逃走者はただひたすらに、斜めに走る

長月瓦礫

逃走者はただひたすらに、斜めに走る


灰色の森に雨が降り続ける。

冷たい雨が木々を打ち付け、大きな音を立て、洗い流す。


「おやまあ……これはまた、ずいぶんと派手に暴れましたねえ」


遠くで雷鳴が聞こえる。嵐が通り過ぎていく。

倒れた木々をまたいで、飛び越えて、軽々と歩く。

礼服の女性が雨の森を歩く。


森を探し回っていると、木の陰に彼女はいた。

薄い色の髪、青い目の少女が膝を抱え、うずくまっていた。


おそらく、この世界の神に選ばれた少女だ。

人類を導くために存在する神が眠りにつき、代わりとなる者を探していた。


「こんにちは、私はムトウユウリ。

お嬢さん、ずいぶんとおもしろいことをやっているようですね」


彼女は世界のための生贄だ。

依り代だの何だのと体のいいことばかり言う大人に逆らう子どもだ。

世界の理を覆すかもしれない危険因子だ。


「私はずいぶんと長いこと、この世界を見ていたんです。

依り代はいわば神々の手足、その声が聞こえたら祝福を受け、人々を導くものなんですが……」


「追いかけてきたんですか、あなたも」


少女は枝を杖にして、青い瞳を震わせながら、立ち上がった。

透き通るような青い目に怒りが宿っている。


「町ではすっかり噂になっていましたからね。

依り代の声を聴いた少女が逃げたと、そのうち懸賞金がかけられるかもしれません」


「懸賞金?」


「アナタを捕まえれば、大金が手に入ると。そういったお話です。

異端審問所にも連絡が行くでしょうね。彼らは自称神々の下僕ですから」


たった一人の少女を大人が追いかけまわすのだろう。

神様の命令しか頭にない人々、彼女はどこまで逃げられるだろうか。


「ところで、依代が消えた理由をご存知ですか」


「知らない。そんなの聞いたところで」


「この世界があまりにも傷ついたから、ですよ」


少女は何も言わず、ユウリをじっと見つめる。


「この世界の人類もかなり好き放題にしていましたからねえ。

科学や魔法、私ですら知らない秘術に手を出し、利益を追い求めた。

それが破滅の道であることも知らずにね」


「……」


「この世界の依り代は、世界が負った傷の回復ができないと判断し、自ら役目を放り投げたんです」


「つまり、逃げたってこと」


「そういうことになるんでしょうね。

世界は何も言わないでしょうから、私が吹聴して回るしかないんです」


「あなたは悪魔か何かなの。

なぜ、そんなことを知っているの!

なぜ、役目を全うしなかったの!

ねえ、知っているんでしょう!」


ユウリは何も言わず、ただ笑うだけだ。

何かを期待するかのような視線を少女に投げかける。


「私が何をしたというのですか?

私はただ、生きていたいだけなんです」


「アナタはただ、ここの神と理に選ばれただけです。それだけなんですよ」


何もせずともこの世界は少女を選ぶ。

そうなる運命だったからだ。


「なぜ、そうまでして拒むのです?

神の声が聞こえているのでしょう。

それを理解しているから、逃げているのでしょう。

その幸運がいつまで続くのやら、それはそれで見物ですが……」


「違う! 私はただ、幸せになりたいだけ!

神の使いになんて、そんなものになったところで……何もならないでしょう?

逃れられない未来がいずれ来た時、私はどうすればいいの。

ただ、黙って死んで行けというの」


「それはそうなんですけどねえ」


ユウリは困ったように笑い、少女の絶叫が森中に響く。

確かに、少女にとっては理不尽なのかもしれない。


見えない神の手のひらの上で、ひたすらに踊る。

外に出ることも許されず、神の声を伝えるだけの存在になる。


しかし、それがこの世界の理だ。神に逆らう異端を憐れむ人はいない。


「私はここの神様ではないので、アナタがどうなろうが関係ないんです。

この世界も、ここの人たちも、私の管理下にはありませんからね」


自分のことしか考えない馬鹿な子どもと言ってしまえば、それで終わる。

依り代になることを拒み、理を乱す者がいると聞いたから探してみただけだし、それ以上の意味はない。


ただ、非常に惜しいと思った。

神の声を拒む強い意志を持った少女を捨てるのは実にもったいない。

理から外れようとする少女を、ユウリは非常におもしろいと思った。


このままでは、自称神々の信者である大人たちにいいように使われるだけだ。

何をされるか、分かった物ではない。


「そこまでいうなら、私とゲームをしませんか。

このまま終わってしまうのもおもしろくないでしょう?」


「ゲームですって」


ユウリは手を叩く。

楽しい遊びを思いついた子どものように笑う。


「まずはお友達を6人、集めてください。

この宇宙のどこかにいるはずですから、そう難しくはないはずです。

そして、私を呼ぶ呪文を唱えれば、いつでも受けて立ちますよ」


戦争をしましょう。ユウリはそう言った。

自分のために世界を捨てるなら、こちらもそれに応えなければならない。


「そちらはアナタを入れて7人、戦力としては十分でしょう」


「……何を考えてるの」


「愚かな人間を識別するだけなら、それだけで十分ということです」


「それだけじゃないでしょう。

話を聞いている限り、依り代とは関係ないじゃないの。本当に何者なの?」


「何者と問われても困りますね。

様々な姿を持つ私を、人々は様々な名前で呼びます。

この姿はムトウユウリです。それだけ覚えてくだされば結構」


雨の勢いが増し、再び雷鳴が響く。ユウリは少女を逃がすことにした。

楽しいことができるなら、それに越したことはない。

こんなおもしろいことになるんだったら、もっと前から観察するんだった。


「さあ、私と遊びましょうよ。お嬢さん。

友達をたくさん呼んで、パーティーをするんです。

誰もが踊り狂って、死ぬまで乱れて、実に楽しそうじゃありませんか」


ユウリの瞳がパッと輝く。宇宙のかなたで爆ぜた銀河のように、激しく燃え上がる。

少女はあとずさりして、背を向けて走り出した。


「さあ、走りなさい。世界の理から外れ、どこまで足掻くのか。

その姿を私に見せてください」


少女の背中をずっと見送っていた。

雨の音、雷鳴が森に響いていた。

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逃走者はただひたすらに、斜めに走る 長月瓦礫 @debrisbottle00

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