第一章 『揺らぐ朝』-2

 店先に並ぶ着物の色彩が、朝の光を受けて非現実的な輝きを放っている。幾世代もの記憶を織り込んだ布地のように、この街で生まれ育った詩音の存在もまた、光の中で溶けかけているような錯覚を覚えた。

 大通りに出ると、同じ制服を着た生徒たちの姿が目に入る。みな少しずつ歪んで見える中、見慣れた後ろ姿を捉えた。

「千夏」呼びかけると、坂野千夏が振り返った。

 幼なじみの笑顔が、揺らめく空気の中でより深い透明感を帯びて見える。

「おはよう、詩音」二人並んで歩き出す。

石畳を踏む足音が、見えない水面に波紋を描くように広がっていった。それは美しくもあり、同時に日常的ないつもの光景でもある。

「今日も、境界が揺らいでいるね」千夏の言葉に、詩音は頷いた。

 空を見上げると、海と空の境が溶け合い、真珠色の光が街全体を包み込んでいく。古い木造の校舎が、その輪郭を朝靄の中に溶かしていた。

「なんだか、今日は特別みたい」

「特別?」

「ほら、光の具合が」

 千夏の細い指が指し示す先で、空気がより強く歪んでいた。まるで誰かの存在を予感するように、光が渦を巻いている。

「新しい生徒が来るって噂、本当みたいよ」

千夏の声には、どこか不思議な響きが混じっていた。詩音は自分の胸の奥で、何かが共鳴するのを感じる。期待なのか不安なのか、感情の輪郭もまた、この街のように曖昧だった。

 教室に向かう階段を上りながら、詩音は今朝見つけた新しい光の変化を思い返す。石畳の記憶、郵便ポストの言葉、そして商店街の声たち。それらは確実に、何かより大きな物語の一部となろうとしていた。

 窓際の席に着きながら、詩音は空を見上げる。今日も海と空の境界線が曖昧になっている。その曖昧さの中に、きっと街の本当の姿が隠されているのだと、そう感じていた。

 教室はいつもと違う空気が満ちていた。窓から差し込む光が、通常よりも強く揺らいでいる。詩音は、そっと窓の外を見やった。海の方角から、潮が満ちてくるような予感が押し寄せていた。

「ねえ、詩音」

隣の席から、千夏が声をかけてきた。その瞳に、朝の光が不思議な模様を描いている。

「転校生のこと、気になる?」

「うん、少し」

答えながら、詩音は自分の言葉の曖昧さに気づいた。少しどころか、胸の奥が妙に騒がしい。

 この街に住む誰もが知っている。新しい存在が街に入るとき、光の揺らぎ方が変わるということを。

 朝礼が始まる直前、教室の空気が一瞬凝固したように感じた。廊下に響く足音が、水中での音のようにゆっくりと近づいてくる。担任の先生が入ってきて、その後ろに一人の少年の姿があった。

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