第6話(朝陽)
熱海駅に到着すると、すぐに観光地特有の活気が2人を包んだ。平日だというのに、旅行客らしき人が大勢いる。駅前の広場には人々の楽しそうな喧騒が響き、早くも旅行気分が高まっていく。まずは手荷物以外を駅のコインロッカーに預け、私たちは駅の周辺を探索した。
熱海駅の周辺には飲食店が立ち並んでおり、どれも美味しそうでなかなか選べない。そんな中、「これ食べてみない?」と夕月が指さしたのはタコ焼き屋だった。海の近くでしか味わえない新鮮なしらすが、タコ焼きの上に大胆に乗せられている。
「すみません。しらすタコ焼きを1パック下さい」
「はいよ。お姉さんたち可愛いから、少しサービスだよ」
私が注文すると、タコ焼き屋のおじさんがそう言ってくれた。とても嬉しいけど、少し引っ掛かる事がある。私が注文したのに、おじさんはずっと夕月の方を見て喋っていたのだ。お姉さんたちと言ってはいたものの、可愛いと思っているのは夕月に対してだけではないのだろうか。至近距離からおじさんを凝視している今も、一向に目が合わない。そんな疑心暗鬼になっていた気持ちも、実物のしらすタコ焼きを目の当たりにするとどこかに飛んで行った。それほどまでに、生しらすのインパクトが強かった。パックからこぼれ落ちそうなほど山盛りに盛られたしらすで、メインのタコ焼きが見えない。
私たちは店の前から移動して、さっそく出来立てほやほやのタコ焼きを頬張る。出来立てのタコ焼きは熱々で、口の中を爛れさそうと襲ってくる。肝心の味は、外はカリっと中はトロトロで、しらすの塩気とタコ焼きソースの甘みが絶妙にマッチしていて、思わず「うっま!」と声が漏れた。
「朝陽、言葉遣い。」
夕月は苦笑いをしながら私を注意して、自分も大きな口を開けて1口でタコ焼きを頬張った。さっき私が食べているところ見ていたはずなのに、口をはふはふさせて、熱さで目が潤んでいる。
「どう? 美味しい?」
私が尋ねると、熱くて呑み込めずに喋れない夕月は親指を立てて応えてくれた。
残りのタコ焼きも2人でペロリと平らげると、新たな店を目指して再び通りを歩き始めた。歩き始めてすぐ、「あ!」と夕月が大きな声を出した。かと思うと、1軒のお店に向かって走っていく。
「勝手に走っていかないでよ」
大勢の観光客で溢れかえっている通りで、夕月を見失わないよう注意しつつ、私も後を追って走る。夕月に追いつくと既に注文を終えていた。手には串焼きとビールを乗っている。
「何を買ったの?」
「アワビ串とビールだよ。朝陽も1口食べる?」
「食べる」
夕月から受け取った串には大きなアワビが丸々1個刺さっており、バター醤油の香りが私の鼻を刺激する。私は我慢できずに思い切りかぶりついた。
「どう? 美味しいでしょ?」
1口食べた瞬間、コリコリした食感とアワビの旨みが口いっぱいに広がった。
「美味しい!」
感動するくらい美味しかったけど、それをどうやって言語化すればいいか分からなくて、私は眼を見開いてアピールした。すると夕月は笑いながら、残りも食べていいよと言ってくれた。私は遠慮なく、残りのアワビにかぶりつく。
「ビールが欲しくなる味だよね。ビールも飲む?」
「ビールはいらない」
差し出してきたビールには目もくれず、ひたすらアワビ串を堪能していると、夕月が我慢できないといった表情で笑い出した。
「え、何? 何か付いてる?」
「そうじゃなくて。私たちって、本当に趣味が合わないなって」
「そうかな?」
「だって私の好きなものって、朝陽は大体苦手じゃない? コーヒーも煙草もお酒も」
「確かに。言われてみればそうだね」
その後も、夕月はビールを。私はジュースを片手に色々な店を回っては、美味しそうと思った物を片っ端から食べ歩いた。時折、私が「美味しい!」と目を輝かせて、夕月は笑いながら「もっと頼もうか?」とふざけてみせ、私も笑いながら「ダメだよ、食べ過ぎちゃう!」と首を振ったり。「アジの唐揚げの隣に、ソフトクリーム屋さんなんて建てちゃ駄目だよね。しょっぱい系と甘い系って永遠に交互に食べれちゃう」と私が言うと、「お店は、それが狙いなんだよ。きっとね」と夕月がウィンクをして見せたり。こんな風にずっと2人で喋りながら歩いた。何気ない会話の1つ1つが楽しくて仕方がない。
ふと気付けば、空は徐々にオレンジ色の浸食が始まっており、夕方の風が少し冷たく感じられる時間になっていた。
「やばい。もうこんな時間なんだ」
私は少し焦ったように腕時計を見て、行きたかった場所へ急ぐ決心を固めた。この時期の日の入り時刻は18時前だったはずだ。急がないと間に合わない。「ちょっと歩くけど、大丈夫?」と聞くと、夕月は楽しげに「もちろん、大丈夫だよ!」と応えた。熱海に到着してからの数時間で、夕月は数杯の酒を飲んでいる。酔いで歩けるか心配だったけど、私が思っていたより夕月は酒が強いようだ。しっかりとした足取りで、少し早歩きになっている私の歩幅に合わせて歩けている。
私たちは10分ほど歩いて、ビーチやって来た。ここは私がどうしても来たかった所だ。幸いにも、まだ日は落ち切っていない。私は夕月に断りを入れて、1人トイレに向かった。食べ歩き中に夕月がトイレに行ったタイミングで私も一緒に行けばよかったと反省しつつ、小走りで近くのトイレに駆け込む。
私がトイレから戻ると、ひっそりと海を見つめている夕月の姿が目に入った。日も沈みかけて薄暗くなった海を、ただ静かに眺めている。静かな波が砂浜を優しく撫で、その音と夕月の立ち姿が妙にマッチしていた。風が髪をさらりと揺らし、夕月の綺麗な横顔が露わになる。今、夕月は何を思い、何を考えているのかは分からない。その姿は言葉をかけるのが躊躇われるほど高貴で、まるで1枚の絵画のようにさえ感じさせる。空は既にオレンジ色から深い青に変わりかけていて、ほんのり紫がかったその光が夕月をさらに美しく見せていた。
息を吞むほどに綺麗な夕月は私の視線を感じたのか、ゆっくりと振り返った。私と目が合うと驚いたように少しだけ瞳を大きくして、そしてすぐに優しい微笑みを浮かべた。夕月は私の横まで歩いてくると、「綺麗だね」と呟いた。ユヅちゃんの方が綺麗だよ。そう口から出そうになったのを我慢して、「だね」とだけ返す。今この場では、どんな言葉も安っぽくなる気がしたから。静寂こそが正解。そんな気がした。
夕月と並んで砂浜に腰を下ろす。微かに触れる肩や肘がやけに暑かった。夕月の体温を感じられた気がしたけど、2人とも厚手の服を着ているから、きっと気のせいだろう。
すっかり日が落ちて、海が黒く染まるまで私たちは静寂を楽しんだ。すると突然、ビーチの砂浜は月の光をイメージした淡いブルーに浮かび上がった。
「日本初の、砂浜のライトアップらしいよ」
私は立ち上がると、砂の付いたお尻を払う。そして、夕月の手を取って歩き始めた。フットライトで照らされた道を、とある鐘を目指して。
「これは?」
「この鐘を一緒にならした恋人は結ばれるんだって」
「私みたいな人間と結ばれてもいいの?」
「ユヅちゃんだから結ばれたいの」
夕月は真っすぐ私の目を見ると、「分かった。一生一緒にいようね」と言ってくれた。
私たちは、「せーの」で一緒に鐘を鳴す。
真っ暗な空に、私たちの誓いが響いた。
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