第26話 金曜日のゲームセット・土曜日の帰還

 翌日、結論から言うと、金井さんに勝つのは簡単だった。長谷のアドバイス通り大技を振らないように、簡単なコンボでダメージを稼ぎ、相手の攻撃を受けないように立ち回る。たったそれだけで勝ててしまった。今までの惨敗は何だったのかと思うほどあっさりとした勝利だった。


 小説の中で金井さんは鬼神の如き強さと表現されていたが、火村さんのビンタが痛くないのと同じように、木田さんのバッティングが上手でないのと同じように、金井さんのゲームの実力も曜子さんと同じで助かった。主人公の口調を真似て告白する。


「美也、これからは俺がそばにいるから寂しくないよ」


「……彼女にしてくれる?」


「もちろん」


 僕の肩に寄りかかりながら見せてくれた金井さんの笑顔はまさに天使のようだった。一瞬だけ気を失ったあと、曜子さんは目を覚ます。


「強くなったね、文也君」


「曜子さんが練習相手になってくれたおかげです」


「私も文也君とゲームするの楽しかったよ。それだけじゃない。トランプしたり、おしゃべりしたり、バッティングセンターに行ったり全部楽しかった。ゲームセンターに行ったことも一緒に勉強したことも覚えているし、体を触られて真っ赤な顔になったのが可愛かったのも覚えてる。私じゃない私と文也君が過ごした思い出もちゃんと七海曜子の心に残ってるんだよ」


「これからもっとたくさんの思い出を作りましょう。二人で遊びに行ったり、文音も連れて家にも遊びに行きますよ。学校でも一緒だし、 楽しいことがいっぱい待ってますから、日曜日を楽しみにしててください」


 退院を明日に控えた曜子さんの荷物の整理を手伝いながら色々な話をした。


 好きな食べ物はお父さん、つまり誠司さんが作ったカレー。隠し味は何が好きか尋ねるとしばらく考えた後にはちみつと言っていた。誠司さんは隠し味をばらすことなくカレーを作っていたらしい。


 好きな色は白。どんな色にでも染まることができるからとのことだ。その身に様々な人格を降ろすことができる曜子さんらしい答えだ。


 昔から妹が欲しかったことも話してくれた。これからも文音を自分の妹のように思っていいですよ、と言うととても喜んでくれた。


 一夜を明かし、明日の午前中の検査までしか病院にはいないので、必要のないものを誠司さんの車に積み込むのを手伝い、僕は一足先に帰宅した。荷物で僕の自転車を入れるスペースがなかったのもあるが、曜子さんが「お父さんともっと仲良くなりたい」と言っていたからだ。



 翌日の土曜日の午前中、中学生になってから初めて部活を休んだ文音と二人で曜子さんの家に行った。自転車を置かせてもらって誠司さんの車で病院に向かうためだ。


 ちなみに文音が部活を休む時に言った理由は「親戚の引っ越しを手伝いに行くため」だそうだ。あながち間違いではない。


 荷物のほとんどは昨日のうちに運び出しているので残っている荷物はごくわずかな日用品とノートパソコンくらいだ。日用品を詰めた鞄を持ってあげると見送りに来てくれていた杉本さんから「優しいね、彼氏予定君」とからかわれたが悪い気はしない。


 結局曜子さんが書いていた小説がどのくらいまで進んだのかは訊けていないがそのうち分かるだろう。僕らにはこれからがある。明日を乗り越えてこれからもずっと一緒にいるのだから。


 曜子さんの家に戻ると、曜子さんはまっすぐに文子さんの仕事部屋に向かい、仏壇の前に座って手を合わせた。


「ただいま。ママ、パパ」


 まさに最愛の人に再会したようなその姿を僕も誠司さんも、事前に事情を説明しておいた文音も静かに見守った。神聖で純粋な死者への祈りの時間と空間がその場に広がっていて、パパにはなれないと言った誠司さんの気持ちが少し分かった。


 ママとパパに挨拶を終えた曜子さんはキラキラとした目で、はつらつとしたいつもの表情に戻る。二人の死はしっかりと乗り越えたと体現しているようだ。


 曜子さんは昨日誠司さんが運んだ荷物を整理すると言って自分の部屋に向かい、文音も手伝いについて行く。誠司さんはお昼ご飯を作ると言ってキッチンに向かう。僕は下着なども整理するであろう曜子さんを手伝うわけにはいかないので誠司さんの手伝いをすることにした。キッチンにてお米を研いでいる誠司さんの横で人参、ジャガイモ、玉ねぎといったごく一般的なカレーの材料を切る。


 鍋に食材とカレールーを投入し煮込み始め、やはり料理となると少し上機嫌な誠司さん。その隣で手持無沙汰の僕は少し大きく切り過ぎたジャガイモを見つめながら尋ねた。


「今日の隠し味は何にするんですか?」


「曜子がうちに帰ってきてから初めてのカレーだからね。曜子が一番好きなコーヒー牛乳だよ。悪いね、次は別の隠し味をご馳走すると言っていたのに」


「いえ、ご馳走になる身で言えたものじゃないですけど、僕も好きでしたし大歓迎ですよ。でもコーヒー牛乳を入れてるってこと、どうして曜子さんに言わないんですか?」


「え? 言っていたと思うけど……」


 冷蔵庫から紙パックのコーヒー牛乳を取り出しながら誠司さんが答える。


「わー! やっぱりいい匂い。美味しそうな匂いしてたもんね。え? コーヒー牛乳入れるんですか? 曜子さん、コーヒー牛乳だって。私初めてだ。曜子さんは食べたことある?」


 荷物の整理を終えた曜子さんと文音がキッチンの方に歩いてくる。無邪気に喜ぶ文音に尋ねられた曜子さんは小首をかしげながらしばらく考えた後に頷いた。


「うん。とっても美味しいんだよ。きっと文音ちゃんも好きになる」


 誠司さんと曜子さんにとって二ヶ月近くぶりの同じ食卓、二人はもちろん文音もとても楽しそうで、僕も一瞬だけ抱いた違和感なんて忘れてしまった。

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