第二章『交錯する光』-1

 朝靄の向こうで、街が光を集めていた。

「真珠祭まで、あと二週間か」

担任が短い溜め息と共に言葉を投げる。教室の空気が小さく震えた。この時期になると、鏡ヶ浦の街は一層深い真珠色を帯びていく。それは祭りを前にした街全体の高鳴りが、光たちを反応させて、屈折させているかのようだった。

「今年は例年より規模を大きくしたいと思います」

担任の言葉に、教室がざわめく。詩音は窓の外を見やった。蓮が転入してきてから一週間。彼の存在は確かに街の空気を変えていた。光の揺らぎ方が違う。より深く、より鮮やかに。

「実行委員を募集します」その言葉に、詩音は思わず身を乗り出していた。

 真珠祭は鏡ヶ浦の伝統行事だ。満潮時に街全体が真珠色に輝くこの現象を祝う祭り。毎年、海と空の境界が最も曖昧になるその日に開催される。

「やってみない?」千夏が後ろから声をかけてきた。

詩音が振り返ると、親友の瞳が不思議な光を宿していた。

「うん」

 答えると同時に、蓮も静かに手を挙げていた。彼の周りの空気が、いつもより強く歪んで見える。

 実行委員が決まり、放課後に最初の会議が開かれることになった。それまでの間、教室の空気は期待と不安が混ざり合ったような、奇妙な濁りを見せていた。授業が終わり、実行委員たちが会議室に集まる。詩音は蓮の隣の席に座っていた。彼の周りの空気が、自分の方へと流れ込んでくるのを感じる。

「今年の真珠祭のテーマを決めたいと思います」

委員長を務めることになった一つ先輩の長島美月の声が、透明な空気を震わせる。

「例年は『光と海の饗宴』というテーマで行われてきましたが、今年は新しい試みをしてみてはどうでしょうか」

その言葉に、蓮が僅かに身を動かした。詩音には分かった。彼が何かを言おうとしているのが。

「境界の溶解を、テーマにしてみては」蓮の声が、水底から響くように柔らかく会議室に満ちる。誰もが彼を見つめた。

「この街では、海と空の境界が溶けるでしょう。でも、それだけじゃない。人と人の間にある境界も、記憶と現実の境界も、全てが溶け合うような。そんな祭りにできないでしょうか」

蓮はとっくにそうなることを、そう発現する事が自明のことのように淡々と、だが穏やかにそう宣言した。その言葉が、会議室の空気を大きく揺らめかせた。詩音は自分の心が強く共振するのを感じていた。確かにその通りだ。この街で起きているのは、単なる光の屈折現象ではない。もっと深い、存在そのものの溶解。

「賛成です」

詩音は思わず声を上げていた。蓮が静かに微笑む。その表情が、また空気を震わせる。

「『境界の溶解』か」

美月が言葉を噛みしめるように繰り返す。会議室の誰もが、その言葉に深く頷いていた。まるですでに決まっていたかのように、みんなの心がすっとひとつにまとまっていくのを詩音は感じた。

「では、このテーマで進めていきましょう」

 決定と同時に、窓の外で大きな光の揺らぎが起きた。まるで街全体が、この決定を祝福するかのように。

「具体的な内容について、案はありますか?」

美月の問いかけに、千夏が手を挙げた。

「提案があります。今年は、街のあちこちに『記憶の結晶』を設置してはどうでしょう」

「記憶の結晶?」

「はい。この街に住む人々の想いや記憶を、何かの形にして展示するんです。光を通すガラスや、水晶のようなもので」

その案に、詩音は強く心を揺さぶられた。記憶を形にする。この街の不思議さを、より具体的な形で表現する試み。

「面白いですね」蓮の言葉に、会議室の空気が共鳴する。

「僕からも提案があります。祭りの最後に、全員で海を見上げる時間を作ってはどうでしょう。この街の人々が同じ方向を見つめる。その時、きっと何かが起きる」

その最後の言葉に、詩音は息を呑んだ。蓮の言葉には、どこか予言めいた響きがあった。まるで彼は既に、その瞬間を見ているかのように。

 会議は深まっていき、様々なアイデアが出される。記憶の結晶の制作方法、設置場所、そして最後の儀式の詳細。それぞれの案が、この街の本質により近づこうとするものばかりだった。

「こうして決まった以上、準備を始めましょう」

美月の声に、全員が頷く。窓の外では、夕暮れの光が街を包み始めていた。

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