第17話 僕らの居場所を守れ

 薄暗い森の中、1両のワゴン車が徐行するのを見つけた。装甲車ではない。砂埃で汚れた車の窓からは、何人もの人間の姿を確認できた。



「根須様、様子はどうです?」


「シッ。顔をあまり出さないで」



 早見鳥(はやみどり)の夫が首を伸ばしたので、僕は咎めた。連れてきたのは夫妻の片割れだけ。奥さんは村に残しており、村人の招集を頼んでいた。



「あれが人間どもが乗り回す鉄の馬車ですかい。ツルンとしてて、あまり強そうじゃないですね」


「油断しないで。その気になったら馬よりずっと速いよ」


「そりゃおっかねぇ。でも今はなんだか、のろまな亀ってとこですね」



 雨でぬかるんだ地面がタイヤにからみついていた。何度もスタックしかけて、それで焦れたのか、車は道半ばで停車した。


 やや遅れて車のドアが一斉に開いた。現れたのは迷彩服の男が4人で、全員がぬかるんだ地面を踏んだ。腕の腕章は青い。



「まったく、紫遠(しおん)のやつ、どこをほっつき歩いてやがる」



 年嵩の男が、タバコに火を点けた。そして、真冬を思わせる白い息を吐いた。短く刈り上げた髪に、左目の上にある大きな古傷が、なんとも強そうに思えた。



「紫遠なら逃亡者を追跡すると言ったきりですね、隊長」



 青腕章1人が言った。どうやら強面の男がリーダーらしい。



「1人でこんな所まできやがったのか? 命知らずかよ。必ず四人態勢(フォーマンセル)で動けと言ったろうが」隊長は手元の端末を眺めた。


「アイツはでていく時、なぁにすぐ戻るさ、とか言ってたんですがねぇ」


「その結果がこの尻拭いだ。紫遠にはしばらくの間、臭い便所を磨かせてやる」



 隊長は端末を眺めながら、道の先を指さして「逃亡者は近いぞ」と言った。


「本当にこんな所に潜んでるんですかね。要警戒地区(イエロー)ですよ。ゾンビにでも食われて死んでたりしません?」


「イエローじゃ、その線は弱い。クマと出くわす危険性の方が高そうだ」


「クマなんておっかねぇ……。ミュータントよりはずっとマシだけど」


「なら喜べ、労祖(ロッソ)。貴様のもっとも恐れる化物は、現在アームズが引き付けている。クマと遭遇したなら最前線で戦え」


「ひぇっ。勘弁してくださいよ隊長!」


「さて、楽しい楽しい無駄口はここまでだ。臨戦態勢をとれ」


 

 隊長は腰から銃を抜いた。黒光りするオートマチック式の拳銃。それは各人1丁ずつあるようだ。腰にはナイフと警棒も差し込まれている。


 Bフォーム、いくぞ。その声とともに、4人は道の奥へと歩いていった。ロッソと呼ばれた青年が先頭を行き、少し離れて横並びの2人が続く。隊長はその右手にいた。最後尾は最後の1人が固める。



 4人は付かず離れずの距離感のまま、道の奥へと歩いていった。皆が拳銃を構えながら、ゆっくりとした足取りで。



『根須様、これマズイですよ。あいつら村の方へむかってやがる』


『そうだね。先回りして村に戻ろう』


『こっちです。道は悪いが、だいぶ近道できますぜ』



 僕は早見鳥の後をついていって、木々の生い茂る獣道を走った。村に戻ると、広場には大勢が集結していた。



「根須様、どうでしたか?」



 村長が僕に強く問いかけた。他の村人もこちらを一斉に見た。



「確かに居た。銃で武装した人間が4人、こっちに向かってきてる」

 

「おぉ……なんということだ! よりにもよってパイソンたちが留守の時に」



 村長が天を仰いだ。白濁した瞳は、曇天に覆われた灰色の空を見ていた。



「村長さん。外回り部隊を呼び戻す事はできないの?」僕の問いはすかさず否定された。


「できなくはありませんが、滅多にしません。連絡手段は狼煙(のろし)をあげるくらいしか……」


「狼煙じゃあ、気づいてくれないかもね。彼らは今、人間の軍隊と交戦中みたいだし」


「根須様が出ていったときに、一度あげました。早急に気づいてくれることを祈っております」

 


 そこで、村人たちが膝をついて咽び泣いた。終わりだ、もうお終いだと、悲嘆に暮れてしまう。


 あまりの怯えように、僕は動揺を隠せなかった。

 


「どうしたのみんな、落ち着いてよ」


「無理ですよ根須様……。銃を持った人間相手に敵うわけ無いんです。オレらは頭をぶち抜からたらお終いなんだ。せめて、ナイフとかその辺が相手なら、戦いようもあるんですが」


「戦えないなら、村の外に逃げよう。森の奥に入っちゃえば連中も追ってこれないでしょ」


「森に逃げて、あとはどうするんです?」


「そりゃ、その、ほとぼりが冷めるまで隠れるかな」


「つまりは野宿ですかい。たぶん、ここに居る半分は戻ってこれねぇです」



 そういう事か。僕はようやく村人と同じ視点に立てた。


 戦えば犠牲者を出してしまう。では遠くへ逃げたとしたら、今度は夜の冷え込みに襲われてしまう。いずれにせよ、甚大な被害を覚悟しなくてはならない。


 それは単なる頭数の減少では済まない。見知った顔、仲睦まじいパートナーや友人の喪失を意味している。昨日まで当たり前のように接した同胞が、明日には居ないかもしれない。その可能性が恐ろしいのだ。


(そうだよね。みんな一緒にいたいよね)



 僕は望海を見つめた。彼女もこちらを見返しては、小さく、しかしよく通る声で言った。



「私は、この村を捨てたくない」


「望海ちゃん……。でもここに残るのは危ないよ」


「私はこの村が好き。みんなと過ごした毎日が宝物のように愛おしい。それを土足で踏み荒らされて、何も出来ずに逃げ回るなんて、私は絶対に嫌」



 望海がそう言い切ると、村の空気が引き締まった。逃げ出そう、という声は小さくなっていた。

  

 僕は瞳を閉じた。正直なところ、村を捨てるべきだと思っていた。しかし逃げてどうなる。またいつの日か同じように襲われるだろう。そのたびに僕たちは、居場所を奪われ続けるのだろうか。


 それは嫌だ。失くしてはならない。少なくとも、他人の都合や暴力に屈してはいけないんだ。そう決意すると、僕は皆に問いかけた。



「戦おう。僕たちは、自分たちのために戦うべきなんだ。どこかで踏ん張らないと、いつかは追い詰められて滅ぼされてしまう」



 その言葉でざわめいた。



「そんなの無茶ですって。蜂の巣にされちまいますよ。とんでもねぇ射撃で、一瞬のうちに穴だらけに!」


「それはないから安心して。彼らが持ってる銃は、そこまでの連射性能はない。そこまでの武装は、限られたメンバーだけに許されてるんだ」



 僕は赤腕章の男たちを思い返した。彼らは強いだろう。しかし青腕章の身分は保安官で、治安維持が主な任務だ。戦い慣れしていない可能性があったし、特にロッソという男はつけいる隙がありそうだ。


 

「これからも皆、一緒にいたいよね? この村で暮らしていきたいよね?」


「そりゃもちろんですよ! 大事な故郷なんですから!」


「じゃあ戦おうよ! 自分の大切な人は、居場所は自分で守らなきゃいけない! そうでしょう?」


「そりゃ、そうかもですけど……」


「安心して。良い作戦があるよ、上手くいくと思う」


「作戦……?」


「その前に少し教えて。僕はゾンビの生態にまだ詳しくないんだ」



 それから皆で輪になって集まると、不確かな部分を詰めた。


 人間を噛むとゾンビ化させられるが、多少の時間が必要だった。そこは個体差が大きい。感染する前に大きなダメージを与えると死んでしまい、その場合はゾンビ化しない。


 また、僕たちゾンビは痛覚というものがない。身体を損傷しても数日で回復するが、頭頂だけは別。治りがひどく悪いし、脳を傷つけられると助からない。あとは土に還るだけだと言う。



「なるほどね。ありがとう。おかげで、より安全な作戦がたてられるよ」


「おぉ……本当ですかい! あぁ、神様……ッ!」


「神様ではないけどね? ちなみに早見鳥さん。敵はどれくらいで村に着くかな?」


「鈍足だったんでねぇ。あのペースなら小一時間はかかるんじゃないです?」


「わかった、手早く整えよう。みんな、よく聞いて!」



 僕は地面に村の俯瞰図を描いた。そして作戦を説明しては、誰が何をするかについて明確化した。


 村人たちは真剣だったせいか、僕の話も一度で理解してくれた。



「どうだろう。これなら、被害を出さずに撃退出来ると思う」


「良いと思います。少なくとも、これ以上の作戦はすぐに出てこないでしょう」村長が言うと、皆は頷いた。


「よし、じゃあやろう! 分担どおり頼むよ!」



 それからの動きは早かった。野ざらしにされた接収物は倉庫に詰め込む。僕は発電機に手を加えた上で、電球の置き場所を変えた。


 30分も過ぎた頃、望海が駆け寄っては報告した。皆が配置に着いたと。



「それからコレ、頼まれてたやつ。倉庫に良さげなのがあったよ」


「ありがとう、助かる」


  

 手渡されたのは単眼鏡だ。レンズが曇っているけど、無いよりずっとマシだった。



「それじゃあ、みんなにはその場で待機を。くれぐれも頭を低く、あげないようにね」


「もちろん。子供の康太でさえ、ちゃんと理解してる」


「よし。僕たちも配置につこう」



 僕は望海を連れて、辻に近い家屋に潜んだ。村は驚くほど静かで、虫の音すら聞こえないのは不思議だった。


 単眼鏡で東の方を監視した。来た。迷彩服。僕は単眼鏡を覗きながらツバを飲んだ。作戦が成功するかは、みんなの頑張りにかかっている。ここが生存と滅亡の境目だと感じつつ、彼らの動きを注視した。


 曇天の下であるのに、彼らの携える銃は鈍く輝いて見えた。


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