第22話 新タナ我ガ家

 天井の低いコンクリートの部屋。

 錆びたパイプが脈のように壁を這い、片隅の照明だけが淡く光っていた。


 ――ここがどこかも分からない。


 椅子に縛られた男は、汗と血で濡れた自分の顔を感じながら、唇を震わせた。

 不思議なことに、両手が机の上に固定されている。

 周囲に見張りの姿はない。ただ、先ほどから一人の男が、壁に凭れたまま静かにこちらを見ていた。


 長い黒髪に、手入れの行き届いた髭。

 そして、黒いコートを着て鼻歌を歌いながら何かを探している。


 「おい……頼む……俺たちがやったことは、ただ名前を……借りただけなんだ……!」


 震える声がこだまする。返答はない。


 沈黙が続いた末、男がようやく歩を進める。

 靴音が、乾いた床に吸い込まれていく。


 「名前を借りただけ……うん。なるほど」


 声は優しかった。妙に整った、落ち着いた音色。

 だが、心を撫でるようでいて、刃を滑らせるような怖さがあった。


 「お前はあれか? 丁寧に書いた絵でケツを拭かれても大丈夫なタイプか?」


 男は肩をすくめ、相変わらず何かをゴソゴソと探している。


 「“セス”って名前ならいい。でもネルファラはダメだ、ブランドってものがある」


 男の手がようやく止まると、一言こう言った。


「これがいい!」


 振り向いた男の手には、磨き上げられたスプーンが握られていた。


「流石に知ってるだろ? スプーンだ!」


「な、なにする気だ――」


 男は優しく正面に座ると、優しく俺の手をスプーンで撫でた。


「先に言っとく、俺は長いのが嫌いだ」


「でも、興味があることなら別だ」


 次第に俺の手を擦るスプーンの強さが強くなってくる。

 痛みで、肌が赤くなる。


「お、おい。やめろって」


「皮膚より硬いもので肌をこすり続けたらどうなると思う?」


――カリッカリッ


 この後の展開が頭の中に流れ込んでくる。

 頭が弾け飛んだあいつも、体が弾け飛んだあいつも今や羨ましい。

 俺の皮膚が破けると、血が溢れる。


「痛い! 痛い! やめろ!!」


 男の手を最初から一定のペースで俺の肉を抉る。


「さぁ。もっと話そう、お手々が骨だけになるまでな!」


「――うあああああ!!!」


 男の絶叫だけが、部屋の外までこだましていた。




 数時間後、部屋の扉が開いた。


「セス。お疲れ、どうだった?」


 血まみれのスプーンを腕にサメのタトゥーが入った男に渡すと、セスは呟いた。


「――疲れるからもうやること無いな」


「そうじゃない」


 男は、冷静に呟く。


「怒るな、無駄を楽しめネプチューン。ついでに面白い話も聞けた」


「どんな?」


 ネプチューンと呼ばれた男は、長いブロンドの髭を引っ張りながら聞き返す。


「原生生物が守る村があるらしい。面白そうだろ?」


「確かに、送るのはグリでいいか?」


 セスは満足そうにネプチューンの肩を2回叩く。


「あぁ。それなら早く済みそうだしな」


「んで。この作品は?」


「ん? あぁ、掃除しといてくれ。いつも悪いな」


 そう言いながらセスは去っていった。

 残さた部屋の中の哀れな男を見る。


「……アッ……ア……殺せ!……殺してくれ!!」


 視界は定まらず、ただ何も無い天井にそう呟く。

 テーブルに固定された手を見てネプチューンは苦い顔をした。


「その手なら、手錠も抜けれるぞ」


「……アッ……アァ」


 こちらの話はもう聞こえてないようだ。

 ホルスターから拳銃を引き抜いて哀れな男に向ける。


「じゃあな。次から名前を借りる相手は気をつけろよ」


 部屋の中に乾いた銃声が鳴り響いた。


 


――谷の廃工場。


「行くぞ」


「おう」


 カイとエリックがタイミング合せる為に声を掛け合う。


「「せーの!」」


 男二人が、真剣な顔でTAWのコクピットにバールを挿し込んで踏ん張っている。しかし、コクピットはギギギギという音を立てるだけで中々開かない。


「鉄が溶けて固まっちまってる! なんで焼夷弾なんか使ったんだよ!」


「うるせー! 俺は運転しただけだ! ジークに言え!!」


 こっちへ怒りの矛先が飛び火してきた。

 無茶を言わないでほしい。


「……良いからさっさと開けろよ」


「お前簡単に言うけどな!」


 カイがそこまで言いかけたとき、コクピットが勢い良く開いた。

 体が投げ出された2人は痛そうに起き上がると、コクピットの中を覗き込む。


「うわ。こりゃ酷い」


「シートごと外すしかないな。くっついてる」


 そう呟くと、次の作業に2人は進み始めた。

 ふと、俺は周りを見渡す。

 昨夜、戦車で必死に走り回った場所には燃え上がったTAWが大量に転がっている。あの後、拠点に戻ったとき会ったのは屍だけだった。


 当初の予定通り、俺達の拠点にするために今は全員で拠点の掃除を行っていた。

 壊れたTAWもパーツが取れるし、もしかしたら再利用できる機体もあるかもしれない。


「グレゴールの爺さん無理すんなって」


「舐めるなよ、年寄り扱いするな!」


 分解されたTAWのパーツを運ぼうとする爺さんをダリルが、ニヤけながら見つめている。

 年寄り扱い以前に、事実として年寄りだ。


「ッグ、腰が」


 やはりと言うべきだろう、爺さんが腰を抑え始めた。

 その様子を見ていた、少年兵達が爺さんに肩を貸して建物の中へ運んでいく。


「あの爺さんも歳には勝てないな」


 ダリルがそう言った。


「見た目は変わらないのにな……」


「ミアとアリスが言うには、皺が年々増えてるらしいぞ」 


 2人が言うならそうなのだろう。


「そういやレナ達は?」 


「なんで俺に聞くんだよ。Qとヴィオラあとレイシーと一緒に中を掃除してるみたいだぜ」 


 ダリルが眼帯の上を軽く触りながらそう呟いた。


「それ、気になるか?」 


「ん? まぁまだ慣れてないけど、そのうち慣れるさ」 


 日差しに照らされた黒髪を揺らしながらそう答えた。


「それに、コレかっこいいだろ」 


 自身の眼帯を指さしながらそう言った。

 眼帯にはミアが落書きしたであろう、アホっぽい花が描かれていた。


「確かに元の顔よりいいかもな」 


「……冗談だよな?」 


 俺は手元のTAWに視点を戻すとドライバーを挿し込んで、回す。

 元々整備状態が悪かったのか全然回らない。

 もう一段階力を込めると、ドライバーが折れてしまった。


「人の悪口言うからだぜ!」 


「ッチ。ドライバーの変えあったか?」 


 バンダナを外しながらそう聞くと、ダリルは廃工場の方を指さした。


「1本位あるだろ」 


 目に染みる汗を拭うと、俺は歩き出した。

 周りを見渡せば、少年兵達や皆がよく働いてくれている。


「立派な我が家になりそうだな」 


 誰にも聞こえないようにそう呟いた。




 廃工場の扉は、金属の軋む音を立ててゆっくりと開いた。

 中は薄暗く、埃っぽい空気が鼻を突く。けれど、どこか人の気配があった。


 足音を忍ばせながら通路を進むと、奥の方からかすかな声が聞こえてくる。

 笑い声、雑談、そして、時折混ざる柔らかな笑い。


 ふと、俺は足を止めた。


 錆びた棚の隙間から見える一角――そこには、数人の姿があった。

 銀髪を後ろで束ねたヴィオラは黙々と箱を整理している。無言のままだが、その仕草はどこか丁寧で、静かな気品を感じさせた。


 レナは、袖をまくりながら大きな工具箱を運んでいた。


 「これ、マジで重いんだけど……Q、手ぇ貸してよ!」


 「フフッ。レナ君、人には向き不向きがあるんだよ」


 Qは椅子に座って足を組みながら、わざとらしく肩をすくめた。

 その細身の身体には、子供っぽい外見には合わない大人の雰囲気が漂っていた。


 「手ぇ貸せって言ってんの!」


 とレナが半ば引きずるようにQを連れていくと、周囲が笑いに包まれた。


 「……と、年上に対する扱いじゃないね」


 「っていうか本当は何歳なの?」


 「……内緒さ」


 その横で、レイシーは新品の布で棚を磨いていた。

 薄く金糸の刺繍が入った袖が、腕の動きに合わせて静かに揺れる。

 一拭きごとに、まるで舞うような手つきが光の粒を跳ね返していた


「こっち広くて羨ましいです」


「引っ越してきたらどうだい?」


「いいんですか!?」


 Kの言葉に目を輝かせたレイシーが、棚を拭く手を止めて顔を上げる。


 そのすぐ隣、Kとリリィが並んで腰かけていた。

 Kは短く刈った前髪の奥から鋭い眼差しを機械部品に向け、無言で構造を確認している。整った横顔はいつも通り冷静で、その手元では、工具が部品の表面を静かになぞっていた。


 「ねぇヴィオラ……ジークて、こういうの好きなのかな」


 リリィの小さな声に、ヴィオラがわずかに視線を上げる。

 彼女の手には色違いのブレスレットが握られていた。


 「リリィがくれた物なら……喜ぶと思うよ」


 「そうかな? そしたら、3つ作ったから一つはヴィオラにあげる」


 「……ありがとう」


 「ううん……相談に乗ってくれたお礼」


 その言葉に、ヴィオラはしばらく黙ったあと、ふっと目を細めた。

 そこへQが駆け戻ってきて、にこにこしながら言う。


 「なるほど、プレゼントだね。そしたら、Kも何かJに……」


 「Q。まだ運ぶものあるから」


 再びQはレナに運ばれていった。


 ――その様子を、俺は棚の影から見ていた。

 たまたまの出来事だったが照れくさくなって視線をそらす。ふと、自分の手首を見る。アクセサリーか、今まで特に気にしたこともなかった。

 シャツを引っ張って自分の身体を見る。

 そこには、昔エリックと入れた雑なタトゥーが入っている。


 「少しは、余裕が出てきたのかもな」


 (……さて。ドライバー、探さないとな)


 本来の目的を思い出して俺は歩き出した。




 しばらくして、不意に、後ろからかすかな足音が聞こえた。

 振り返ると、リリィが立っていた。


 手をぎゅっと胸の前で握りしめ、俯き加減のまま、こちらに向かってきていた。

 歩みは遅く、慎重で、まるで何かを落とさないように運んでいるようだった。


 目線をリリィの手元にやる。

 リリィの手の中にある小さな輪。それが何かは、もう見なくても分かっていた。


 「……ジーク」


 (……き、きた!)


 やっとのことで名前を呼びかけたリリィの声は、どこか掠れていた。

 緊張している。手の指先まで、少し震えているように見える。

 そのせいだろうか、いや、先程見てしまったせいだろう。俺も不思議なほど緊張していた。


 彼女の歩みが止まる。


 「ね……ねえ」


 リリィが顔を上げた。

 目が合う。けれど、思わず視線を逸らしてしまう。

 再び視線を向けると、また目が合う。

 今度は逸らさずに済んだ。


 リリィも同じ動きをしたのだろう、その仕草がどこか不器用で、それが余計に伝わってくる。


 「これ……あげる」


 そう言って、彼女が差し出したものは――


 小さなブレスレットだった。

 グレーの糸を編み、淡い緑のビーズをひと粒だけあしらった、素朴で不格好な手作りのもの。

 でも、その編み目には時間が詰まっていた。指先で何度もやり直した跡。ぎこちないけれど丁寧な想いが滲んでいた。


 リリィの手が、ほんの少し揺れる。

 押しつけるでもなく、ただ、差し出されたまま止まっている。

 自分の心を渡すように。


 「……それ、自分で作ったのか?」


 知っている。でも、あえて訊いた。リリィは小さく頷く。


 「うん。あの、まだ上手くできないけど……でも……ちゃんと考えて……作ったの」


 リリィの声は、どこか震えていた。

 言葉の端々に、どれだけ迷って、どれだけ勇気を出したかが滲んでいる。


 手を伸ばし、ブレスレットを受け取った。

 先に見ていた。知っていた。けれど、それを知らないふりで受け取ることの照れくささ。

 胸の奥に、何かがふっと熱を持って灯った。


 「……ありがとう。大事にする」


 その一言に、リリィは安堵したように小さく息を吐いた。

 笑おうとして、上手く笑えなかった。でも、それが余計にまっすぐだった。


 彼女との間に、少しだけ静かな時間が流れた。


 けれど――その刹那、リリィがふらついた。


 「……っ」


 額に手をやり、その場にしゃがみ込む。


 「リリィ?」


 駆け寄って肩に手をかけると、リリィの顔は青白く、うっすらと汗を浮かべていた。

 呼吸も浅く、体がこわばっている。


 「……だいじょうぶ、ちょっと……頭が……」


 言いながら、リリィの視線が宙を彷徨い始めた。

 何かを探すように、何かを見ているように。けれど、そこには何もない。


 「声が……する……」


 ぽつりと呟いた。


 「……誰かが、話してる……そんなに遠くない……」


 「場所、分かるのか?」


 俺の問にリリィは頷いた。


 「うん、小さな村にいるみたい」


 そうすると、リリィやKと同じ存在の可能性がある。

 もしかしたら何か協力できるかもしれない。


 「分かった。準備して会いに行く」


 そう呟いて、外に出ようとする手を掴まれた。


 「……私も行きたい」


 危険だが、元々リリィにコンタクトを取ったことを考えれば連れて行くべきか。


「分かった。そしたら、トラックに……」


 乗って向かおう、護衛に爺さんにも来てもらって。

 そこまで言い終わる前に、リリィの唇が俺に重ねられた。


「……準備してくる」


 そう言い残して、リリィは背を向けた。

 背後から別の足音が近づいてくる。


「おい! ジーク! ドライバー探すのにどんだけ時間かかってんだよ!」


「ダリル、出かけるぞ。準備しろ」


 汗だくのダリルにそう呼びかける。


「お、おう。てか、ジーク顔赤くね?」


「黙れ」


 俺は足早に外に向かった。

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