月下に結ぶ運命

海野雫

第一章 冷気の朝と鬼の影

 王都セレウスの朝は厳しい冷気に包まれている。高くそびえる城壁の石畳を踏むたび、訓練場へ向かう俺の心は引き締まる。俺の名はアキト、王国騎士団に属する若い騎士だ。


 訓練場にはすでに多くの騎士と兵士が集まり、模擬戦に励んでいる。その中に父ウラノスの姿を探す。王国騎士団の団長でもある父は厳格な眼差しで俺を呼んだ。


「アキト! 遅れるな。貴様はウラノスの息子だ、恥をかかせるな!」


 俺が幼い頃、鬼族の襲撃で妻を奪われた父は、鬼への憎しみと王国への忠誠を軸に生きている。俺もあの惨劇は忘れられないが、同じ憎悪を抱いているわけではない。それでも父に認められたい一心で日々剣を握ってきた。


 その朝の任務は、東部国境の警戒強化。黄昏の山脈に潜む鬼族が再び不穏な動きを見せているという。「人数は多くはないが、奴らは狡猾だ。今夜、偵察隊と出発するぞ」と告げられ、俺は複雑な思いに駆られた。鬼族といえば角や牙を持ち、呪いを操る恐ろしい存在という認識がある。一方で「本当に話が通じないのか?」という疑問も拭えない。


 夜、偵察隊に加わった俺は父や数名の騎士とともに馬を走らせる。満月の薄光が森を照らし、寒さが増してきた。父は黙々と先頭を進み、「油断するな」と鋭い目を向けてくる。


 森の中腹で先頭の兵が馬を止めた。地面に大きな爪痕があるという。鬼族の狩猟痕かもしれないが、父は怯まず跡を確かめる。すると夜闇から低い声が響いた。


「……どこへ行く、人間どもよ」


 森の奥から現れたのは銀髪に赤い瞳の鬼族と思しき男。月光に照らされる姿は禍々しさより、どこか悲しげな雰囲気さえ帯びている。


「今日のところは退け。これ以上深入りすれば、取り返しのつかぬことになるぞ」


 父は即座に「ふざけるな、この王国の領地を荒らすな!」と一喝。騎士たちが突進するが、その鬼は素早く闇に消えた。最後に赤い瞳がこちらを捉えた気がし、俺の胸はざわつく。


 父は「追え!」と命じるが、森の奥から獣の威嚇に似た咆哮が響くと、奇襲を警戒して撤退を決めた。


 王都から遠く離れた山の夜は想像以上に冷え込み、簡易野営地で焚き火を囲む面々は皆険しい顔をしている。


「こんなに早く鬼族と接触するとは……」


「だが、あの鬼は一人か?」


 不安な声が飛び交うが、父は氷のように沈黙を守った。俺が「あの鬼は……」と話しかけても、「奴らは敵だ。覚えておけ」と言い放つだけ。鬼への怒りが再燃しているのだろう。だが、俺はあの男の瞳を思い出すたび、胸が締め付けられる。憎悪よりも、何か訴えるような哀しみを感じたからだ。


「……なぜ、あんな目をしていたんだろう」


 誰にも聞こえないよう呟くと、焚き火が揺れ、森に落ちる影を濃くした。その影には俺の不安と、何かに引き寄せられるような予感が潜んでいる。


 夜空を見上げると、大きな満月がこちらを見下ろしていた。その寂しげな光が、まるで心を探るように問いかけてくる。


 ――当に鬼族は、俺たちが思うだけの“敵”なのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る