14 新たな動き

 翌朝、エルダ港。

 早朝の薄明かりの中、波止場では漁師たちが慌ただしく船の準備を進めていた。巨大魔魚が討伐されてからというもの、「また漁に出られる!」と喜び合う声が聞こえる。まだ一部の海域は警戒が解けないが、それでも港の活気は明らかに復活していた。


 「おはよう。よく眠れたか?」

 宿の階段を降りてきたガーランが大きくあくびをしながら、先に一階で朝食を摂っていたリーリアと守(まもる)に声をかける。顔色はまだやや疲れが残っているものの、昨夜ぐっすり寝たおかげか、随分と楽そうだ。


 「うん、昨日はさすがにバタンキューで爆睡したよ。海の上であんな大物とファイトしたんだから、体中が筋肉痛だよ……」

 「私も腕が張ってるわ。でも、エルダ港の人たちが喜んでくれてる姿を見ると、やっぱり頑張って良かったと思う。」


 リーリアはそう言って微笑みながら、カウンターで出された温かなスープとパンをすすめる。ガーランも勢いよく椅子に腰を下ろし、空腹に耐えきれず一気に頬張った。


 昨日の激戦の報酬は、港の有力者たちからも惜しみなく用意されるとのことだ。だが、正式な手続きのために「ギルドの承認」が不可欠らしく、今日の昼過ぎに小規模な会合が開かれる予定だ。守たちはそこに招かれている。


 朝食を済ませた三人は、身軽な恰好で港町を散策することにした。会合の時刻まではまだ数時間あり、ぼんやり宿で待つよりも街の様子を見て回りたいからだ。

 にわかに活気を取り戻したエルダ港の市場には、夜明けとともに揚がったばかりの魚介が並ぶ。先日の脅威が嘘のような賑わいだが、その裏でちらほらと耳にする不穏な噂があった。


 「黒い服を着たよそ者たちが、港で何か探しているらしいって……もしかして」

 「黒装束の連中……?」


 リーリアが市場のおばさんと雑談していて、そんな小耳情報を仕入れる。ガーランは露骨に嫌な顔をして腕を組んだ。


 「あいつら、まだ懲りてねえのか。大人しく姿を消したと思ったが、ここまで嗅ぎつけてきやがったか……」

 「ただの噂かもしれないけど、気をつけるに越したことはないわね。港でも情報を集めてみようか?」


 守は釣り竿こそ携帯していないが、タックルボックスだけは肩掛けバッグのように持っている。万が一、襲われたときに役立つかもしれない。

 しかし、この市場にいる限り特に怪しい人影は見当たらない。魚を買い求める地元民や、活気ある競りの光景が広がるばかりだ。


 「まあ、下手に探し回るよりも、会合の場で漁村の代表やギルド代理人と相談するほうが確実かもね。変に騒ぎを起こしても困るし」

 リーリアの提案に二人もうなずき、ひとまず時間を潰すべく港の外れにある防波堤へ足を運んだ。


 さすがに大物狙いのロッドを振る元気はないが、守はせっかくの“海”を前に何もしないのも落ち着かない。防波堤の突端に腰を下ろし、タックルボックスから小ぶりの仕掛けを取り出してみた。


 「昨日の激闘とは真逆で、のんびりと波止場の小物を狙うのもいいよな。美味しい魚が釣れたら、宿で調理してもらえるかも」

 「そういう余裕が出てきたのはいいけど……また危ないのが来たりしない?」


 ガーランが少し怖がりながら辺りを見回すが、今のところは穏やかな波音しか聞こえない。何匹かの海鳥が飛び交い、小魚の群れが放つ光がちらちらと見えるだけだ。


 守は短めのロッド形態を意識し、ライトタックルをセット。今度は手のひらサイズのメタルジグやワームを使い、防波堤からのちょい投げを楽しむ。

 少し巻き取ってはしゃくり上げると、小気味良いアタリが伝わってきた。


 「ほら、なんか来た。……あ、こいつは……普通の魚かな?」


 水面に上がってきたのは二十センチほどの銀鱗をまとった魚。先日の毒々しい背ビレ魔魚とは違い、外見は素朴なアジに似ている。引き揚げてみると背びれに棘や変な瘤はなく、ピチピチと元気に跳ねる。


 「おお、普通の魚だ。よかった、こういうのがまだいるんだな」

 「これなら食べられそうね。守さん、釣れたらどうする? リリースする?」

 「うーん……せっかくだから持ち帰って宿で調理してもらおうか。みんなで食べたいし」


 ほっとしたように微笑むリーリア。ガーランも「それ、うまいのか?」と興味津々だ。魔魚騒ぎが続くと、こうした“普通の魚”の姿が減ってしまい、漁に大打撃が出る。討伐できて本当に良かったと、改めて三人は実感する。


 しばらく小物釣りを楽しみ、数匹のアジやカサゴに似た魚が釣れたころ、街の鐘が一つ鳴った。どうやら昼が近いらしい。


 「そろそろ戻るか。会合の時間があるし、遅刻するわけにもいかねえだろ」

 「そうだね。魚はバケツに入れて……宿の店主に預けておこう。調理して出してくれたら嬉しいんだけど」


 守はバケツを提げ、釣果を確かめながら防波堤を引き返す。血みどろの大物討伐もあれば、こうしてのんびり小物を狙う釣りもある。異世界に来ても、この瞬間こそ彼が一番落ち着く時間だ。


 正午を少し回った頃、三人は港近くの役所に足を運んだ。すると、部屋の前でマリナと数名の漁村代表、それから見慣れない男性が話をしている。男性はギルドの紋章付きのマントを羽織っており、どことなく公務員のような雰囲気だ。


 「あ、守たち、こっちこっち。遅れてないわよ。ちょうど始めるところなんだ」

 マリナが手招きし、三人はホッと胸を撫で下ろす。ギルドから派遣されたというその男性は、ラグスと名乗った。漁村サイドとギルドを繋ぐ調整役のようで、魔魚の討伐報告や被害状況の詳細を取りまとめているらしい。


 小さな会議室へ通され、談話用のテーブルを囲む。漁村代表がホスト役となり、お茶や菓子が振る舞われた。ラグスが書類を確認しながら口を開く。


 「まずは改めて、巨大魔魚を仕留めていただき感謝申し上げます。被害が深刻化する一方だったので、あなた方の活躍は本当に大きい。ギルドとしても正式に感謝状と、相応の報酬を用意する所存です」


 漁村代表の老人も深々と頭を下げ、「これで漁に出られる。村の若者たちも希望を取り戻した」と嬉しそうに伝えてくれる。そんな彼らの姿を見て、守やリーリアは照れくさそうに目を逸らした。


 「いえ、私たちは依頼を受けただけです。でも……確かにあの魔魚は尋常じゃありませんでした。体内にあった黒い魔石のようなもの、もう見てもらえましたか?」

 リーリアの問いに、ラグスが神妙な面持ちで書類をめくる。


 「はい、今朝港で受け取りました。あれは私の手には余る代物なので、迅速にギルド本部へ送る手配を進めています。近いうちに専門家が調査してくれるでしょう。何かわかり次第、あなた方にも報告が行くはずです」


 ガーランが頬をかきながら、「ま、何も起きなきゃいいけどな」とぼやく。漁村代表は少し顔を曇らせる。


 「実は、村の若い衆が“黒い服の旅人”を港で見かけたという噂が絶えなくてな……どうもギルドに運ぶ“荷物”があるらしい、と探ってるようで不安だよ」

 その言葉に、守たちの眉がピクリと動く。やはり黒装束の不穏な動きはここでも噂になっているようだ。


 しかし、今は正面切ってどうこうできる状況でもない。港には衛兵も増員され、変な動きがあればすぐに取り押さえられる可能性が高い。ラグスも、いずれ本腰を入れて調査をするつもりらしく、漁村側には落ち着いて待つように諭す。


 「とにかく、皆さまの協力で事態はひとまず落ち着きました。これが報酬の明細です。ギルドへの手数料等を差し引いて、あなた方には……」


 話は一気に具体的な金額のやりとりへ移る。ガーランの目がきらりと輝き、「結構いい額だな。しばらくは宿代や装備のメンテに困らねえぞ」とほくほく顔になる。

 漁村代表が、「少ないかもしれんが、我々のできる精一杯だ」と繰り返すが、守たちはこれだけの報酬がもらえるなら十分すぎるほどありがたい。


 会合が終わり、夕方にはすべての手続きが済んだ。報酬の一部はすぐに現金で支払われ、残りはギルド本部での受け取りとなるらしい。

 漁村の人々から感謝の言葉を浴び、三人は少し誇らしい気持ちを噛みしめながら宿へ戻る。マリナは地元出身なので、引き続き港に残って漁師や仲間たちを支えるそうだ。別れ際、握手をしながら笑顔を交わした。


 「釣りバカ守、ほんとにありがとう。あんたの釣り、びっくりしっぱなしだったよ。もしまた海に来ることがあったら、一緒に大物狙おうぜ」

 「こっちこそ、いろいろ助けてもらったよ。またいつか会おう!」


 リーリアとガーランも「機会があれば一杯奢らせてくれ」と言い合い、互いの健闘を讃え合う。


 翌朝、三人は軽く朝食をとった後、港を後にする支度を整えた。馬車か街道沿いの定期便を使って、いったんギルド本部のある都市へ向かう予定だ。街道を通りながら依頼情報を集めつつ、黒装束の連中の動きも警戒していく。

 支配人のおばさんに預けていた**「波止場で釣った小物魚」**は、昨夜のうちに美味しい揚げ物や煮付けになり、三人はそれをペロリと平らげてしまった。ほんのわずかな滞在ではあったが、エルダ港での記憶は濃厚で、何より“海の魔魚”との死闘は忘れられない大事件だ。


 最後に宿の前で、守がふと海を振り返る。

 青い水面に朝日が反射し、キラキラと輝いている。あの先には、もっと広大で未知の海が広がっているはずだ。さらには世界の各地には、大河や湖沼、そして伝説級の“ヌシ”が待ち受けているに違いない。


 「(いつか、あの水平線の向こうへ行って、もっと大物を釣り上げてみたい。黒装束や黒い魔石の謎――いろいろ不安はあるけど、釣りバカとしてはやっぱり夢を追いかけたいんだよな)」


 そう心に誓いながら、守は釣り竿とタックルボックスにそっと手を当てる。竿は静かに応えるように微かな光を帯び、ちょっとした“存在感”を示す。

 ガーランが大きく伸びをし、「そろそろ出発しようぜ。次の宿場町まで半日かかるだろ」と言うと、リーリアもまた海へ別れを告げるように視線を向ける。


 「いい街だったわね。今度はただの観光や釣りで、のんびり訪れたいところだわ」

 「ああ、そのときはもっと余裕をもって海釣りを楽しみたいな」


 三人は笑い合いながら街道へ足を踏み出す。港町から続く並木道を抜け、かすかな潮の香りが背中を押すように感じられた。

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