〜苦手なサイバー課〜
八代は家に向かう前にアパレル店に寄って必要最低限の服などを買った。緊急事態とはいえ、誰かを家に上げること自体珍しかった。彼の家はかなり良いマンションでオートロックも付いている。間取りも2LDKで1人で暮らすにはとても広めだ。
「こっちの部屋余ってるからよ、好きに使ってくれや」
「ありがとうございます」
部屋の中は必要最低限のものしかなく、家具もあまりなく殺風景だ。
「今日は疲れただろう。風呂入って寝てろ。俺は仕事に戻る。さっきのメール転送してくれ。それから職場にもしばらく休むって連絡しておけ」
「分かりました」
メールを確認した後、再び警視庁に向かって車を走らせた。
※※
警視庁へ戻ると、舘川がコーヒーサーバーの前に立っていた。
「遅かったですね。どこか寄り道でもしていたんですか?」
「ああ。ちょっとな」
「ところで佐伯さんは? 一緒じゃなかったんですか?」
「まだ話せる状態じゃねえから保護してる」
「そうなんですね。ちなみに、彼は今どこにいるんです?」
「お前口軽そうだから言えねーーよ」
「なっ! そんなことありませんよ!」
舘川はそれ以上追及せず、コーヒーを注ぐ。八代はそれを横目で見ながら、自分のデスクへ向かった。すぐにパソコンを立ち上げ、件のメールアドレスを確認する。海外を経由している不審なアドレス——。
「あいつに頼むか……」
八代は重い足取りでサイバー課へとやってきた。薄暗い部屋に、複数のモニターが青白い光を放っている。静かなキーボードの音が響く中、職員たちはそれぞれの作業に集中していた。どうやって声をかけていいか分からず、八代は入口付近で立ち尽くす。こういうタイプの人間とは普段関わらないせいか、何をどう頼めばいいのか見当もつかない様子。
「……何の用ですか? 中村さんなら休憩に行きましたけど」
不意に後ろから声をかけられ、八代は肩を揺らした。振り返ると、無表情なサイバー課の男性職員が腕を組んでこちらを見ている。
「誰かと思えば敬語が使えない八代さんじゃないですか! 一体こんなところに何の用ですか?」
「……調べてほしいことがある」
「具体的には?」
「このアドレスの送信元を調べてほしいんだ」
「なるほどね〜〜。これはやりがいありそうだなぁ。どれどれ、これが問題のアドレスですか」
職員は画面に映し出されたIPアドレスを指しながら、わざとらしく頷いた。
「いや~〜、相変わらず組対の人たちって、パソコン苦手ですよね! これくらい自分で調べられたらいいのに!」
奥のデスクにいた別の職員も小さく笑っている。八代は拳を握るが、ここでムキになっても仕方がない。
「……いいから、さっさと調べろ」
「はいはい、分かりましたよ」
職員は軽く肩をすくめると、手早くキーボードを叩き始めた。画面上で数字や記号が次々と流れていく。
「えーっと、これは……ああ、やっぱり。まーた海外サーバー経由ですね! こんなの、ちょっと調べただけでもすぐ分かるんですけど?」
八代は黙ったまま、じっと画面を見つめる。職員はチラッとこちらを見て、さらに言葉を続けた。
「もしかして八代さん、VPNって何か知ってます? いや、知らないですよね! なんで聞いたんだろ俺!」
八代は無言で奥歯を噛み締めた。職員はしばらく画面を操作し続けた後、ふと動きを止めた。
「あれ? これはちょっと面白いことになってきましたよ」
八代が訝しげに眉をひそめると、職員はニヤリと笑った。
「ねえ八代さん、ダークウェブって言葉、聞いたことあります?」
彼を睨みつけながら短く答えた。
「……知ってる」
「おや、それは失礼! でもまあ、どこまで分かってるかは怪しいですよね!」
職員は軽く肩をすくめ、画面を指差した。
「ダークウェブっていうのは、普通の検索には出てこない特殊なネットワークです。で、この送信元、一般のプロバイダーを通ってなくて、VPNを噛ませてさらに匿名通信を利用してるんですよ」
「……つまり、送信者は足がつかないようにしてるってことだな」
「お、意外と察しがいいですね!!」
奥のデスクの職員が必死に笑いを堪えている。それを見た八代は小さく息をついた。
「それで……送信元はどこなんだ」
「はいはい、今やってますから。本当せっかちですね!!」
職員は淡々と解析を続け、数秒後、新たなデータが画面に表示された。
「ふーん、なるほど。これはまた……随分とストレートな場所ですね」
「……どこだ?」
「都内の◯✖️町3丁目の倉庫ですね。まんま拠点って感じです」
八代はスマホを取り出し、住所を撮影した。
「助かる」
「はいはい、用が済んだならさっさと帰ってください!」
八代は無言で部屋を出た。扉が閉まる寸前、背後からキーボードを叩く音が再び響いた。
八代が組対に戻るなり壁を殴った。その音に舘川は体を震わせた。
「ど、どうしたんですか?」
「別に……」
「こら八代! また壁に穴を開けたな。イライラしてるからって八つ当たりするんじゃない!
「だってよサイバー課の連中が俺をバカにしてきたんだ! 腹が立って仕方ねえ!」
石川は呆れた表情で訊ねた。
「……だからって壁を殴るな。まさか揉めてはねえよな?」
「我慢してきたよ!」
「そうか。偉いじゃん。ところで何か分かったか?」
八代はスマホの画面を見せながら叫んだ。
「佐伯がメールでやり取りをしていた人物の居場所が分かった。場所は◯✖️町3丁目の倉庫だ!」
「なるほど。ならば舘川と現場へ急行してほしい。直ちに確保だ」
「舘川行くぞ! 犯人に鬱憤を晴らしてやる! 応援も呼んでおけ」
「はい!」
現場へ急行した八代たち。八代は車のシートに深く腰を押しつけたまま、黙って外を見ていた。倉庫のある一帯が近づくにつれ、街灯の数が減り、闇が深くなっていく。
「……本当にここなんですか?」
舘川が倉庫を見つめながらぼそりと呟く。
「IPの発信元はここで間違いない」
八代はスマホの画面を見つめたまま、静かに拳を握った。
車が倉庫のすぐそばに停まる。エンジンを切ると、周囲の静けさがより際立った。
「……おかしいな」
誰かが言う。そう、静かすぎるのだ。
倉庫のシャッターは閉まっている。だが、よく見ると端がわずかに浮いていた。まるで、誰かが慌ただしく閉めたような――そんな違和感がある。
「行くぞ」
八代は低く言った。
誰も声を発さない。ただ、それぞれが呼吸を整え、心の準備をする。
八代は倉庫の入り口に向かい、一瞬だけ目を閉じると、次の瞬間――
「――突入!」
合図と同時に、八代たちは一気に倉庫の中へ駆け込んだ。
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