第31話 ノーマルエンドじゃ終われない

 冬休みも近づいてきた頃の放課後、僕は担任の先生に職員室に呼び出されていた。用件は冬休み明けに提出することになっている進路希望用紙について。


 夏休み明けの時はとりあえず【大学進学】と書いていたのだが、具体性ゼロだったのが僕だけだったとのことで、冬休み中にしっかり家族で話し合っておくようにと言われた。やりたいことが決まっていないのに話し合ってもしょうがないという思いと、今はそんなことより曜子さんのことをどうするかの方が問題だという思いを抱えながら、昇降口で待ってくれている曜子さんのもとに向かった。


「どうしても戻ってきてくれないの? あなたほどの才能の持ち主が演劇をしないなんて、演劇界の損失だと思う……」


 どうにも深刻そうな話をしていたので咄嗟に下駄箱の陰に隠れた。曜子さんと話しているのは演劇部部長の北沢さんだ。これまで何度も曜子さんに演劇部に戻るように声をかけ続けており、そのたびに断られていた。


 演劇の楽しさを語ったり、曜子さんの実力を褒めたり、手を替え品を替え勧誘していたがどれも効果なし。今回も曜子さんの「ごめんなさい」という声が聞こえ、失敗に終わったようだ。しかしいつもはここで引き下がるのだが、今日だけは違った。


「小説を書きたいから、だよね? どうして? 前は小説家にはならないって言っていたでしょう? 何があなたを変えたの?」


「ママがそう願っていたから」


「奥空文子が……今日のところはもういい。私、部活行くから。気が変わったら見に来て」


 九割以上そうなのだろうと思っていた疑念が十割の確信に変わった。曜子さんと文子さんの二人で考えた理想の曜子さんの夢は小説家。あの書き方から文子さんがそれを願っていて、曜子さんが小説の中なら仕方ないかと思っていることが容易に読み取れる。理由まで設定に忠実なのだ。


「文也君?」


「え? あ、はい」


「隠れても無駄だよ? 私、文也君の気配はすぐに分かっちゃうんだから」


 曜子さんは両手を腰に当てて胸を張り、少しだけ偉そうな態度をとる。そんな能力がある設定はなかったはずだから、北沢さんの姿を確認して下駄箱の裏に引っ込む瞬間を見られたのだろう。


「相変わらずすごいですね、曜子さんは」


「ふふん」


 僕は自転車を押しながら、上機嫌になった曜子さんと歩き出す。というか曜子さんは最近ずっと上機嫌だ。四日後に迫ったクリスマスイブが楽しみらしい。七海家では毎年イブにパーティーをしており、今年は僕と文音も招待されている。


 そして僕も文音もその日は七海家に泊まることになっていて、翌日のクリスマス当日、誠司さんは仕事。文音は朝から女友達と遊びに行く予定がある。南沢高校は二十三日が終業式のため、僕と曜子さんは予定がない。つまり、クリスマス当日は夕方まで彼女の家で彼女と二人きりという男子高校生なら誰もが夢見る最高のシチュエーションなのだ。誠司さんには釘を刺されているし、もちろん変なことをするつもりはない。


 だが僕はそこまで楽しみではない。確かに今の曜子さんのことは好きだし、一緒にいるのは楽しい。だが、家に二人きりになって仮にいい雰囲気になっても、本物でない曜子さん相手にどう接すればいいのか分からない。こんな気持ちのまま、曜子さんと二人きりのクリスマスは過ごせない。


 だから確認がしたかった。設定とほんの少しの書き出ししかない理想の曜子さんの人格を消す手段がそもそも存在するのか、存在したとして、人格を消した時、本物の曜子さんの精神状態は大丈夫なのか。だが聞き方が分からない。どんな質問をすればいいのか思いつかない。考えている間に曜子さんのマンションに着いてしまった。


 上機嫌に鼻歌を歌いながら僕の二歩ほど前を歩いていた曜子さんがマンションの敷地と歩道の境目で立ち止まり、僕の方を振り返る。


「ねえ、文也君。今日、ちょっと元気ない?」


「そんなことないですよ。仮にそうだったとしても曜子さんと一緒にいたら元気になります。曜子さんのこと大好きだから」


「ふふっ。私も文也君のこと、大好き」


 そういう設定だからですか? そんな言葉が口からこぼれ落ちそうになったがなんとか飲み込んだ。だが、曜子さんはそれを見逃してはくれなかった。僕のことが大好きで、よく見ている曜子さんは誤魔化せない。


「私に何か言いたそうな、聞きたそうな顔。ここ最近、そんな顔することが多いよね。文也君もお父さんも」


 先ほどまでの上機嫌で陽気な表情は消え去って、唇をかむくらいに口をギュッと閉めた、悲しいわけではないのに、瞳が揺れ動くように見える涙が溢れそうな曜子さんの顔。きっと曜子さんは勇気を振り絞ってこの言葉を紡いだのだと分かる。


「ずっと思ってた。文也君との毎日はものすごく楽しかったけど、このままじゃいけないってこと。ほんとはクリスマスが終わるまではこのままでいようかなって思ってたんだけど、文也君の不安そうな顔を見たら、言わずにはいられなかった。文也君は私のこと、気づいてるよね?」


 僕は頷く。何の準備もしていなかったが覚悟を決めなければならない時が唐突に訪れた。


「ちゃんとお話しするならうちに来て。明日以降もこのままでいいなら、今日はお別れにしよ」


 そう言って、曜子さんはマンションに入っていった。


 駐輪場に自転車を置いて僕も追いかける。どうすればいいのかは分からないが行く以外の選択肢はない。理由なんてない。奥空文子の作品の主人公たちなら、そうするからだ。


 僕は夏休みが明けてから今日までの三ヶ月以上の間で文子さんの作品を三十冊は読んだ。その主人公の男の子や主人公の女の子と恋仲になる男の子は皆、勇敢で優しくて行動力があった。僕もそれにあやかりたい。今までもそうやってうまくやってきたのだから。


 四〇六号室の前で、僕は誠司さんに電話をかけた。


「もしもし、すみません仕事中に。少しだけ時間いいですか?」


「うん。何かあったのかい?」


「曜子さん自身も気がついているような感じがします。それに僕と誠司さんが感づいていることにも気がついているみたいで。ちゃんと話がしたいから部屋に来て欲しいと言われて、今家の前にいます。行ってもいいですか?」


 静寂が訪れる。不思議なもので、人間という生き物は音が無くても、姿が見えなくても、相手の感情を推し量ることができるのだ。そんなくだらないことを考えて、自分を冷静にさせた。


 長い無言の葛藤を抜けてきた誠司さんが言う。


「君が望む終着点はなんだい?」


「本物の曜子さんと仲良くすることです。僕は理想の曜子さんと七海曜子を救うことを約束したんです。誠司さんが交際を認めてくれる条件も曜子さんを完全に元に戻したら、でしたよね」


「そうか……君は結論を出したのか。私はこのままではいけないと思いつつも、このままの方がもしかしたら幸せなんじゃないかって考えてしまっていたのに」


「僕だって完全に決心がついたわけではないです。それに、僕もこのままでもいいんじゃないかって考えたことはあります。でも、曜子さんが役者を目指さなくなったら前のお父さんとの繋がりがなくなって、本物の曜子さんは悲しむだろうなって思うんです」


「そうか、君はそんなところまで考えてくれたのか……今まで、曜子に言い寄る男の子はたくさんいたが、一番困難な時に近づいてきたのが君で良かったよ」


「えっと、ありがとうございます……?」


「私は今まで通り君を信じる。君なら、きっといい結末に曜子を導いてくれるはずだ。私もすぐに帰るけど、しばらくの間曜子を君に託すよ。家に着いてもリビングか文子の仕事部屋で待っているから、気が済むまで曜子と話すといい」


「いいんですか? 自分で言うのも変ですけど、今までの他の人格を消す時とはわけが違うんですよ?」


「曜子はママとパパが大好きなんだ。どちらかをないがしろにするなんて曜子じゃない。そのことを君はしっかりと理解してくれている。だから君なら大丈夫だ。頼んだよ」


「分かりました。でも、お父さんと仲良くしたいっていうのも本音だと思いますよ」


「君にお父さんと言われるにはまだ早いよ」


 誠司さんはわざとらしく笑って、電話を切った。


 インターホンを鳴らすと曜子さんが家に入れてくれて、そのまま曜子さんの部屋に通された。

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