霧の中。

秋野 公一

第1話

ある日、死のうと思った。今年で二十歳になる。かつて愛していた女の彼氏との性交は、私を地獄に追い込んだ。たかだか二十歳で死ぬとは、なんとも情けない。なにも死ぬほどのことではないだろう、ときみは言うだろう。しかしながらきみの創造力では及ばない、苦しみがあるのだ。霧の中を彷徨い歩く、凍てつく氷の世界で悴んだ指を誰も気に留めない世界に辟易としていた。自身の四肢が制御を失い、自壊するような絶望だった。何も先住の理由のみで死ぬのではない。将来に対する希望が失われているのは書き留める必要がなく、読者の想像に任せよう。僕の中のきみとは唯一無二の存在だった。あの夏、むせかえるような夏の日。今でも思い出す。花火大会のあの日、手をつなげなかったきみの笑顔をかすかに覚えている。あの時、自身の矮小な心に負けたあの日、彼女の彼氏になれなかったあれ以来、私はずっと死を考えていた。やはりあの恋に今でも悩まされている。彼女はー厳密には私の彼女ではないー遠くに行ってしまった。私よりも優秀な男性の女となった。ふと、その二人の様子を考えてみた。間も無く結婚し、子供をこさえ、広く大きな家に住むのだろう。そして子供が成長し、真実の愛のもとに子供が産まれて、代々脈々と続く家系となるのだろう。地球が滅ぶその日まで続く血脈になるに違いない。それはよかった。私は、ひとえに彼女の幸福のみを祈っている。私の幸福など、なんの意味もない。と思ふ。なんの意味もない。この愛など、あの夏の日の思い出など価値がない。彼女にとって。私の記憶の宝石は、彼女には石ころとも違わないだろう。残念だ。すこぶる残念だ。ただただ無念だ。これ以上生命の輝きを、失われた青春に執着しても苦しい。みっともない。せめて最期くらいは、美しく。豊かに。次こそは、彼女と共にいきたい。来世は、この憐れな青年を神が見ているのなら、おそらく彼女の子供くらいにしてくれるだろう。そんな期待を胸に、今晩、首を括る。

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