6湖の夜明け

 あれから数日。倒れていた人々を村に運び込み、治療や看病を続けた結果、幾人かは回復の兆しを見せ、事件の詳細を証言し始めた。

 黒装束に襲われた経緯や地下牢での様子――どうやら儀式の“素材”としてさらわれたことは間違いないらしい。幸い魔魚化させられる前に救出できたが、一部の仲間は既に連れ去られた可能性もあり、行方は不明のまま。


「そうか……全員は救えなかったか」

「だけど、これで村の人が安心して湖へ戻れる。ヌシはあんな形で倒しちゃったけど……本来の姿で釣りができれば、それが一番だよね」


 守は少し複雑そうに笑う。魔魚となってしまったナマズには気の毒な気持ちもあるが、被害拡大を防ぐためには仕方なかった。

 村長は深く礼を述べ、「あなた方には本当に感謝してもしきれない。わずかばかりの謝礼だが、受け取ってくれ」と、冒険者としての報酬を渡す。金貨こそ多くはないが、村の美酒や加工食品、釣りに役立つ小物などが詰まった贈り物は、三人の旅の助けになりそうだ。


 いよいよ村を去る日、守たちは湖畔に立って静かに水面を見つめていた。

 朝焼けに染まる湖は嘘のように穏やかで、先日の恐怖が嘘みたいに思える。だが、洞窟での激戦や、黒装束の残党がまだ潜んでいるかもしれない事実を考えると、そう悠長にも構えていられない。


「ねえ、守さん……これからどうする? ギルド本部へ行って報告しなきゃいけないことが山ほどあるわ」

「うん、海での魔魚事件もそうだし、ここでの黒装束の仕業も……全部まとめて伝えたい。そして、どこかで次の奴らの行動を止める手がかりを探さないと。何より、あいつらにさらわれた人たちを、まだ救えるかもしれないし」


 リーリアとガーランも無言でうなずく。

 もうただの“釣りバカ”というわけではない。守は釣りを愛する思いを抱えながらも、今やこの世界の闇と対峙している。糸を垂れてのんびり大物を狙うだけでなく、“この世界で釣りができる平和”を守る責務を感じ始めていた。


「……黒装束が生み出す魔魚を、全部釣り上げてやる。そんで、いつか本来の魚たちが平穏に泳ぐ場所を取り戻す。ちょっと大げさかな?」

「いや、おまえらしいよ。オレも賛成だ。やつらをぶっ倒して、思う存分釣りができるようにしようぜ」


 ガーランが拳を突き出し、守も軽く拳をぶつけ合う。リーリアは苦笑しつつも「まったく、二人とも単純ね」と笑い、すぐに弓を携えて歩き出した。


「……さ、出発しましょう。ギルド本部が待ってるわ」

「おう。行こう、次の場所へ」


 村を後にした三人は、再び街道を辿ってギルドのある大都市へ向かう。道中には冒険者が利用する中規模の町や森林地帯もあるが、そこにも黒装束の噂が残っているやもしれない。

 しかし、足取りは決して沈んではいない。魔魚ナマズを倒したことで、また一つ前進したという自信が生まれつつあったし、何より守の釣りバカ魂は健在だ。


「ギルドに着いたら、新しいルアーを試作してみるかな。湖用のやつ、けっこう使っちゃったし……」

「おまえ、ほんとに懲りねえな。でも、そのやる気に助けられるときもあるからな」


 ガーランがニヤリと笑い、リーリアは呆れつつも微笑ましげに歩を進める。

 空を見上げれば、青空がどこまでも広がっている。かつて日本で渓流釣りを楽しんでいた守にとって、異世界でも変わらぬ自然の美しさは救いでもあった。だけど――同時にこの世界には、暗躍する黒装束のような脅威がはびこる。


「でも……俺はやっぱり、この世界で釣りを続けたいんだよ。こんな面白い場所、滅茶苦茶にされたら悔しいし……それに、困ってる人を見過ごすわけにはいかない」

「うん……私も、釣りの魅力がちょっとずつわかってきた気がするしね。仲間がいるなら、乗り越えられるわ」


 そう言ってリーリアは弓をさすり、ガーランは剣を携えながら後方を警戒する。

 ――そう、仲間がいるならば。どんな大物も釣り上げ、どんな陰謀にも立ち向かえるはずだ。


 海を越え、湖のヌシを釣り上げ、さらには黒装束と対峙した今回の旅。だが、物語はまだ半ばにも達していない。ギルド本部へと向かう先に、さらなる“ヌシ”、さらなる魔魚、そして“闇の水神”の正体を巡る陰謀が待ち受けているだろう。

 震える心と高まる冒険心を抱えつつ、守たちは笑顔で前を向く。いつか本当に、すべての“ヌシ”を釣り上げ、この世界に安寧の釣りライフをもたらすために――。


 ラドリア湖での激闘から数日後。まだ早朝の薄暗い時間帯に、守(まもる)・リーリア・ガーランの三人は村の外れで荷をまとめていた。村人たちからもらった干し肉や保存食、簡易テントなどを再点検し、使い古した装備を交換したり、釣り仕掛けの補充を確認したりしている。


「これでよし。あとは荷車が出るのを待って、隣町まで同乗するか、それともこのまま歩いていくか……どうしようか?」

 ガーランが地図を広げながら、ふと独り言のようにつぶやく。彼は相変わらず新しい土地での“うまい飯”情報が気になっているらしく、目にする地名を片っ端からチェックしている。


「まあ、無理して馬車を待たなくてもいいかも。少し歩いて体力づくりってのも悪くないよ。ほら、ここ数日は戦闘や救助でほとんど休みなしだったし、身体をほぐしつつ進みたいんだ。」

 守は釣り竿を抱え、穏やかな笑みを浮かべる。疲れこそ残るものの、「歩いてこそ冒険者」という感覚がすでに身に染みついているらしい。


「でも、あなたは“釣りバカ”でしょ? 歩きながらまた川や池を見つけたら、絶対に竿を出すんじゃないの?」

 リーリアが笑いをこらえながら指摘すると、ガーランも「だろうな。足止めされるのはごめんだぜ」と苦笑い。

 守は申し訳なさそうに肩をすくめ、「まあ、ほどほどに……」とだけ答えつつ、視線を村のほうへ向ける。


 村の家々からは炊事の煙が上がり、行き交う人々の表情には、先日までの恐怖が消えつつあった。今や日常を取り戻しつつある風景だ。あのナマズ魔物の事件が嘘だったかのように穏やかで、時折アジや小魚を釣る村人の姿が湖岸に映る。


「俺たちが去ったあとも、この村はもう大丈夫かな……。」

「ええ。残った黒装束の手下は捕まったし、洞窟の崩落で儀式場も使えなくなった。村長さんも急ぎギルドや領主に報告を出すって言ってたわ。」


 リーリアの言葉に、ガーランが「まあ、安心しろよ」とうなずく。

「それより問題は、黒装束の連中が他の場所で何をしでかすかだな。うかつに気を抜けねえ。」

「そうだな……。ギルド本部に行けば、もう少し組織的に動けるだろう。僕らだけじゃ、奴らがどこで何をやってるか把握しきれない。」


 すでに気持ちは次なる目的地へ向かっている。限られた情報しか得られなかったが、“黒装束”が世界各地で魔魚を生み出している可能性は高い。海と湖での事件は氷山の一角だろう。


 そんな三人の背後から、小走りに駆け寄る足音が聞こえる。振り向けば、村の少年が息を切らしてやってきた。まだ十歳にも満たないくらいの子だが、目を潤ませて何か言いたげに口を開く。


「う、うわぁ……お、俺……ありがとう、言いたかったんだ……っ。」

 少年は両手で小さな袋を差し出し、顔を赤らめている。中には村の特産らしい干し魚が数枚。どうやら両親に頼んで用意してもらったらしい。


「これ……兄ちゃんたちが村を助けてくれたお礼……。俺も大きくなったら、兄ちゃんたちみたいに強くなって……釣りだって、うまくなりたい……。」

 涙声のままがんばって話す姿に、守は思わずほほ笑んだ。タックルボックスを開き、ほとんど使わなくなったルアーの一つを取り出すと、そっと少年の手に握らせる。


「お返しにこれ、あげる。お兄ちゃんが昔使ってたやつだけど、いつか川や湖で役に立つよ。練習して、俺たちよりも大物を釣れるようになってくれ。」

「う、うん……ありがとう……兄ちゃん……。」


 少年の瞳には憧れの色がにじんでいる。彼は何度も頭を下げ、やがて村のほうへ駆け戻っていった。遠ざかる少年の背を見送る三人の胸には、不思議な達成感と切なさが入り混じっていた。


「ふふ、守さんらしいわね。」

「釣りの楽しさを伝えるのも大事だからね……。その子がいつか本当に大物を釣る日が来るかもしれない。」


 小さな別れの一幕を経て、三人は再び足を踏み出す。薄曇りだった空がやや晴れ間を見せ、柔らかな陽光が街道を照らし始める。次の目的地――ギルド本部に続く道は、山間を抜けたり森を越えたりと険しいルートだが、これまでの旅で培った経験や友情、そして“釣りバカ魂”があれば心強い。


 村を離れてしばらく、三人は道端の小川を見つけて小休止した。ガーランが喉を潤し、リーリアが弓の弦を確かめ、守はタックルボックスを開いて在庫を再チェックする。


「海の魔魚、湖の魔魚……。あとは何が待ってるのかな?」

 守の独り言に、ガーランは「ふん、山の魔魚とかじゃないか?」と冗談めかして笑う。リーリアは「山の魔魚って……想像もつかないわね」と肩をすくめる。


「でも、黒装束の狙いが分からない以上、どこに出るか分からない。山でも川でも、あり得るよね。」

「それなら、それを釣り上げて止めるまでさ。覚悟してるんでしょ、釣りバカ?」


 ガーランの言葉に、守は頷く。「うん、もちろん。いざとなれば、みんなで助け合ってやっていくしかない。」


 すると、タックルボックスの奥で微かに光が瞬き、彼らにしか聞こえないようなかすかな響きが伝わる。海や湖で“魔力”を注ぎ込むうちにチート能力が増しているのは確かで、釣り竿の力もさらに強化されている気がする。だが、その先にあるものが何かは、まだ誰にも分からない。


「まあ、いつかギルドの専門家に見てもらうにしても、まずは自分たちでやれることをやろう。」

「そうね。一刻も早く本部へ行って、一連の事件を報告して次の対策を練らなくちゃ。」


 少女と青年と剣士の三人は、川辺の小石を踏みしめ、再び歩み出す。木洩れ日が揺らぎ、鳥のさえずりが穏やかに響く。まるで彼らの未来が明るいと告げるようだ――だが、その実、世界のどこかではさらなる暗雲が立ち込めているかもしれない。

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