分に入れたいから二度揚げするとよ」
「はい」
ステンレスのトングで肉をしっかり掴み、全部の肉を二度揚げしていく。少し焦げ付いたけど、全部がこんがり揚がったところで皿に盛り付けた。甘酢タレを適量垂らし、その上からたっぷりのタルタルソースをかければ──
「骨付きチキン南蛮のでき上がり!」
「わー! やったー!」
酒が入った明海さんが喜ぶ。僕はみんなに皿を回し、ようやくローチェアに座って一段落ついた。
「いただきます!」
骨の部分を鷲掴みにし、全員が一斉に肉へかぶりつく。歯ごたえのある分厚い衣と鶏肉の皮がバリバリしていて食感がいい。肉汁が口の中に溢れ、そこに混ざる甘み強めの甘酢タレとまろやかな酸味のタルタルソースが最高にマッチしていてうまい。
「おいしい……熱い……おいしい」
烏森くんも鶏の生足を忘れているのかご満悦のようで、ひたすら肉にかじりついていた。大地は食べにくそうだが、手づかみを諦めてそのまま顔を皿に突っこんで食べている。
「はーっ、がばうまかぁ」
「うん、そいつはよかったよ……」
大地の野性みあふれる食べ方に僕は少々困惑した。しかし、肉を前にしてはその困惑もすぐに拭い去った。
食事が終わり、簡単に片付けをして焚き火を囲み、四人とも好きなように過ごす。
明海さんが酔った勢いで僕と大地の極めて誤解を招く関係を暴露してから、大地が撮影した写真を見たいという話になるのはごく自然な流れだった。
大地が車から一眼レフカメラを抱えて持ってきて渡してくれる。
「眞魚、ここを押したら見れるよ」
言うとおりにカメラの電源を起動させると、全員が僕の背後に回って画面を覗きこんできた。今まで保存された写真を順番に見ていく。
「これ、前回の鹿児島のだ。冠獄園だっけ。キレイな紅葉だったよねぇ」
見事な紅葉をアオリから撮影した写真。その合間に映る僕の後ろ姿。すっかり懐かしくなって言うと、明海さんが反応した。
「ここで大地さんたちに出会って、私の視界がぐぐっと広くなったんですよ」
やけにしっとりと優しげに言う明海さん。持っているマグカップの中身は持参してきた芋焼酎をお湯で割ったもので、相変わらずの酒豪っぷりだ。
「衝撃的だったなぁ……あのとき、大地さんから妙なオーラが出てたんですよ。目に見えてたわけじゃないけど、なんだか無性に惹かれるというか、恋しちゃったかも!っていうレベルの。全然そんなじゃなかったんだけど」
そう言うと明海さんはケラケラ笑い出した。頬を赤くしているところ恥ずかしくなったらしい。
「そっか、妖気のことがわからなかったらそれは運命的な何かだと思えても仕方ないですね」
烏森くんが真面目に言う。そういうものなのか。大地をちらっと見ると、彼は苦笑していた。
「あれってなんなんやろうね? あのあやかし特有のよくわからん気配。普通に過ごしとったら、全然気にならんとやけど、こう天狗と人魚といういわゆる異種がおったとき、妙にぞわぞわくるよね」
「へぇぇ、僕にはまったくわからない世界だ」
あやかしの感覚についていけないけど、そういう感覚があるのはなんだか羨ましい。
写真のデータは次に大分の湯けむりを写した。湯けむりの町並み、温泉街、そして美しい湖畔、山間に浮かぶ三日月。その合間に映る僕の後ろ姿や見切れた写真。
「大分いいなぁ。今度、僕も連れてってください」
烏森くんは悔しげに言った。あのとき、学祭があるからと断念してたんだったね。
次は長崎の静かな渓谷。緑豊かな渓流。ノスタルジックな風景の中にいる僕と烏森くん。ピーナッツカレー。夕暮れ色に染まった木々の写真。
次の写真は福岡で撮影した山。釣りをする僕と烏森くん。泳ぐヤマメと焼いたヤマメ。キレイな渓流と鬼の階段。
僕は写真を見送る中、だんだん居心地が悪くなってきた。こころなしか、烏森くんと明海さんが写真ではなく僕を見ている気がするので、わざと明るい声でごまかすように言った。
「で、これが佐賀。地元の海だよ。うわ、海鮮の網焼きうまかったなぁ。僕、サザエが好きでさ。あ、いかしゅうまい焼きもある。海の写真もあるけど」
その後は四月に行った最初の場所。熊本の朝焼けがかかる涅槃像。広大な高原。いろんな写真を見送り、最後のページになって画面を閉じた。
「……大地さんって、眞魚さんのこと好きすぎでは」
烏森くんが冷静に言ったので、隣にいた明海さんが顔を覆って足をばたつかせた。大地は照れたように「そうかなぁ」と頭を掻く。
「僕の写真があんまりないことを気にかけてくれてるだけだよ」
これ以上の妙な誤解は勘弁願いたいので冷ややかに言うと、全員が真顔に戻った。それでも口元だけは緩んでいるのを僕は見逃さない。じっとりと見つめれば、大地が咳払いして場をおさめた。
「明海さん、そろそろシャワー浴びといで。烏森くん、用心棒でついてってあげちゃらん?」
「わ! もう二十時!? そうですね、シャワー浴びてきます!」
明海さんが飛び上がり、烏森くんも頭を掻いて羽を落としながら立ち上がる。
「まぁまぁ気温低いけど、シャワーで風邪引かない? 大丈夫です?」
「平気ですよぉ。私、人魚ですから」
そんな会話をしながら二人は、入浴の準備をしてシャワー棟へ向かう。二人を見送って、僕と大地は静かにコーヒーを飲んだ。パチパチと火花が爆ぜる音だけとなる。
僕は大地にカメラを返そうとしたが、大地は「む」と反応し、片手で押し戻してきた。
「ちょっと俺に付き合って」
「え?」
「この姿じゃ、撮影できんし。眞魚が撮ってくれたら助かる」
そう言って大地は焚き火を消すように言い、僕を連れて夜道へ入った。
四足の狸についていくだけの僕は大地のカメラと道具が入ったケースを抱え、懐中電灯で先を照らして進む。しばらく歩いていくと白い灯台が見えてきた。
「あぁ、ここが宮崎最南端の?」
明海さんが夕方、見に行っていた場所だ。ちょうどそこには人がおらず、静かな波音が聞こえていた。明かりを消すと満天の星がよく見渡せ、僕は息を呑んだ。
「ここらでいいかな。よし、眞魚。カメラ置いて」
大地が地面を指すので、そのままカメラを置くと狸の小さな手で操作を始めた。何やらボタンを何度も押しているところ、普段のカメラのモードを切り替えている様子。
「これでいいかな……うん。いいやろ。眞魚、そのまま星空に向かってシャッター押してみ」
「え……うん」
言われるまま、ぎこちなくカメラを構え、シャッターを切る。静かな「カシャッ」という音が響いて息が止まったが、もう一度別の角度にピントを合わせて写真を撮ってみる。灯台と星空を被写体にした写真が保存された。
大地が僕の肩に乗り、データを確認する。
「おぉ、いいやん」
「本当に?」
「うん。上等上等」
「そっか、よかった」
僕は息を吐き出し、その場に座りこんだ。芝生は柔らかく、少しだけ冷たい。大地も僕の横に座り、星空をぼーっと眺めた。
いつかの夜、僕らはこうして星を眺めて悩みを打ち明けたことがある。そんな夜に少し似ていた。
「そういえば大地さ、『山で生きていきたいって思うことがある』って言ってたじゃん?」
それは前回、鹿児島で明海さんに言っていたことだ。切り出してみると、大地は静かに「うん」と返す。
「それは狸の血筋だから?」
「そうかもしれんなぁ」
「だから人間を辞める、とか、そういう意味で戻れなくなったとか?」
的外れだったら恥ずかしいけど、なんとなくそう思えた。僕の問いに大地は「うーん」と言葉を濁す。何も言わないので、僕は話を続けた。
「そうだとしても僕は友達辞めるつもりはないよ。だって親も実家もないし、仕事も今は不安定だし、あやかしには混ざれないし……なんか、孤独だなって思うんだ」
新しくできた友人たちと楽しい時間を過ごしても、どこかで感じる孤独感が拭いきれない。それは大地と一緒にいても同じだった。
「大人になる前までは一人でも平気だと思ってたよ。でもいざ大人になって、いろいろ手放してきたことをちょっと後悔してさ……なんというか、今になって孤独が染みるんだ」
無数の星空を見ていると自分が小さな存在に思えてくる。だから余計に寂しくなる。
「だからさ、これは僕のエゴだけど、絶対に大地を人間に戻す。もし狸のままでいたいってお前が思っても、僕は絶対にお前を人間の世界に引き戻すから」
すると大地はため息をついた。
「なるほどな……俺の悩み、わかった」
それは唐突だったので、僕は「ん?」と驚き、大地を見やる。
「力の安定は心の持ちよう。確かにそのとおり。多分、俺も孤独を感じたんやろ。眞魚がいなくなるのが嫌で」
「え? 僕がいなくなる?」
「あぁ。家から出るって言っとったやろ。あれが多分、地味に響いとってな……俺は悲しかったとよ」
それはつまり……。
「僕のせいじゃん!」
「あはは! そうやね!」
大地はあっけらかんと言い、明るく笑い飛ばした。対し、僕は頭を抱えてため息をつく。
「ったく、そういうつもりで言ったんじゃないのに……確かにあの家は出るけど近くにアパート借りるし、仕事もしたいんだよ。デザインの仕事、また一から始めたい。そこに大地もいるのは当然だろ」
そう言うと大地は笑いを引っこめた。何やら感慨深そうに「そっかぁ」と言い、また星空を眺める。途端にポンと音がし、大地の姿が人間に戻る。
「……おい、今この場面で元に戻ったら、本当に僕のこと好きすぎるってことになるけど大丈夫?」
「せっかく元に戻ったのにその言いようはないやろー」
そう言って大地は僕の背中をバシッと叩く。僕も大地の腕を殴り返した。
「もう狸に化けるなよ。また戻れなくなったら、片付けとか帰りの運転も全部僕になる」
「あははは! 別にやってくれてもいいとよー? 眞魚は俺の世話焼くの好きやん?」
「それはお前が危なっかしいからだよ! いや違う、別に僕はお前の世話を焼くのが好きってわけじゃない」
「はいはい」
大地はからかうように笑うと、服が汚れるのも構わず仰向けで寝転んだ。
しばらく互いに沈黙し、星のまたたきを見つめるばかり。やがて、大地が息をすっと吸う音がした。
「中学の頃さー」
唐突に真面目な声音で言うので、僕は「うん」と静かに返事する。
「俺はお前とはもう一緒に遊べんのかなーって思いよった。眞魚のお母さんが亡くなって、ばあちゃんだけになって。当然のことやし、どうしようもないのはわかっとったけどさ」
「うん」
「それがすっごく寂しくてねー、しばらく狸になれんかったことがある。そのときの不安定さを思い出した」
大地の声は記憶の糸をたどるように、ゆっくりと低い。穏やかなのに切ない響きがあった。
「初耳だな、それ」
「だって眞魚に言ったら」
「思いつめるからね。だから大地は黙って、ずっと僕を見守ってた。なんだよ、恥ずかしいなー」
「そうやね」
大地は小さく笑う。そんな彼の顔を見ずに、僕は星空に向かって疑問を口にした。
「なんでそんなに僕と一緒にいてくれるの? 僕はお前ほど優しくないし、なんなら佐賀を出るのも勝手に決めたじゃん」
高校も大地と同じだったけど、介護で忙しくてあまり遊びにいけなかった。それでも大地はたまに様子を見に来ては、気分転換に僕を外に連れ出して写真を撮りにいっていた。
「僕は大地にそこまで心配されて助けてもらうほどの人間じゃない。今回もそう。薄情によそへ行って腐って無様に出戻ってきた僕を、どうして」
あぁ、ダメだ。また僕は自分を痛めつけようとしている。また大地に怒られる。
そう思っていると、大地は大きくあくびして言った。
「俺の正体知って逃げんで秘密にしてくれて、ずっと友達でいてくれとったのは眞魚だけやけんね」
僕は大地を見下ろした。ほんわか笑ってこっちを見る大地に、僕はすぐ目をそらす。
「あー……まぁ、そうだね」
「そりゃ唯一無二の親友やけんね? 何を今さら言いよるとよ。しょーもないこと言うな」
「やめろやめろ、恥ずかしいことをさらっと言うな」
なるほど。大地にとっての居場所は僕ということだ。これは恥ずかしい事実を知ってしまったな。
自然の中でゆったりと過ごしていれば、なぜだか無性に胸の内をさらけ出せてしまう。
そんな静かな夜が更けていく。満天の星は遠く彼方まで続いており、この感動的な絶景は長く長く続いていた。
***
翌朝、起きると大地のお父さんからメッセージが入っていた。その内容は──
【狸の化け術の源はエネルギーです。単純に体に溜まっとった電気が足りんだけやろ。充電せれ】
「……え、嘘だろ。昨日のあの夜のことはなんだったの?」
僕の絶句に、大地も気まずそうに笑う。
「あれだな、あの妙な鼻炎。冬やけん、電気が溜まりやすい反面、外に出ていくのも大きいってことやな……なんだ、歳のせいか?」
大地は首をかしげて逡巡する。その姿はまったくかわいくない。
「鼻炎も静電気を放出するためだったのかよ……」
どうりで元に戻ってからの大地は、くしゃみが出ていない。心配して損した気分だけど、安心したのもまた事実。
「お父さんの言うとおり、充電しとけ」
僕は呆れて言うとシュラフに戻った。
「俺はスマホか」
大地も嫌そうに言い、スマホをひっくり返して顔をしかめる。えらく不服そうにふてくされる大地の顔はレアだ。それが面白いので、からかってみる。
「そういうことだよ。はい、解決。そんじゃ、おやすみー」
今日もとことんのんびりしたいから二度寝することにしよう。
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