鎌と槌
@inarikawa
鎌と槌
祖国へ向かう帰路の途中、列車に揺られながら私の頭の中には様々な思いが巡ってきた。遡ること19世紀。偉大な先人が我々に道を示した。私はこの汽車である。レールを敷いてくれたのは先人である。20世紀というこの時代を我々は走っている。彼らが提唱したのは富と資本、その一般的な原則である。利潤の追求に起因するコモンの喪失と公共財の分配の不均衡とそれに伴う社会的階層の固定化及び格差についての鋭い洞察である。この普遍の原則は全人類、全世界の労働者の抱える窮状を説明するのに極めて合理的な方法論であった為、瞬く間に世界中に広まった。そう、我々は気づいたのだ。この社会を動かす巨大な力。その力の正体が何であるか。人間個人が抱える実存的な不安。それに付け込み、それを加速させ、さらに自分たちの都合のいいように誘導する者たちは誰なのか。我々は目覚めたのだ。そういった実体が確実に存在し、社会や国をも自在に操っている。競争は止まらない。もう誰にも止められない。奴らは巨大な軍産複合体との癒着を形成し、挙句の果てにはこの未曾有の戦争である。人々はついにこのような極限状態にまで掻き立てられてしまった。この20世紀という時代そのものが、人々が内包していた劣等感や自尊心を燻ぶらせる土壌となってしまった。そして民族主義や国粋主義の名の下で、歪んだ敵愾心や肥大化した猜疑心が欧州全体で数々の謀略を巡らせ、混沌として吐き出された。やはり先人たちの言う通りではないか!彼らの提唱したそのシナリオ通り、その脚本通りに事は進んでいる。その実践主義的な提案は、社会変革の大きなうねりが始まるというその予想は、全く正しいものであった。彼らは予言した。そして、我らがここに実行する。そう、それは例えるならば内燃機関である。労働者の悲痛な叫びを燃料として駆動するディーゼルエンジンである。先人たちの灯した炎、そのほとばしる情熱を果断な行動力で以て革命エネルギーへと変換してゆく。このボリシェビキという巨大な列車が走り出したらもう止まらない。今まさに始発のベルが鳴り、大勢の乗客たちが我先にと詰めかけ乗り込んでくる。ホームに立ち止まり「行先はどこなんだ」と問う者たちもいる。このまっすぐに伸びたレールの先には一体何が待っているのか、この列車の車掌には見えているはずである、新生ロシアという終着点が。
私には聞こえる。そして私の身を小刻みに震わせる。鳴り始めたその地響きが。帝政ロシアが音を立てて崩れ去っていく。
車窓には荒涼とした大地が広がっている。嗚呼、早く帰らねば。祖国の地が待っている。一刻も早く私の帰還を願う人々がいる。彼らにこの単純明快な真理の法則についての知見を広めなければ。そして私がすべてを終わらせるのである。この無益な争いを。欲望の連鎖を。隷属と服従の忌まわしいくびきを。
ふと目を閉じると、幾ばくかの時が過ぎ、夜になっていた。汽車は寒々しい闇夜の中を走り、ここがどこなのかは判然としない。独逸から脱し、スウェーデンへ入境したのち、スカンジナビア半島をなぞるように伸びる路線へと乗り換え、まだまだ旅路は続いている。汽車で相当長いこと揺られるうちに遠い祖国への郷愁が募ってくる。また同時に怒りや憤慨に似た感情が湧いてくる。農奴の困窮、工夫の窮乏ここに極まれり。農奴は鎌を振るえど一向に豊穣にはありつけず。工夫は槌を振るえど一向に恵まれぬ。すべてこの国全体を支配する巨大な搾取の構造がそうさせたのだ。人々を機械に変えたのだ。貴族と資本家たちは貪欲で満たされることを知らぬ。今日も戦争経済を利用していかに私腹を肥やすかを思案している。いかに人々から収奪するか、簒奪するか、この機に乗じて考えることはそればかりなのか。今年も戦時下における特別徴税案が議会を通過した。彼らが貪り取ろうとしているのはまさに血税である。それは労働者の血と汗と涙の結晶である。この国のあらゆる場所で、工場で、炭鉱で、農場で、工夫はつるはしを振るい、槌を打ち、農奴は土を掘り、身を砕き、斃れるまで勤労に奉仕したその対価である。あろうことか彼らはそれを欲しい儘にしようとしている。重税は日に日に人民を苦しめる。軍部はもはや戦争の目的を見失い、末端の兵卒にとっての最大目標は敵陣地ではなく、生きながらえるための兵糧である。あちこちで反旗が翻り、自軍の兵站拠点が急襲されている。嗚呼、神よ、なぜ彼らに手を差し伸べないのだ?なぜその見えざる手で彼らを救ってはやらぬのだ?人々が欲しているのは果たして何であろうか?来世での救済ではない。日々の糧である。今自分たちを苦しめている欠乏からの脱却である。人間を救えるのは人間だけである。
私は強く思う、革命闘争の燃え滾るような情熱がこの凍てついた大地を溶かしてゆくその日のことを。人民の赤き血潮がこの国を真紅に染めあげるその日のことを。農奴たちを隷属の鎖から解放し、工夫達を束縛の檻から解き放つその日まで、私は闘い続ける。
圧政と悪弊とがこの国にははびこっている。旧態依然とした宮廷政治による支配と前近代的な土地制度が特に顕著な進歩的発展への弊害である。ロマノフ朝の始めから続く王侯貴族による荘園支配は大量の小作農を生み、支配と被支配の関係を固定化させている。汚職と権力の腐敗はもう目に余る。この国はすべてが金で動くと言っていい。人々は金を崇拝している。
富める者と貧する者、持てる者と待たざる者。格差の拡大はとどまるところを知らない。なぜ人は皆平等に作られていないのか。私はこの世界に横たわる大いなる欺瞞に憤慨しているのだ。
不覚にも高揚してきた。いける、いけるぞ!
革命思想の情熱はウラル山脈を越え、シベリヤを越え、遠く地の果てまでも伝わっていくだろう。春の訪れである。革命の息吹が冷たく乾いたツンドラの大地に降り注ぎ、枯れた木々を芽吹かせ、草花の芳しい香りが極東の不毛な土地を潤いで満たし、厚く氷に覆われた永久凍土をも溶かしてゆく。人々は待ちわびていたに違いない!この国全体に進歩と科学的発展とが行き渡り、旧弊を打ち破り、長く続いた冬の時代に終わりが来ることを。
革命思想は人類普遍のものである。わが国だけがそれを独占してはならない。東方の賢人たちのなかにも我々に共鳴する者たちがいると聞く。
我々の最終目標は人類の進歩である。そしてその前提条件は人民一人一人の意識の向上であり啓蒙である。人間に秘められた善なるものに働きかけ、その総和としての有機的結合がこの世界を進歩へと導くのだ。
階級闘争を通じた悪弊・旧弊の打破、そしてその先にある社会主義的発展は人類にとって必然である。そして歴史にとっての終着点である。
もちろんこれが長い旅路になることは十分承知のことである。やはりこれからのことを思うと不安が募る。帝国政府の苛烈な弾圧は日に日にその烈度を上げている。先月も何名かの同志が捕縛されたとの報が伝わってきた。もちろん私自身の身の安全も非常に危ういものとなっている。私は革命闘争に身を投じている。失敗すれば反逆者である。捕まれば国賊の誹りを免れん。きわめて危うい淵へと自らを追い込んでいる。なんだか得体のしれない感情が込み上げてきた。そうか、私は恐怖しているのだ。勇ましく雄弁で知られるこの革命家である私にも当然恐怖の感情は備わっている。その証左であろうか、武者震いがする。小刻みに足が震えてきた。私ほど意志の強い人間はいない。その自負があったからこそ今ここまでやって来た。しかし、どうだろう今の私は、どうしたのか、今更怖気づいたのか!その意志の強さとは相反し、私の身体は鉛のように動かない!どんなに勇猛果敢な武人であっても、いざ戦場に赴くという道中、何ら慄くことなくいられるものだろうか。かつてこの国を幾度となく脅かした、匈奴。彼らは荒涼としたステップを馬に乗って駆け、あらゆるものを奪いつくした。タタールのくびきと呼ばれ、露西亜の歴史に暗い影を落とした出来事である。ルーシ民族が古来より語り継いできた伝承がある。そう、「草原の蒼い狼」に我々は恐怖した。果たしてそこで何が起こったか。
蒙古騎馬兵団の軍勢、遠方より轟きたる雷鳴の如し。地平の彼方にその大軍を見ゆ。軍馬連なることその数幾千。疾風怒濤と駆けること幾千里。馬に跨りたるは巨漢の猛者たち。迫りくること電光石火。強弓放てば、矢が空を劈き、馬上の一筋の槍が円弧を描けば、一朶の衝撃波が近傍の空間を穿ち、立ちはだからんとする者たちを薙ぎ払い、たちまちその地は彼らの手に落ちる。
まるでその様は恐怖を感じる遺伝子をどこかに置いて来てしまったかのようである。
だが、果たして本当にそうであろうか?中にはおびえて馬から自ら転げ落ち、尻尾を巻いて逃げてしまった者もいたに違いない。古今東西、英雄列伝を参照し、その猛きこと甚だしいを聞くにつけ、果たして彼らに一寸の恐怖すらなかったのかと思案してみる。ユーラシア大陸の東西をその手中に入れんと欲した、「蒼き狼の子孫」と呼ばれるほどの蛮勇は何を恐れ、何に躊躇したのだろうと。彼のローマのシーザーがルビコンを渡るとき、その煩悶たるや如何様のものであっただろうと。彼の蜀漢の劉備玄徳が赤壁に臨むとき、その心境たるや如何なるものであっただろうと。今の私と同じである。きっと彼らも迷ったであろう、恐怖したであろう。しかしそれらに打ち克って偉大なる武功を挙げたではないか。そうやって私は自分を奮い立たせる。そう、古今東西の英雄たちは果敢に挑戦し、皆成し遂げたではないか。
いや、待てよ。皆ではない。
遠く極東における、ヤーポンスキーとの戦いにおいて、敗軍の将となった極東方面総司令官クロパトキン将軍についてはどうであったろう。彼の行方は今何処であろう?官職を更迭され、シベリヤ送りになったとの噂を聞くが、その身の消息について知る者は誰もいない。現場責任者であったステッセル中将は敵に捕縛され、悪辣なヤーポンスキーの敵将ノギによって大いに辱められたとも聞く。蛮族に敗れたのだから当然であろう。はて、我が露西亜帝国は意外と弱い。今も戦線を離脱する将校が後を絶たないという。だからおめおめと独逸に対して頭を下げ、交渉の余地があるなどと言い出す者たちが現れる始末である。まったく情けない。しかしそんな露西亜の血を私も引いている。いかん、余計なことを考えた。不安が募ってくる。次の駅で降りて引き返してしまおうか。嗚呼、血迷ったか、ついにそんなことまでが頭をよぎる。
だがすべてを投げうってここまで来た。なまじの覚悟ではない。
私は今、煮えたぎるような祖国への愛によって突き動かされている。情念である。妄執である。ああそうだ、嗤えばいい。王党派よ、守旧派よ、思う存分嘲るがいい。気の触れた道化が滑稽な芝居を演じてやがる。まさにその通りである。下手したら革命ごっこで終わるかもしれぬ。憂いの中朽ち果てて、もう二度と陽の目を見ることもなく、歴史のあぶくの中に消えていく身なのやもしれぬ。すべてが偽りで、空虚な茶番で、おかしな空騒ぎで終わり、我が身はシベリヤの露と消えるのだろうか。しかしだ、しかしだな。祖国への思い。それだけは本物であると、そう強く確信しているのだ。
この国は、我々は今、亡国の淵に立たされている。
得も言われぬ感情が込み上げてくる。私には使命がある。為すべきことがきっとあるのだろう。何としてでも是が非でもこの国を、この地上を、その究極的な理想へと導かなければならない。
今こそ専制主義を打破し、人民の富と権力への盲目的追従を終わらせ、この国を進歩へと導く!!!
私は帰らなければならない。祖国の地をまた再び踏まなければならない。
これは明白なる天命である。祖国で私を待つ同志たちがいる。もし神がいて。いや、もし天がいて、そしてこの私めに何か役割を授け給うたというのであれば、それは何であろう?
もし天命なるものがあるというのならば、私はただそれのみに従って生きる。天が道を示したというのなら、きっとそれが私の進む道である。
私の名を呼ぶ声がする。嗚呼、亡国の淵から這い上がらんとする者たちよ!今、義憤に駆られ、立ち上がらんとする者たちよ!!そうだ、「退却」の二文字とは遠の昔に決別したはずだ。いまさら何を迷うことがあろうか。何を憂うことがあろうか。そうこうしているうちにどうやら国境を越えたようである。この国に退路はない、あるのは「前進」の二文字だけである。我々の闘いはまだ始まったばかりである。
チューリッヒからは長い長い道のりであった。祖国の都の土を踏むのがどれだけ久しいことか。街の広場へと続く中央通りには赤い旗が翻り、衛兵たちが群衆の勇んで我が方へと押しかけんとするのを必死に抑えている。人々はまだ覚えたばかりの革命歌インターナショナルを口ずさみ、その目は未来への憧憬と情熱に満たされている。ペトログラードの街は沸き立っていた。凱旋である。広場は黄昏時を告げる茜色の夕日が差し込み、群衆と街を朱に染めている。
ウラー!ウラー!
人民の咆哮のような狂喜乱舞の声である。そしてその群衆の地鳴りのような歓声がバルコニーに立つ私に向かって投げつけられる。それはもう熱病に冒されたかのような何かである。陶酔である。狂乱である。そのような時代が始まるのだ。この20世紀という時代がこの物語が、悲劇となるか喜劇となるか、それはわからない。だがまさに今、舞台の幕が上がるのだ。そしてその壇上に立つ主役は人民である。名もなき人々である。いや、違う。この私である。
だからどうか、どうか!このわたくしめに喝采を!
かつて帝都と呼ばれたこの地は、今や革命を求める怒号と歓喜の声で揺れている。皆私の名を呼んでいる。そう私の名を。求めているのは私なのである。そう我が名はレーニン。
革命家、ウラジーミル・レーニン。
鎌と槌 @inarikawa
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