利用

 情報シンポジウムが終わり、リオールは自分の研究所に戻って来た。長い廊下を足早に歩く。

 その時、向こうから来る担架を運ぶ研究者たちとすれ違った。担架には布が被せられていて、大きな塊に見える。リオールは思わず足を止め、声をかけた。

「何かあったんですか」

「ちょっと事故がありまして」

 担架を持った研究者は、素っ気なく答える。リオールは眉をひそめて、困ったように呟いた。

「どんな危ないことをしたんだ……」

「では、失礼いたします」

 研究者は軽く会釈をして立ち去った。その時、リオールの目に担架からはみ出した靴が目に入った。靴は自分の存在を誇るように光っている。リオールの中に、ある可能性が生まれた。絶対に、あってはいけない可能性である。

「ちょっと待ってください」

 リオールは担架に駆け寄り、担架に覆いかぶさる布を勢いよく剝がし取る。そこには、一番起きて欲しくなかった可能性が、現実として横たわっていた。

「サイラス……?」

 呼んでも返事は無い。サイラスはものすごく青白い顔で眠っていた。

「サイラス、何で……」

 言葉が最後まで出ない。胸の辺りがギュッとなって、言葉が出るのを止めていた。言葉は出ないのに、聞きたいことは山ほどある。それなのに、サイラスは一言も答える気配が無い。視線が一生合わない。

「……子どもの時みたいに、俺にイタズラしようとしてる? そうだとしたら、やめた方が良い」

「お知り合いですか?」

「サイラス、こんなところで寝たらダメだ」

 リオールはサイラスの肩を何度も叩き、時にはゆすってもみたが、サイラスは少しも動かない。自然とサイラスの名前を呼ぶ声も大きくなる。ただ、ここまで狼狽えるリオールを見たことがない研究者は、少し困惑していた。混乱しているリオールは、研究者に噛みつく勢いで振り返った。

「どうしてサイラスは死んだのですか!?」

「失血死の可能性が高いです」

 研究者は淡々と答える。その淡泊さに反比例するように、リオールの心はあらぶっている。

「そうなった原因は?」

「そこまでは分かりませんが……でも、側にこれが落ちてました」

 そう言って取り出されたモノを見るや否や、リオールは愕然とした。

「本当に、これが?」

「はい」

 研究者の手にあったのは、羽のついた人工知能。つまりリオール自身が開発した人工知能だった。先ほど自信たっぷりに、公の場で披露したモノである。リオールは、熱せられた石に水をかけられたように、心が冷えていくのを感じた。それでも情報を得るために、何とか言葉を捻りだす。

「……サイラスは、どこで死んでいたのですか」

「第一会議室です」

 研究者は、丁度リオールが向かおうとしていた方向を指さした。リオールは指の示す方向に目をやる。その姿を確認すると、研究者は軽くお辞儀をしながら口を開いた。

「すみません、そろそろ失礼します」

「待って」

 リオールはそう言いたかったが、研究者はそそくさと立ち去ってしまった。廊下には、リオールがただ一人取り残された。リオールは、廊下の水平が乱れていくのを感じた。思わず壁に手をつき、深く息を吐き出す。幼馴染みとの突然の別れに、リオールは頭が追い付いていなかった。

 しばらくその場で立ち尽くしてしたが、身体の中で波打つ心がリオールの足を動かした。リオールはその心に従い、歩みを進める。サイラスの死の真相を少しでも探るために。数十メートル歩いた先に、扉が一つある。この扉こそ、第一会議室の入り口だった。リオールは意を決して、扉に手をかけた。

 その時、中から話し声が聞こえてきた。リオールは直立のまま耳を傾ける。中では二人の男が入り口に背を向けて会話をしている。そこにいたのはノワールと、リオールの先輩にあたる研究者だった。

「だいぶ上手になってきたよ。人間で成功したのは初めてだ」

 これは左側に居る背の高い男の声である。

「リオールが居て良かった。溜まっていた問題は、概ね解決かな」

 こちらは右側に居る顔の四角い男の声である。

「そうだね、これでは達成できるはずだ」

 ここでリオールは扉を開けた。部屋の中央で会話をしていた声の主は、一斉にこちらを向いた。右の男はすぐに目をそらしたが、もう一人は手を挙げて「やあ」と声をかけた。

「リオール君じゃないか、今日はこの後宴会があるそうだよ。君も参加する?」

「国の意向って何ですか」

「え?」

 リオールはキッと目の前の二人を睨みつけた。ここで二人の会話を途切れさせてはいけないと思った。

「教えてください。俺は……何のために人工知能を開発したんですか」

 二人は困惑した表情で顔を見合わせる。数秒の沈黙の後、ノワールが口を開いた。

「まあ、君には説明しても良いかな」

 そう言って、リオールの目の前に立つ。

「この世界には、二つの国があるね? 私たちの国と魔法の国が。なぜ二つあると思う?」

「大陸が二つあって、それぞれが別の方法で国を建てたからだと習いましたが」

「そう、始まりは極めて平和的だった。お互い干渉せずに各々が発展する。これほど素晴らしいことはない」

 リオールは黙って聞いている。ノワールは演説を続けた。

「でも最近はどうだろう? 世界にグラデーションが発生していると思うんだ」

「グラデーション……」

「この国に魔法生物が持ち込まれて生態系が乱れた。他にも箒で事故を起こして、この国の人間を殺した魔法使いもいる」

 ノワールの言うことは確かに事実である。そういう様々な要因で、多くの禁止令が生まれたのだから。ただ、それだけでサイラスが死んだ理由にはならない。

「問題が起きているのなら、協力して解決策を考えるべきでは?」

「手を取り合おうと同盟を結んだのが前政権。でも、結果がこれだ。だからこの前の選挙で政権交代が起きた」

「この国の誇りを失わずに生きるには、異物を排除しないといけないだろ」

 四角い顔の研究者も続けて話す。リオールは、背中に冷や汗が伝うのを感じていた。今自分が抱いた考えは非常に重い。これを口にしてしまうと、もう元には戻れなくなる気がする。それでも、確かめずにはいられなかった。

「じゃあ、今の政府は……現状を変えるために、戦争でも起こすつもりなんですか……」

 ノワールは一つ大きく頷く。

「0と1の状態に戻す、それが国の意向だ。そのために、君の技術を利用する」

 利用! その言葉はよく知っている。自分も使ったことがあるものだ。その時は何とも思わなかった。でも今は違う。

「嫌です……絶対に。俺は、殺人兵器なんて作りたくない!」

「技術の発展は戦争と共に」

 石のような言葉が、リオールの中に波紋を広げる。広がる波紋が、リオールの心をざらりと撫でた。しかしそんなことはお構いなく、ノワールは淡々と石を投げ続ける。

「君も研究者なら分かるはずだ。真の世界平和が来たら最後、私たちの技術は緩やかに死んでいくね。だから人間は、いつまでも同じことを繰り返すのさ」

「過ちを繰り返さないために、新しい可能性を模索するのが研究なんじゃないんですか」

「美しい心がけで良いね。でも、現実は違うんだ」

 ノワールは「矛盾だよ」と小さく呟いた。続けて、四角い顔の研究者がリオールの肩をぽんと叩いて励ます。

「利用が嫌ならでも良いよ。とにかく、俺たちはやらなければならないんだ。この国の未来のために!」

 リオールは腹の奥が熱くなるのを感じた。

「あなた方が利用したのは、俺の技術じゃなくてサイラスの命でしょう?」

「そうかもしれないね」

 ノワールの淡々とした口調に、リオールのこぶしを握りしめる力が強まる。リオールは、ノワールの目をまっすぐに見据えて言った。

「研究者としても、人としても、こんな倫理の無いことはすべきじゃなかった」

 ノワールは、リオールのこぶしを静かに見つめる。ただ、彼の青い目には何も映っていないようだった。しばらく黙った後、ノワールは静かに口を開いた。

「戦争を企んでいるヤツは、まず倫理をどこかに落とすんだよ」

 リオールは茫然と立ち尽くす。目の前にいるリーダーこそ、研究に対する情熱も、誇りも何もかも落としてしまったのだと悟った。しかし、ノワールはリオールが絶望していることに対して特に気に留めず、リオールのネクタイを整え始める。二人の間に横たわる沈黙の奥で、ざあざあという音が聞こえた。

「……雨が降って来た。宴会へ行くのも億劫になる」

 ノワールは静かに呟き、リオールのネクタイをギュッと締めた。リオールは少し胸が苦しく感じた。ただ、それがネクタイのせいなのか、信頼していた上司に裏切られたからなのかはよく分からない。ノワールはリオールのネクタイから手を離し、腕時計を確認しながら口を開いた。

「じゃあ、君は宴会を欠席するということで良いんだね? まあ良いよ、私から適当に言っておくから。政府の連中も納得してくれるはずさ」

 ノワールはそう言ってリオールの肩を二度叩き、顔の四角い研究者と共に部屋を出て行った。

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