星空の怪盗
じゅじゅ
屋上の邂逅
憂鬱だった梅雨前の放課後、私はとある怪盗に出会った。
彼は満天の星空を見上げて————。
「ありがとうございました、失礼します」
会釈をして相談室のドアを閉めた。もう私しかいない夜遅くの放課後の学校。先生との面談を終えたばかりでどうしても気持ちが沈む。
ため息を吐きながら、日が落ちて真っ暗になった廊下を進む。普段ならわくわくする夜の学校も、今は気に留めることすらない。
————カチャッ
「えっ? 」
屋上に繋がる階段、それも上の方からドアの音がして思わず声が出てしまう。教室の電気はみんな消えていて、この階にいるのは多分私だけ。となると警備員のおじさんか、それとも————
恐怖と好奇心と共に、階段を一段ずつ踏みしめて屋上へ足を運ぶ。ドアを開けると、冷たい夜風が頬を撫でる。恐る恐る屋上を見回すと暗闇の中、ベンチに座っている一人の生徒を見つけた。
「誰かと思えば星野さんか。遅くにこんなところでどうしたの? 」
「いやそれこっちのセリフ! 音がしたから来たの。
まさかの人物との邂逅に声がどうしても上擦れる。彼は座ったまま、夜風に当たりながら、微笑を浮かべていた。
「僕はただ夜風にあたりに来ただけだよ。まさか星野さんが来るとは思ってなかったけどね」
金網の隙間を通って吹いてくる夜風の寒さに身体が震える。
道路から車がクラクションを鳴らした音が耳に入った。私は開いたまま息を吸ってるだけの口をなんとか動かす。
「じゃ、じゃあ私行くね。また明日」
このまま一緒になにか雑談でもしたいけれど、口から飛び出したのは真逆の言葉だった。足速に出口に向かって冷たい鋼鉄のドアノブに手をかけたがビクともしない。すると、奥から彼の声がした。
「外からは鍵がないと開かないよ。それより星野さん、時間ある? 」
「う、うん! 大丈夫だよ」
隠せない喜びに顔がほつれそうなのをコントロールしながらベンチに腰を下ろす。 身体に冷たい感覚が走った。隣に座る彼はじっと空を見ていた。
私も見上げると、建物や街灯の光に負けないくらい、輝いている月と星々が目に映る。
「月が綺麗だね〜」
「っ!?」
刹那、目の端に驚く彼の顔が少しだけ見えた。私は心臓の鼓動が速くなっても内心、ほくそ笑みながら夜空を見つめる。
やがて燈夜君も再び視線を空に戻した。
「あれ、見える? 夏の大三角ってやつなんだけど」
「どれ? 」
「ほら、あそこ」
彼は必死に指差したり、星の解説をしてくれたりしてくれた。わかることの方が少なかったけれど、楽しそうに話す彼の姿がまぶしくていつまでも聞いていられる気がする。
「僕、実は怪盗なんだ」
「……怪盗? 」
白衣を着た、多彩なマジックを使って宝石を盗む青年が脳内に浮かぶ。燈夜君は続けた。
「あの月、眩しすぎると思わない? 」
「確かに眩しい……かも? 」
他の星々と比べたら月の存在感は言うまでもない。私たちが見ているのは半分になった月だけど、満月だったらさらに明るいと思うと星が可哀想に思えてきた。
今この夜空にある星を全て1点に集中させてもあの明るさに勝てないだろうに。
「1週間後、僕がこの世界から月を盗む」
まさかの犯行予告に私は目を見張る。彼は真剣で、だけどどこか神妙な面持ちで月を見ていた。それに対し、私は硬直したままだった。
「一応質問だけど星野さん、理科の選択科目は? 」
「化学と物理だけど、どうかした? 」
「いや、いいんだ。ありがとう」
その後、私たちは星空を堪能した。まるで世界に2人しかいないような、こんな時間が続けばいいのにと思ったのは久しぶりだった。
次の日、私たちはまた同じように屋上に集まった。
隣に座って夜空を見ている怪盗様がどんな手段で月を盗むのかということばかり考えてしまって、今日の授業はまったく頭に入らなかった。
けれど、燈夜君に調べ物はなしと何度も釘をさされ、スマホを手に取りたい思いを渋々抑える。
「月も綺麗だけど星も綺麗だね〜」
「そうだな」
「燈夜君は月と星、どっちが好き? 」
「星かな。月は明るすぎて他の星々がみんな負けちゃってるから」
今日もまた、夜風に当たりながら星空を堪能する。時折り彼を見ると、遠い夜空を見上げている。
「月が綺麗だね」に反応してくれなくなったのが少し残念だった。
△ △ △
遂に犯行予告がされた日がやってきた。ここ数日の天気はというと、梅雨のせいでずっと曇りか雨だった。
けれど今晩は奇跡的に晴れで、この数日で準備をしていたと考えるとこれも怪盗の仕業のように思えてきた。
周囲の音がなにも聞こえなくなり、屋上には私と君と夜風だけ。お互い、フライングをしないように顔を見合わせながらベンチに腰掛け、同時に夜空を見る。
「えっ、どうして!? 嘘!? 」
1週間前、私たちの頭上にあった月がすっかりなくなっていた。夜空には星々がみんな同じくらいに光っている。私はその場に立ち上がって屋上を走って東西南北、360度一周して夜空から月を探したけれど、見つからなかった。
「どうやら、僕の勝ちのようだね」
「どうやったの!? 」
抑えきれない興奮と共に私は燈夜君に迫り、距離を詰める。すると、燈夜君は驚きながらもポケットからなにかを取り出した。
「種明かしはまた後で。それで、代わりと言ってはなんだけど……」
彼の手のひらには月がプリントされたキーホルダーがあった。私はすぐにそれを手に取る。
「キーホルダーになっても月って綺麗だね〜! 」
閑静な夜の学校の屋上に私の声が響き渡った。このまま負けっぱなしは嫌だと思い、効果はほとんどないとわかっているけれど、私ができる精一杯のカウンターだった。
月のキーホルダーを指にぶら下げて、くるくると回していると彼は私の手からそれを優しく取り戻した。手と手が触れた瞬間から、胸の高鳴りを感じる。
「あ、あのさ、星野さん……」
震えているような燈夜君の声。同時に、私もゴクリと唾を飲む。また心臓の音が大きくなっていく。このままだと燈夜君に聞こえてしまいそうなくらいだ。
彼も私と同じように月のキーホルダーをぶら下げて————
「月が綺麗、だね」
刹那、私の視線が、心が、意識が彼に奪われた。顔を私に見せないようにするためか、燈夜君はすぐにそっぽを向いた。恥ずかしさに悶えているのか、彼は小刻みに震えている。
私たちの間に沈黙が流れる。熱くなってのぼせた頬を夜風に任せて冷やす。
その風に乗せられて、今度は救急車の音が耳を通り抜けた。このまま私も乗せていって欲しい。
「————っ」
深く、深く。何度も息を吸う。そして、私は声を高くして燈夜君をからかうように言った。
「燈夜君の月が綺麗はどっちの意味なのかな〜? 」
「そ、それを言うなら星野さんだって! 」
「私は燈夜君の考えてる方で合ってると思うな〜」
ふふっ、と堪えきれなくなった笑いがこぼれる。
燈夜君は反対側を向いたままだった。からかいすぎてしまったらしい。
隣で、暗くてもはっきりとわかるくらいに顔を朱色に染めている彼を一目みて、私も逃げるように上を向いた。
吹きつけてくる夜風が最早、熱風のように感じる。怪盗様の種明かしをした夜は、月がいなくなった星たちが輝きを増していた。
△ △ △
屋上から降りて、私たちはそのまま途中まで一緒に帰ることにした。いつも一人で歩いていたからか、隣に人が、それも好きな人がいるといつもより緊張してしまう。
「星野さん、新月って知ってる? 」
「新月? 」
どこかで聞いた覚えはある気がする……でも、思い出せない。記憶の引き出しを高速で開けていくけれど、新月というワードは見当たらなかった。
「新月っていうのは1ヶ月に1回ある、月が見えなくなる日のことなんだ。それで、今日がその日。だから僕は怪盗なんかじゃないよ」
「そうなんだ……っていや、燈夜君は怪盗だよ! 」
感心したのも束の間、私は食い気味に反論した。続きの言葉を言いかけたのを、唐突に恥ずかしくなって喉の奥に引っ込める。初めて二人で帰った日は、星たちがいっそう煌めいている星空が広がっていた。
星空の怪盗 じゅじゅ @juju-play
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