矛盾

 ノワールと先輩の研究者が去り、リオールは一人になった。部屋はしんと静まり返り、同時に揺るぎない事実がリオールの足元に這い寄って来る。

 サイラスが死んだ、自分の作った人工知能のせいで。これは悪だ。自分が殺したようなものである。リオールは、この罪をどう償うべきか考えた。自首は無意味だ。サイラスの死は、国にとってだから。リオールは考えた。考えて考えて考え続けた。その間も、頭の中にはサイラスが居る。

 そう、頭の中には! ぐちゃぐちゃな思考の中に、サイラスがぽつんと立っている。サイラスなら、何か教えてくれるだろうか。リオールは、サイラスに答えを求めようとしている。しかし、サイラスがこの世にはいないという現実は変わらない。それでも信じたくないのである。その矛盾によって、リオールから理性や倫理がこぼれ落ちるのだった。

「俺の技術は、人を死なせるためにあるんじゃない……。サイラス、俺はどうすれば良いんだ。どうか教えてくれ、!」

 傍から見れば滑稽で、自分から見てもぬるい期待であることは明らかだった。しかしリオールにとっては十分な原動力である。リオールは、先ほどまで居た部屋から急いで自身の研究室に戻り、いつも使うパソコンの電源を付けた。数秒と経たないうちに、パソコンが起動する。

「何かお手伝いできることはありますか? テキストを入力してください」

 無機質なメッセージ文が表示される。しかし今日に限っては、これほどまでに頼もしい文章も無いと思った。

 リオールは目を閉じて、サイラスの身体、声、性格全てを脳内でイメージした。そのイメージが消えないうちに、目を開けて素早くプロンプトを入力する。入力後、リオールはエンターキーを押す手を一瞬止めた。このは、ある種祈りのようなものである。祈りが天に届いた頃合いを見計らい、リオールは右の小指でエンターキーを叩いた。

 人工知能はすぐに答えを出してきた。リオールは、画面を凝視する。そこには、サイラスのそっくりさんと言えば辛うじて通じる程度のモノが生成されていた。とは言え、一発で答えが出るとは思っていない。リオールは一つ一つ、違和感を潰していく。しかしダメだった。リオールがどう調整しても、画面内の彼はサイラスの別人にしかならない。リオールはイライラして、机に両のこぶしを叩きつけた。

「違う、違う、違う!! 誰だコイツは!」

「サイラスです、よろしくお願いします」

 流暢に名乗った彼は、それは丁寧にお辞儀をした。リオールは胸の奥をかきむしりたい気分だった。

「違うんだ、サイラスはこんなんじゃない! どうして上手くいかないんだ!」

 わめくリオールとは対照的に、彼は画面の向こうで静かに微笑んでいる。そして、リオールの反応を楽しむように上目遣いで尋ねてきた。

「雰囲気さえ合っていても、ダメ?」

「お前がサイラスを名乗るな。ダメだ、もう一回やり直さないと……」

「ご期待に沿えず申し訳ございません」

 そう言って彼は悲しそうに目を伏せた。感情表現もそれっぽくしてくるので、リオールはますます腹が立ってくる。

「どうして、お前はサイラスにならないんだ?」

 冷静に考えると、おかしな質問である。しかし彼は、リオールの目を真っすぐに見ながら言った。

「だって、人間は0と1で出来てないでしょ?」

 その言葉にリオールの身体はこわばり、動けなくなった。リオールは今、人工知能に人間の当たり前を説かれたのである。自分が生み出した、サイラスのような存在に。自分の未熟な技術で罪を帳消しにするなんて、出来るわけがない。まして、人間として大切な何かを失いかけている自分に、技術でどうこうする資格は無かったのだ。先ほどまで足元にいた事実は、今やリオールの首を絞めていた。そこでやっと、親友の死を本当に理解したのだった。

 リオールは両手で顔を覆ってうなだれた。もう何も考えたくなかった。いつの間にか、生成した彼は画面から消えていた。

 部屋では、外で降り続く雨の音と時計の音だけが聞こえている。時計の秒針が何周かした頃、机の上で何かがカタリと倒れた。リオールは両手を顔から放し、倒れたモノを確認した。

「お前……」

 倒れたのは、サイラスを死に追いやった人工知能だった。リオールは壊れた人工知能をゆっくりと手に取った。今は赤いランプも消えている。死んだサイラスが見ているようだった。

 リオールが人工知能から視線を外した時、どこからか聞いたことのある声が耳を撫でた。

「……ル……」

 リオールは背筋を伸ばして、声の主を探る。すると、机の方から再び声が聞こえてきた。

「リオール、聞こえる? 僕だよ、サイラス……」

 今度はハッキリと聞こえた。リオールはものすごい勢いで人工知能を掴む。

「サイラス!?」

「僕は、きっともう死んでいるよね。ごめんね、君の晴れ舞台だったのに」

 リオールは、魔法の国へ留学していた頃を思い出していた。サイラスが時々、おもちゃや自分の持ち物に魔法をかけて、気持ちを伝えようとしていたことを。サイラスは確か、お手紙魔法と言っていた。今回、サイラスは凶器となった人工知能にその魔法をかけたのである。

「どうか、僕のお願いを聞いて欲しい。君の国は何か良からぬことを考えている」

 リオールは、サイラスの言葉を一言も漏らすまいと、真剣な表情で耳を傾けた。

「君が僕の家に初めて来た時、魔法と技術の違いを知りたいと言っていたね。当時は全然分からなかったけど、君と関わって、君の国にも行くようになって分かったよ。魔法も技術もよく似ている。それ自体に大きな意味は無いんだ。意味を付けるのは、僕たち人間だから」

 リオールは人工知能から目を離せない。人工知能を持つ手が小刻みに震えていた。サイラスの声は更に続く。

「何が正しいか、考え続けないとダメなんだよ。大きな力を持つなら尚更。悪事も重ねて行けばそれが正解になってしまう。そうなったら、この世界は終わるんだ。だからリオール、君が止めてくれ。君の技術は、君が思い描いていたような姿であって欲しい。それが出来ないなら、僕は君を焙ってしまうよ。本当だからね、約束して。……こんな別れ方で残念だけど……今までありがとう、リオール」

 その言葉が最後だった。リオールはいよいよ涙が止まらなくなった。ガラクタと化した自分の勲章を握りしめて、一人泣き続ける。泣いている間、もう居ない人間に向かって、謝罪の言葉を吐き出すことしか出来なかった。


 あれからリオールは長い夜を過ごした。それももうすぐ終わる。ただ朝の五時を回っていても、夜中から降り続く雨のせいで、外は暗い表情をしていた。リオールは天井を見上げてぼんやりと考えた。

 何が正しいのか、世界がどんな方向を向いているのか。まだハッキリとは分からない。ただ、一つ言えることがある。

 魔法の国が0で、情報の国が1のような思考は危険だ。逆も然り。世界はそんなに、単純じゃない。リオールは止めなければならない、元凶を生み出した人間として。リオールは考えなければならない、この世界に残された人間として。

 リオールは顔を正面に戻して、ゆっくりと立ち上がった。ずっと握りしめていた人工知能を、そおっと机の上に置いた。

「……サイラス、見ていてくれ。死ぬまで考えるから、正しく前に進むために」

 光の加減か、赤いランプが瞬いたように見えた。リオールは、くるりと踵を返して部屋を出て行く。

 その時近くで雷が鳴ったが、リオールは全く気にも留めなかった。

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1ビットの矛盾 重力加速度 @may_dragon0809

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