第4話(朝陽)

母をタクシーに乗せ、タクシーが見えなくなるまで見送った。見えなくなったのを確認してから、私は大きく深いため息を吐いた。リリィに戻り、入り口からカウンターに居る夕月を見た。母が喋っている間、ずっと引き攣った笑顔をしていた夕月は、今は無表情で1点を見つめている。

「も~。ごめんね。お母さんったら、私たちの関係を友達だと思っているからさ」

大袈裟に笑いながら店内に入っていくと、無表情のままの夕月が私を真っすぐに見ていた。

「由紀恵さんに悪気がないのは分かってる。だから嫌いになったり、怒ったりはしていない。だけど、傷ついたのは私だけじゃないでしょ? 朝陽だって傷ついたんじゃないの? 笑顔を、自分の気持ちを誤魔化すために使わないで」

久しぶりに夕月に怒られた。同じ内容で怒られるのはこれで何度目だろう。笑って自分の気持ちを誤魔化す事が癖になってしまっているようで、昔はよく夕月に怒られていた。最近は夕月に対して本音でぶつかれていたけど、あんなに悲しそうな顔を見ちゃったら、ヘラヘラする以外で店内に入る術を私は持ち合わせていない。

「ごめんね。なんて言ったらいいか分からなくて」

正直に謝ると、夕月は私の頭を優しく撫でてくれた。

「大丈夫だから。同性に恋をするって、色んなハードルがあるって知ってるから」

「ごめんね。私にちゃんと伝える勇気があれば」

「気にしなくて大丈夫だって。私は高卒で、朝陽は日本一賢い大学に通っているかも知れないけど、私の方が2つも年上なんだよ。傷ついて立ち直る方法だって知ってる。私に気なんて遣わないで。分かった?」

「分かったよ」

「ヨシ! じゃあ、旅行について話そう?」

夕月の言う通り、2歳年上だからだろうか。いつまで経っても、夕月の大人な振る舞いに助けられてばかりだ。いくら勉強を頑張ったところで、もっと根本の部分で夕月には到底敵わないと思い知らせれる。

「朝陽はどこか行きたい所とかある?」

夕月は自分用のコーヒを持ってカウンターから出てくると、私たちが元々座っていたテーブル席に腰を下ろした。私も後を追って、夕月の隣に腰を下ろす。夕月は少し驚いたような表情を見せたけど、何も言ってこなかった。少し目を見開いただけで、私が座りやすいように椅子を引いてスペースを開けてくれた。

「行きたい所が沢山ありすぎて、絞り切れないよ。夕月は? 希望とかある?」

「熱海とかどうかな?」

夕月からの提案は、私が予想もしていない所だった。私は逡巡してみる。てっきり沖縄や北海道といった普段なかなか行けないリゾート地を言ってくると思っていたから。熱海も十分有名な観光地だけど、私は行った事がない。熱海と言われても、何があるのか分からなかった。

「どうして熱海なの?」

「東京からだと1時間足らずで行けるし、温泉も海もあって良い所だよ」

熱海についてはよく知らないけれど、夕月がそう言うなら良い所なのだろう。私は反対する理由が見つかなかった。

「いいね。じゃあ、場所は熱海にしよう!」

私は高らかに宣言すると、持っていたグラスを夕月のコーヒーカップにぶつけて、乾杯をした。

それからは直ぐに、2人で旅行の計画を立て始めた。まずは宿を決めようという話になり、夕月がスマホで幾つかの宿を検索して見せてくれた。老舗の温泉旅館、海沿いにある真新しいホテル。それにグランピング施設なんかも。どれも魅力的で悩ましい。

「どれがいい?」

いくつかピックアップしてくれた宿泊施設を見せながら尋ねてくる。

「悩むね。2人だとグランピングは高くつくだろうし、候補から外すとして。綺麗でアメニティも充実してるホテルもいいけど、やっぱり熱海だったら温泉がある旅館かな?」

「私のお勧めはココ」

そう言って夕月が見せてきた画面に映っていたのは、綺麗な旅館だった。夕月からスマホを借りて、詳細を見てみる。2人で1泊8万円ほどの少し高めな旅館だけど、夕飯は自室で、地元の食材をふんだんに使った懐石料理が味わえるらしい。メインは金目鯛の煮つけで、写真に写っている料理はどれも美味しそうだ。そして何より、露天風呂付きの客室だった。周りの目を気にする事なく、ゆっくり夕月と楽しめる。想像しただけでヨダレが垂れてしまいそうだ。

「いいじゃん! ココにしよ!」

こうして、私たちの初めての旅行はあっさりと決定した。

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