つづく世界をうたえ、小鳥よ

山田あとり

第1話 聴かれてしまった


 わたしは身のほどを知っている。


 わたしはただの女子高生で。

 歌が好きだけど人に聴かせる自信はないし、合唱部のみんなにまぎれて歌うしかできない。

 ただの弱虫。

 だけど。だけどね、ほんとうは。



 わたし、この世界をうたいたい――――。




 ✻ ✻ ✻




 高校一年の冬。うっすら曇った二月のある日。

 わたしの世界はほんのすこし、変わった。


「――俺、おまえの歌、好きだ」


 そう言ってくれる人があらわれたから。




 この日、先生たちの授業研究会だとかで部活は全休だった。わたし、林原陽菜はやしばら ひなが入っている合唱部だってもちろんお休み。声を張って歌う機会がなくなっちゃって、ちょっとつまらない。

 でも学年末テストがもうすぐだ。勉強もやらなくちゃと思ったわたしは、駅へ向かう友だちと別れ歩き出す。自宅が近いので徒歩通学なのだ。

 大通りを駅とは反対側へちょっと歩くと、バス停の近くで角を曲がり住宅地に入っていく。ここから家までは十五分ぐらいだった。

 その角からすぐのところにある公園は、いつも小学生が集まってゲームをしている。なのに今日は寒いからか誰も遊んでいないようだ。


「……うたっても、いいかな」


 わたしはキョロキョロしてからつぶやいた。


 好きな曲を、好きなだけ歌う。そんなことができる場所はあまりなかった。

 合唱部でも音楽の授業でも勝手なことはできないし、家では昼間お母さんが在宅勤務していてうるさくしちゃいけないんだよね。カラオケならいくらでも歌っていられるけど、おこづかいの問題であまり行けない。

 でもこの公園はそこそこ広くて、たぶん誰の邪魔にもならない。わたしはそんなに声量がないので。


 道路から少し中に入った、広場の横には藤棚がある。葉が落ちたその下に立ち、わたしは息を吸った。


「あ――、あ――」


 ドレミファソラシド――。


 軽く発声してみた。

 やっぱり歌いたくなる。


 ドミソドソミド――。


 我ながら細い声だった。

 パンチのある曲には似合わない。


「しょうがないよね。これが、わたしだから」


 ちょっとだけ笑った。

 偽善っぽいと思った。




 わたしはわたし? それでいいと思うなら、ちゃんと人前で歌ってみせればいいのに。


 でも恥ずかしい。

 下手だと言われるのが怖くて、否定されるのが怖くて、みんなの間でひっそり歌うしかできない。笑われたらと考えると息が詰まって苦しくなるんだ。


 でもね、だからこんな日ぐらい。

 ひとりで、そうっと練習させて。




 大好きなミュージカル曲を口ずさんでみた。お気に入りを数えるその歌は、CMにも使われる。

 落ち込んだとしても、大好きなものがあればだいじょうぶ。そう歌うと元気が出た。よし、がんばろう。


 次の曲はj−popで、アニメの主題歌。

 すこしわたしと似た細い声のアーティストは、わたしよりも風をふくんだ歌い方がやさしい。歌詞の言葉えらびもとても好み。

 どの曲もきれいで、心を励まし寄りそってくれるんだよね。彼女のような、誰かに力をあげられる歌い手になりたい。




 わたしには夢がある。無理だと思うけど。

 それは、歌のおねえさんになること。


 小さいころ、わたし保育園が苦手だった。ううん、小学校も中学校もかな。だって他人がいっぱいで、怖くて。いろいろなことが上手くできずに注意されると死にそうな気持ちになった。

 そういうのをね、はげましてくれたのが、歌。

 熱を出して家にいた日、テレビで聴いたおねえさんの歌はわたしの救いだった。


 でも、その存在にあこがれてはいるけどほとんどあきらめの境地だ。

 だって歌のおねえさんって、その時に世界でひとりしかいないでしょ?

 競争率すごそうだし、ちょうどよく代替わりがあるかどうかもわからない。それに音大で学んだ人とかが選ばれるものだろうけど、そんなお金のかかる進路は選べないと思う。そもそもわたしは背も低いから、〈おねえさん〉って雰囲気じゃないのが致命的。


 ――だけど、あこがれるのは自由だよね。絶対になれないとしても。


 無理だと考えただけで泣きそうになっちゃったけど、わたしは一人でうなずいた。

 よし、次の曲は幼児番組の行進曲にしよう。大好きなうた。どんな時でも空へ高くとび上がろうっていう応援ソングだ。


 すう。

 息を吸ったわたしは、イントロのリズムをとると笑顔で声を張った。

 そうしたら。


「ふへ?」


 妙な声とともに公園の入り口近くのしげみが鳴った。


 びっくりして振り向くと、そこに男の子がいる。

 わたしはその人の顔を知っていて――同級生の、須田龍仁すだ たつひとくんだった。


 視線が合う。ばっちり合う。


「――え。あ。やだ」

「お、あの、えっと」


 二人して口をパクパクした。言葉が出てこない。

 わたしはカチンコチンに硬直してしまった。顔も真っ赤だと思う。



 ――どうしよう、聴かれてた? わたしの歌を?



 須田くんも、一ミリも動かなかった。ものすごくバツの悪い顔をして、固まったまま大声で謝ってくれる。


「ご、ごめん! すげえ歌うまい人がいるって思ってのぞいたら――俺、おまえの歌、好きだわ!」


 須田くんはそう叫ぶと、くるりと後ろを向いて走り去った。



 ――やっぱり聴いてたんだ。



 わたしはザアア、と冷や汗にまみれた。こんなに寒い日なのに。


 どこから聴いてたの?

 まさかずっと、最初から?


 でもそんなことより。



 『おまえの歌、好きだ』


 

 そう言ってもらえたことに驚いて。

 うたを認めてもらえて嬉しくて。


 ――わたしはちょっとだけ泣いた。


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