三十ニ通目 拷問官
菊花の背後、倉庫の扉が大きく開かれる。
開いたのは藤花。その口元は未だ歪んでいる。
倉庫からは、藤花が勝手に使い、菊花に仕舞われたばかりのバスケットボール達が飛び出してくる。藤花の異能で操られたボール達は、菊花に向けて多種多様な変化をつけて飛んでくる。それは飛び跳ね、回転し、緩急をつけて菊花を穿とうとする。
精度の高い異能行使。藤花にも相当負担がかかっているだろう。
幸い菊花は、すぐに藤花の意図を理解した。今回はただ闇雲に躱すのではない。理解した菊花から周囲に放たれる雷が、いくつかのバスケットボールを貫く。
耳を劈く破裂音。ボールの素材である、天然皮革が焼け焦げる臭い。無残に引き裂かれたボール達。とてつもない力だ。
「それじゃただの
だが、藤花は満足しなかった。確かに、菊花の放った雷は狙いなど定められておらず、ただ無差別に放たれた強力な電撃が偶然ボールを貫いただけにも思える。これでは、周囲に守るべき対象がいる戦いはできない。拝啓のような繊細な制御ができなければ、ただ力に振り回されているだけだ。
「次!」
倉庫から出てきたボール達はまだ残っている。藤花の掛け声を皮切りに第二陣と言わんばかりのボール達が菊花に向けて飛んでくる。
菊花は集中する。一点を狙い、貫く。そのイメージで。
しかし雷は、喜びで小躍りする子どものように制御が難しい。菊花の額には脂汗が滲み、いくつかのボールは、踊る雷を回避し、菊花の腕や足を殴打する。
漏れるうめき声。集中を切らしてはいけない。全ての思考を集中させる。
「っ!」
歓喜の声は出なかった。それもそのはず。眼前のボールを思考通り貫いた菊花。その死角から忍び寄ったボールが脇腹を強く殴打したからだ。張り詰めていた力が抜け、菊花が床に倒れ伏す。実戦ならばこれで死んでいただろう。悔しさと疲労で視界が揺れる。
「お疲れ様です。」
いつの間に用意していたのか、二本のペットボトルを持った余寒が菊花と藤花の前に立った。
藤花はいつの間にか垂れてきていた鼻血を服の袖口で雑に拭いながら、ペットボトルを受け取る。菊花は、当然立ち上がれないようで、床に寝転がったままペットボトルを受け取りはしたが、そのまま動けないようだ。
「指揮者は必要ありませんでしたか。」
余寒が指揮をせずとも二人は考えて特訓を行なっていた。やはり、藤花はよく見えていると余寒は考える。
まぁ、ただ。余寒が言葉を貯める。
「
周囲に散らばるボールの残骸に視線を向けながら、余寒がポツリと零す。思わず、流れるままにボールを破壊してしまった菊花は内心冷や汗をかく。
拝啓に迷惑がかかる。菊花の頭に一番に浮かんだのはこれだ。いやしかし、ここは夢だ。現実のボールは割れていない。この場所に訪れたこともない。だが、今は現実にいる拝啓に、備品のボールを粗末に扱ったことはあまりバレたくない。疲労した脳内で、菊花は考えを巡らしている。
「あれ?誰かいんじゃん。」
ふと、聞き慣れない声がした。余寒達が視線を声の方に向ける。扉の前に、ガラの悪そうな男達が数人……六人ほど立っている。金髪や赤、緑など派手な髪色。着崩した服。ジャラジャラと音が聞こえそうなほど、大量のアクセサリー。気だるげで虚ろな目がじっとりと確な敵意を向けてくる。
「ここは私有地です。公共の体育館ではありません。」
彼等の過激なビジュアルに物怖じせず、余寒が言い放つ。だが彼等は気にもとめない。ただ、何あのおっさん。お前知ってる?など、下衆な笑みを浮かべながらコソコソと仲間内で余寒を嘲笑する。
「不法侵入として警察に通報します。」
警察。その言葉に男達の目つきが変わる。虚ろだった目がギラリと輝き、敵意を超えた殺意を向けてくる。
「まぁ、待てよ。」
ガヤガヤとした男達の声の中で、一つだけ通る声がした。男達の背後から、長身の男が出てくる。男は余寒達三人を一瞥すると、穏やかな表情でニコリと微笑む。
「いやぁ実は俺達はこんななりでもQAT?でな。」
ここはQAT?の所有地だろ?俺達にも使う権利があるんだ。
男は言葉を続ける。無論嘘だろう。聞き齧った
「所属は何処です。貴方達の代表に苦情を入れます。」
余寒は一つも顔色を変えない。
だが、それは男も同じこと。あくまでにこやかに余寒に反論する。
「待ってくれよ。俺達は今までもここを使ってたんだ。急に苦情だなんて、そんな、なぁ?」
男の言葉に兄貴の言う通りだ!と野次が飛ぶ。ここは俺達の場所だ、なんて言い出す輩もいる始末だ。
「では、不法侵入に器物損壊も追加します。」
今日ここに来た時、鍵の破損を確認しました。劣化の可能性もありましたが……今までもここを使っていたなら、貴方達の仕業ですね?
男達の野次に余寒が動じることはない。余寒に対し、慈悲や同情を誘おうとするのは効果がない。鋭い指摘に男が黙る。その表情は、取り繕われた穏やかなものから、徐々に疎ましそうに変化する。
「所属。あー、所属だろ?関西、とか?」
男の言葉に、余寒の背後で話を聞いていた藤花がすかさず、んな小物っぽい奴がうちにいるかよ。と言い放つ。
今にも異能でこの男達を吹っ飛ばしてしまいそうな藤花。そんな藤花の視界を余寒が手を軽く上げて遮り、制止する。藤花は先程の異能の過剰行使により、鼻血を出している。これ以上の連続的な行使は推奨されない。その影響も心配してのことだろう。
「彼は関西支部の藤花。彼と面識が無いのはおかしいですね。」
余寒の鋭い目が男を射抜く。男の苛立ちが、目に見えて貯まっていく。
「同じ支部にいたって面識がないことぐらいあるさ。」
それでも極めて冷静に男は話を進めようとする。そんな男をまたもや藤花が一刀両断した。
「ないね。関西支部はタコパ来ねぇ奴はボスにシメられるし。」
少しの間、沈黙が走る。タコパ。関西支部には早々主催のタコパがあるらしい。しかもそれに参加しなければ早々は憤慨するようだ。
関東支部の菓子休憩を思いながら、どこの支部も似たようなものなのかと、未だ起き上がれず横になったままの菊花が漠然と考える。早々がそんな愉快な人間には見えないが、それを言えば拝啓も極度の甘党には見えない風貌をしている。
なめやがって。男が小さく吐き捨てた言葉を余寒はしっかりと聞き取っている。
「だったらどうするんだ?」
男は指の関節をパキパキと鳴らす。言葉で説得することは諦めたのか。今からでも余寒に掴みかかりそうな雰囲気を醸し出し、力強く一歩近づいてくる。余寒よりも体格が良く、長身な男が前に立ったため、余寒全体に陰がかかる。
「然るべき機関に連絡するのみです。」
余寒の態度は一貫している。怯えず屈さず、ただ淡々と言い返す。男の表情には怒りが滲んでいく。
「……はっ、え、」
それはほとんど同時で、そして一瞬の出来事だった。男が手を振り上げたのも。余寒が指揮をするかのように自らの腕を高く上げたのも。
男は今、尻もちをつき床に転げ落ちている。状況がわからず、小さく声を漏らすばかりで起き上がれもしないようだ。他の男達も自分達のリーダー格である男が突然そんな様子になってしまったことに、困惑を隠せない。
余寒は地べたに伏せた男に軽蔑にも似た視線を向ける。
「音響兵器を御存知ですか。」
音波を投射して、聴覚器官や脳に損傷を与えるものです。私が行ったのは、端的に言えばそれです。
余寒の異能は、音を操る。それは、この世に存在する音ならばどんなものでも全て。鳥のさえずりや川のせせらぎ、飛行機の音や爆発音。そんなものまで全てが、余寒の意のままに操れる。まさに音の支配者。この世に、余寒ほど指揮者に適した者はいないだろう。
そして、過剰な騒音や無音は、簡単に人間を破壊できることを忘れてはならない。音で精神を壊せるように、肉体も内側から破壊できる。それを
男に淡々と状況を説明する余寒が、男の頭のすぐ隣に歩み寄り、そしてしゃがみ込む。人さし指と中指を揃え、ゆっくりと男の額に押し当てた。
「ばん。」
ぐるり。男が白身を剥き、かろうじて体を支えていた腕すらも地べたに投げ出される。その身体は凍えているかのように小刻みに痙攣し、口からは泡を吐いている。仲間の男達が、その光景に恐怖のあまり目を見開く。
ただ、その様子を見ても余寒は
それもそうだろう。余寒は、日本に数多ある支部。その中で唯一拷問を担当する拷問官。外傷をつけず、内側だけを破壊するその技量。生半可な精神力では決してできないその役目を、余寒は何の訓練もなく、生来の性質だけで熟している。
早々が認めるわけだ。やっと体を起こした菊花が、漠然とそう思う。
「灸を据えたまでです。白露のところに連れていきましょう。」
貴方達も見てもらう必要があります。
自分よりも大柄な男を簡単に担ぎながら、余寒は菊花達に向き直る。余寒にじとりと見られた藤花が不満気だが菊花に肩を貸し、彼等はその場をあとにする。
取り残された不法侵入の男達の目には、殺意も敵意もなく、ただ目の前の惨劇への恐怖が焼け付いていた。彼等が不法侵入をすることはもう二度とないだろう。
「っぱイカれてるよ、あいつ。」
かつて、拷問を受けた被害者である藤花は、横にいる菊花にだけ聞こえる声量でポツリと零した。
キミに届く頃には 藤堂 園 @_todo3_
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