蟲の門                        

 トビーはあいかわらずTVにどっぷりハマっている。ピーはそんな彼にかまってらんないから十時になると二階の寝室にあがっていく。

 彼ったら「子供じゃあるまいし(大人なら)夜遅くまでTVを見て当然」という。

 ピーはやっぱり眠くなるし、次の日の仕事に影響するからって考えると睡眠のほうをとってしまう。

 そんなトビーが真夜中TVを見ていた時のことだ、正確にいうと彼は居眠りしていた。そう、彼はTVを見ながら眠っちゃうことが多々ある。

 まだ、本格的な夏の来る前のとてもすごしやすい時期で、半袖のシャツに半パンで絨毯の上でごろ寝していた。

 その時、蟲の門が開いた。

 なにかが、トビーのすねにさわった。彼は脛毛がボーボーだった。あれって何のために生えてると思う? 

 その用途について考えたことがなかった。

 彼って胸毛とかないのに、脛は剛毛がうねうね密集して生えてて、だからスプリングみたいにボヨヨヨヨーンってなって、からだを守ったんだ。

 わかった? 脛毛って蟲からからだを守るために生えているんだ。

 なんだか、こそばゆいってなってムカデに気づいて「ギャー」って真夜中に叫んでた。いままでムカデが出たことがなかったのでそりゃ驚いただろう。蟻とはレベルが違う。大きさも百倍ぐらいあるし、悪い虫のイメージがある。

 みんなが住んでいる滋賀県にはムカデの伝説があって、近江富士と呼ばれる三上山を七巻き半する大ムカデがいてそれを俵藤太が退治したという。たぶん、昔からムカデが多かったのだろう。

 でもさ、ピーの実家にムカデはいなかった。あの虫は暗くてじめじめとした場所を好む。家の隣に藪があるような家に出るらしい。

 だから、まさかって思った。じぶんにあいつがあらわれるなんて、実家とくらべるとたしかにじめっとしてるか。でも、まさかまさかなのよ。

 そのころ町では農地整備をやってたの。田んぼっていろんな大きさや形があって、いまみたいに決まった大きさじゃなかった。へんな形の田んぼは機械化の妨げになるから、四角形の田んぼがいいわけ、それで大規模な農地整備がおこなわれたの。 

 ピーの実家は農家じゃないからあんまり関係ないとおもってた。ところが、ムカデと農地整備には少なからず関係があった。

 ある年、農地を均等にそろえるため田んぼを重機でガーガーとほじくり返していた。ずっとうるさかったけれど、そのうち終わるだろうと我慢していた。

 実家にいった時、床にムカデがいたの、動かないから死んでるものと思った。棒でチョンチョンしたらごそごそ動いてびっくり、ムカデをみたら殺処分しかない。だって、やらなきゃやられる。

 たぶんなんだけど土地整備で土をほりかえした結果ムカデが町に広がったんじゃないかな。聞いた話ではいままで現れたことのないような場所にも出没するようになっていたんだ。

 蟻事件のすぐあと、ピーに子供が生まれた。名前は、かねてから決めていた金太郎にした。現在、幼稚園の年長さんである。ピーは子育てを優先して、かねてからの夢であった専業主婦になった。子供が生まれると、子供が主役で親は脇役になってしまうんだって痛感した。でも、親になるとそれを享受できるようになれる。

 幼稚園に行くとちっぽけな社会が世界のすべてになっちゃう。いま思うとへんてこなところだったなあ。また、別の機会に井の中の蛙みたいにおかしな世界のお話をできたらいいのだけれど。そうそう幼稚園は休みになるとなにか家族でイベントをしないと子供がかわいそうなのよ。浮いてしまうというか話のネタがないと悲しむというか。だから、夏休みは必ず旅行に行った。

 金太郎が、海外旅行に行きたいっていいだして、そのことをトビーにいうと「じゃー、行こうか」って軽いノリで夏休みにシンガポールとタイにいくことが決まった。 

 どうしてか、その理由はわかってるんだ。友達のTくんが毎年海外旅行に行っていて、その話を聞くもんだから子供心に羨ましかったにちがいない。

 ちょうど旅行一週間前のこと、家の草が伸び放題ですごいことになっていた。雑草の生命力あなどるなかれ、刈っても抜いてもすぐ伸びてくる。あんまり伸びると近所の目が気になってくる、なんか言われるんじゃないかって、だから重い腰をあげて暑いのに草引きをして、なんとか庭もすっきりした。

 その夜、突然の違和感で目を覚ます。首筋にモゾモゾとなにかがあたってくる。

 人間って感覚でわかるんだよ。それが、危険か危険でないか。ピーの頭の中は警戒警報が鳴りまくっていた。執拗なほどにガンガンくるそれは、たぶん生き物、だってモゾモゾ動いてるもの。謎の生命体Xは前進したいのにピーの首があるから進めない。だから、なんどもなんどもアタックを繰り返す。

「いい加減にしてくれ!」

 ピーはイライラした。イーってなる気持ちを抑えながら、この状況がとてつもなく危険であることを感じていた。ガンガンあたってくるいきものの正体をかんがえた。それによって対処のしかたがかわってくる。虫特有の硬くて細い足が複数本あるのがわかる。それが首筋にあたってモゾモゾする、もはや生きた気がしない。

「いったいこいつは何なんだ?」

 真っ先に浮かんだのはムカデだ。でも、二階でムカデが出たことはない。だったら、ゴキブリだろうか? いや、ゴキブリも二階には出ない。

 怖い、怖くて怖くてたまんない。もし、トビーがいてくれたらなんとかしてくれるのにって思った。真っ暗な部屋で脳だけ必死に動いていた。

 もしかすると、昼間の草引きがこのような状況を招いたのではないか。草の中にいた虫が追われて、開いていた窓から入って来た可能性がある。もちろん網戸はしているが、あれって、蚊には有効だが他の虫は平気ですり抜ける奴がいる。

「もう、あの窓は一生あけるものか」 

 すでに遅いんだけど、進入路らしき窓は金輪際あけないことに決めた。クーラーの風が好きじゃなかった、窓さえ開けていれば夏も乗り切れたしね。お金もかからないし、いいことづくめ。

 よく考えるとムカデの可能性が大だ。多くの足があるからモゾモゾするんじゃないかって。こうなると、ゴキブリであってほしい。ゴキブリを望むなんていままでなかったけれど、ムカデよりはましだろう。自分の首筋が虫にかみつかれてとんでもない状況になってるのではと恐れた。

 怖くてずっと首を動かすことができずにいた。この虫がムカデだった場合、処置の仕方がむずかしい。捕まえて始末しないとほかの人が噛まれる可能性があった。絶対逃がすわけにはいかなかい。もしも、ベッドのすきまに入り込まれたら、マットをひっくり返して、ベットを動かして大探しすることになるだろう。だって、ムカデがいる場所で安心して寝ることなんてできやしない。見つけ出して始末しなければ家族の平和は守れない。

 ずっと悩みまくった。その間も虫は首筋でモゾモゾしたり、しばらく止まったりを繰り返した。地獄の責め苦である。真夏だというのに暑さも感じない。

 ピーは部屋を真っ暗にして寝るタイプだった。今回のような場合それが悪い結果を招いてる。捕まえるとなれば一発勝負、一瞬できまってしまう、まわりがみえないと取り逃がす可能性が高い。下手すれば次は金太郎が嚙まれるかもしれない。

 しつこいぐらい首筋にあたりちらしその先に進もうとガンガンとぶち当たってくる認めたくないが九分九厘虫である。しかも、悪い虫である。

 ピーのWベッドの、となりには金太郎がすやすや寝ている。トビーはまだ一階でTVを見ているはずだ。たぶん、もっともっとしてからでないと上がってはこない。

 なんとかして虫をつかまえて始末しなければ。いくらなんでも素手で捕まえる気にはなれない。手を嚙まれてしまう。タオルケットをつかんで虫を捕まえるのはどうだろう? アイデアは浮かぶがすぐには決断できなかった。逃げられた後にある夜通しの大捕り物のことをかんがえると怖くて行動できない。

 ものすごい長時間虫ともんもんとした時間をすごした。実際は一時間ほどかもしれないが、体感では三時間ぐらいあった。

 いつまでたってもトビーはあがってこない、下で寝てるのかもしれない。虫は前進あるのみという感じ、このままじゃ首に穴をあけられるかもしれない。

 ピーは首の痛みよりももっと深刻な悩みがあった。

 先週、ロクハプールに行った時のことだ。家の近くにある人気の市営プールである。その日もすごい人で、だって、田舎にしては流れるプールもあるし、ウォータスライダーもあるし設備が整っている。でも、ピーの住んでる町ではないんだ、裕福な隣町なんだ。

 そこの売店で焼きそばの行列に並んだ時、おかあさんふたりの会話を耳にした。盗み聞きするつもりはなかったんだけど大きな声だから勝手に聞こえてきたんだ。

「この前プールに来た時のことだと思うのよ。ムカデにさされたらしくって、その時は気づかなかったんだけど、家にかえって体調が悪くなって救急で運ばれ、ずっとベッドに寝かされ点滴を打っていたのよ」

「えー、ムカデって怖いのやね」

 ふたりはピーより年上のおかあさんだった。この時、知らず知らずのうちにムカデの恐怖を植え付けられていた。

 その話が頭の中で再生されて、もうあかんシンガポールいかれへん。わたしは病院でベッドに寝かされ動くこともできずずっと点滴を打たれ、旅行はキャンセルすることになるだろう。なんで草引きなんてやったのだろう。やらなければよかった。

 旅行に行けないのがつらくて泣きそうだった。

 天罰だろうか? ふとそう思った。旅行ってさ、苦労した人がご褒美で出かけるイメージがある。わたしみたい苦労の足りない人には不釣り合いというか、だから神さんが天罰を与えたのではないか。

「おまえには早すぎる」って

 首筋に穴が開いてるのではないかという恐怖、たぶんアドレナリンがでてるからいまは痛みとか感じないけど助かった後でくるんだろう。

 どういう幕引きにもっていけばいいのか、ずっとかんがえ続けていた。トビーは相変わらずあがってこないし、わたしが自力でムカデをつかまえられるかというと自信がなかった。確率は五分五分、捕まえる時に噛みつかれる可能性もあった。怖い、怖くて怖くてしかたがない。これが夢であったらどんなによかったか。

 でも、これは現実で首の痛みも現実。

 ところが、チャンスが突然舞い込む。寝ていたはずの金ちゃんが目を覚ます。眠っていてなにかの拍子で目をあくことってあると思う。それがおこった。いまを逃してなるものかと「金ちゃん、ムカデが出て刺されたからおとうさんを早く呼んできて、早く早く」いつも元気なピーが悲痛な声でお願いした。金ちゃんは、まだ寝ぼけているのかトボトボ階段を下りて行った。

 しばらくして、トビーが「だいじょうぶか?」って助けに来てくれて「あのな、ムカデが首のところにおるから捕まえてほしい」って、ピーは泣きそうだった。トビーはすぐにムカデをタオルケットでつかむと下に持って行った。

 また、もどってきて「草引きなんてやるからやで」と痛いところつかれた。

 首はやはり傷つけられていた、トビーがムカデにかまれたときの対処法をネット検索してくれた。虫刺されの薬を塗ればいいようなので、ムヒを塗り込んでくれた。

 金ちゃんはまた寝ちゃったみたい、子供ってすごい。トビーもさすがに寝ることにしたようだ。ピーだけが目がさえちゃっていろいろかんがえちゃって眠れない。

 なぜ、ムカデはピーを噛んだのだろう? 冗談で甘噛みしたのだろうか? 

 それとも、わたしを殺すのが目的だったとしたら? それを考えたら怖くて怖くて眠れない。

 次の日、玄関にムカデの死骸を見つけた。意外にちいさなムカデでこいつに一晩中苦しめられていたと思うとむかついた。

 ピーはムカデにかまれた傷口が怖くて一度も見なかったし触ることもしなかった。そのうちかさぶたが取れてきれいに治った。

 ピーは入院するようなこともなく、家族旅行も行くことができた。

 土地整備でムカデが広がった説が正しいかどうかはわからないものの、いままで出没しなかった場所に出るようになったのはたしか。


 田舎では地域清掃が義務づけられていて、年に三回、川の掃除がある。スコップで泥をすくいあげたり、草を刈ったりして、住民で町を美しくする。当時、不参料が二千円で結構な金額だったのでよほどのことでもない限り不参加の人はいなかった。

 トビーが出られない時はピーが出席することにしていた。ピーは皮膚が弱いので紫外線で真っ赤になるし、それで後日病院に行くのなら本当は不参料払って行かないほうがいいのかもしれない。

 田舎だからか、川そうじの先頭はおっさんがいく、男女平等とかいわれて女性も先頭どうぞなんていわれたらいやだ。草はボーボーで泥はたまっているし、一番大変なのでやってもらえるとありがたい。女性には川に入らなくてもいい場所で草引きが用意されている。そこで、おばさんたちは時間までおしゃべりしながら草を引く。こんなこと言っちゃなんだが自分の家の草引きでもやらないほど丁寧にやる。

 ピーより年配のおばちゃんが草を引いてるとムカデのちいさいのが出てきて、年の功というのかビビることなく鎌でムカデを追い払い。

「ムカデというもんは執念深いいきもんでなあ。夫婦のムカデの片方が殺されたなら残された方が必ず敵を討ちにくる」

「ええー」ってなって「こわー」って、なぜか、ピーは自身がムカデに噛まれた話は黙っておいた。

 その日、変な夢を見てしまった。ムカデの土の中の家で、ちいさな暗い部屋の中に見覚えのある写真が貼られていた。ピーとトビーと金ちゃんが映ってる。この前のタイ旅行でゾウに乗って撮った一枚だもの。案の定というか、ピーの目玉に金の画鋲が突き刺さっていた。


 家を建てる時、多くの蟲の命が奪われる。たくさんの蟲の屍の上に家を建てるのはそこに住むものとして気持ちがいいものではない。

 そこで、ある考えが生まれた。それが、蟲の門である。

 家を建てる時、地面やその下には蟲がうじゃうじゃいる。彼らが建物の中で閉じ込められないよう逃げ道を用意してやる。そして、家が完成した暁には蟲の門は封印する。なぜなら、門を開けっぱなしにしておけば、蟲がそこから入ってきて家人に悪さを働くかもしれないからである。

 しかし、封印が解けた蟲の門を閉めることは容易ではない。




 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る