第24話 約束の夜が来る前に

 私達は今日の夜、ルターニヤを発つ……。

 約束をした『星降る丘』に行くために——……。



「お二人共、お戻りでしたか。浴場はお気に召されましたか?」


 様々な理由で心底すっきりしている私は、男の言葉に大きく頷いた。


「お召し物はすっかり泥も落ちまして、あとは乾くのを待つだけではあるのですが、もう少しお時間が掛かりそうでして……」 


 男のせいではないのに深々と頭を下げている。

 そんな姿を見たイレーナは、ちょうど街を散歩したかったのだと、彼女らしい嘘を吐いた。


 私達は吹き抜ける風に身を委ねるように、あてもなく歩いた……。

 時折、強い向かい風が吹いて道を塞ぐ。

 私達はその度に迂回して、まるで私達を何処かへ誘っているようだった。


 悠々と歩く私達はたまに肩がぶつかって、その度にイレーナはにこっと微笑んだ。

 瞼が赤く腫れ上がっていても、彼女の端正な顔立ちが崩れることはなくて

 改めて、イレーナの美しさに魅入ってしまう。

 

 風に揺れる白銀の髪に、私の指先が触れた……。

 髪を整えるふりをして…………。

 大して髪が乱れたわけでもないけれど、ただ……触れたくて……。

 

 私の頭か心で作られた気持ちが、身体と一致して動くのはこれが初めてだった。

 ようやく私の身体も、自分の一部なんだと認識できる。

 今まで別に気にしたこともないけれど、この雲泥の差がそう思わせた。



「ねぇ、アイオ……ギルドには行かなくて良いのですか? ……情報があるかもしれませんよね?」


 より必要性を感じなくなった過去の情報なわけだけど……。

 イレーナが私を考えて提案してくれているのだから、行くしかない。

 角の破片だけでも拾っておいて正解だった。

 役に立つかは別として……。


 ルターニヤには何度も訪れていたので、ギルドまでの道順なら頭に入っていた。

 ……はずなのだけれど、風任せに辿り着いたここが、一体何処なのか私は知らない…………。


 この街は天災のような雨が降り続く時期があって、その年によっては街中水浸しになってしまう。

 それを緩和させる為の家造りがなされていて、どの建物の玄関も大人一人分の高さまで上げられている。

 玄関からはそれぞれ梯子を下ろして、上り下りする仕組みになっていた。

 

 私はあらゆる段差をつたって、辺りでいちばん高そうな建物の屋根に立った。

 地上には首を傾げたイレーナがこちらを見ている。

 目線を上げると、湿地帯のさらに向こう側に山のような影が確認できた……。


 あれが私達の目的地……ガストレア王国——。


 私の拙かった護衛も、明日任務を終える……。

 そうなれば、もちろんイレーナとも——…………。



「何か見えるんですか——……っ!?」 


 

 叫ばれた声で我に返る。

 私はすぐさまギルドの位置を確認し、下で待つイレーナ目掛けて

 屋根から空中を歩くかのように一歩踏み出した——。

 

 

 ————……すとん。


 イレーナの鼻先に、恐らく私の髪がかかった。


「うわぁっ! ……ちっ、近いです……っ」


 私はにっこり微笑んでみせた。

 からかっているつもりはないけれど、イレーナの反応が面白くて可愛くて……

 つい、驚かそうとしてしまう。


「ギルドの方向分かったから、行こっか」


「……はいっ」


 イレーナの花咲くような返事を、いつまでも耳に残しておければいいのにな……。



 中へと入る前に……念の為、イレーナのフードを顔が見えない程度に深く被らせた。

 周囲に何も勘付かれないよう、淡々とした足取りで受付へと向かう——。

 


 見慣れたギルドは、労働と金銭と思惑がごちゃ混ぜになった酒場みたいな空間なのに……

 今日に限ってはそれが一掃されて、取り繕った厳正さすら醸している。

 ギルドを利用する旅人もちらほら居るけれど、いつもの雑魚さを感じない。

 


「よぉ。久しぶりじゃねぇか。……珍しく連れも一緒か?」


 毎度お馴染みの受付の男が、不適な笑みを浮かべている……。

 ほんと、いつもなら気にならない事も今日はすごく気に障る。


 ……次イレーナに目線を向けたら、両眼とも引き抜いてやろう。



 私は持っていた角の破片を差し出した。

 もちろんこれの対価なんて期待していない。

 ……ただ、イレーナの気遣いを受け取りたかっただけだ。


「お前これ……どこで拾ったんだ……」


「湿地帯にいた四つ脚魔獣の角から採ったけど?」


 だらけて締まりの悪かった男の顔が、眉間に力が入り険しい表情だ。


「この角からして……そこらの魔獣じゃねぇな。逃げてきた……ってところか。どっかで規格外の魔獣が暴れてんだろうよ」


「ふーん。どこかって何処?」


「んなもん知らねーよ。それ調べんのは、あんたらの専売特許だろ? ……で、今回の対価……こんなのどーよ」


 この男が角の破片の対価として差し出した情報は、『箱入り娘』の事だった。

 ……ギルドではどうやら城を抜け出したという事になっているらしい。


 男がこれ以上話を続けないように、軽く睨み付けておいた。


 私には魔力がないから、魔術でどうにかしたわけではないけれど……

 男は顔面蒼白で椅子から転げ落ちていた。

 

 いつもと違ったギルドの様子に疑問を抱きつつ……

 私の後ろで身を潜めていたイレーナの手をとり、ギルドを後にした——。

 


 …………——。

 

 空が……真っ青だ。

 きっと今夜はあの丘で、流れ星だって見えるはず——……。

 私の特別なあの場所が、イレーナにとってもそうなりますように……。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る