12 出港
東の空がほんのりと明るみを帯び始めた頃、エルダ港には人々のざわめきが広がっていた。船乗りや漁師、一部の冒険者が集い、出航前の最終確認を急いでいる。桟橋から沖合へ向け、何隻かの小舟が先行して偵察を始めるのが見えた。
マリナは桟橋の一角で、仲間の冒険者たちとともに中型船の最終点検をしている。舵や帆、船体の補修、武器や道具の積み込み……やることは山積みだが、彼女は手際良く指示を飛ばしていた。
「よし、これで装備は全部載せたわね。あとは人員がそろえば出せる!」
「マリナさん、こちらも準備OKだよ」
声をかけたのは、守(まもる)、リーリア、ガーランの三人。釣り竿や弓、剣に加え、最低限の防具や体力回復用の薬を身につけている。昨日より凛々しい表情なのは、やはり緊張と覚悟が入り混じっている証だろう。
「待ってたよ、あんたたち。船の名前は“カレイ・マリーナ号”っていうんだ。ちょっと古いけど、そこそこ頑丈で波にも強い。舳先には鋼鉄の補強板を取り付けたから、多少は魔魚にぶつけられても大丈夫さ」
「へえ、頼もしいな。でも、あんまり豪快に突っ込まれると船酔いどころじゃなさそうだが……」
ガーランが苦笑まじりに言うと、リーリアが「酔い止め、飲んでるんでしょ?」と茶化すように笑う。守は周囲を一通り見回しながら、船の大きさを実感していた。
おおよそ全長十五メートルほど、甲板には複数人が動き回れるスペースがあり、船尾には舵取り用の操舵室が簡易的に設置されている。中央には帆柱が立っているが、海が荒れたときは帆を畳んで魔力推進器で動かす仕組みらしい。
「この船なら、釣りをするにも十分スペースがあるな。何匹か掛かっても踏ん張れそうだ」
「ただ、あまり船縁に近づきすぎると、魔魚に引きずり込まれる恐れがあるから気をつけてね。あなたたちには悪いけど、状況に応じて私たちが強引に引っ張ってでも安全な位置まで戻してもらうかもしれない」
マリナの警告に、守はロッドを握り直し、力強く頷く。
「わかった。もし俺が釣り上げられないほどの大物を掛けちゃったら、迷わず助けてくれ。命あっての釣りだからな」
ガーランとリーリアも甲板を軽く歩き回り、船上での立ち回りをシミュレートしている。リーリアは弓の射線、ガーランは剣での防御範囲など、それぞれの持ち場を決めている様子だ。
「さて、それじゃあ出航しようか。頼もしい仲間もいるし、なんとかなるはずさ」
マリナの号令により、船員兼冒険者たちがロープを外し、ゆっくりと「カレイ・マリーナ号」は波間へ繰り出す。甲板に立つ守たちは、まだ夜が明けきらない海に向かい、静かな決意をかみしめていた。
港を離れると、波の揺れがやや大きくなる。ガーランはすでに苦い顔で船縁に手を置いているが、必死に踏ん張っているようだ。リーリアは海風に銀髪を揺らしつつ、遠ざかる岸を一瞥しながら弓のチェックを続ける。
一方、守は船の後方デッキに陣取り、タックルボックスの仕掛けやロッドの状態を再確認していた。周囲には海鳥がいくつも飛び交い、朝日が水平線上をほんのり染めている。
「きれいだな……。でも、魔魚の襲撃なんて想像できないくらい穏やかだ」
「船は順調よ。今日は風も弱いから、かなり沖合まで行けそうだわ」
マリナが航海士の一人から報告を受けて、甲板に戻ってくる。手には海図があり、該当エリアまであと一時間ほどとのことだ。
「前にも言ったように、あの急に深くなる場所──通称“落とし穴海域”で魔魚の被害が集中してる。そこに近づいたら、慎重に偵察しながら先に進むわ。もし奴らを見つけたら、あなたたちに出番をお願いする」
「了解。ちょっとルアーを遠くに投げて、魚の反応を探ったりしてみるよ」
守はロッドを改めて握り、ラインを通す。今回は重めのメタルジグをセットし、“大物にも耐えられる”ようにと、ラインも太いものを選んでいる。もっともタックルボックスの仕掛けはほぼチートなので、切れる心配は少ないかもしれないが、心の準備としては大事だ。
ガーランが「おい、頼むから船酔いがピークになる前に、片を付けてくれ」と苦笑まじりに言うと、リーリアが「そのときは私が後ろから支えてあげるわよ」と冗談めかして笑う。船員たちも「お兄さん、息が合わないと倒れちゃうぞ」とからかってくる。
「るせえよ、みんなして……こう見えてもオレはやるときはやるんだ」
そんな他愛のないやりとりが続くうちに、船はだんだん沖合へと差しかかり、水深もぐっと深くなっていく。海面を見下ろすと透き通っていた海水がだんだんと暗い色を帯び始め、うっすら不気味な青黒さが広がっていた。
「ここから先が、魔魚が出るって噂のエリアよ。みんな、気を引き締めて」
マリナの声に、甲板の全員が一瞬静まり返る。航海士が舵を慎重に操作し、船はごく低速で海域に入っていく。
探りながら進むことしばし。船が落とし穴海域に近づいたとき、リーリアが真っ先に異変に気づいた。彼女は視力が高く、弓の狩人でもある。
「……あそこ、水面の色が変わったわ。濁りがあるというか、泡が立ってる」
「本当だ。海流が複雑に交差してるのか……?」
マリナが双眼鏡のような道具で確認する。すると、海面のわずかなうねりの中に、鋭い背ビレのようなものがちらちらと見え隠れしているのが分かった。
同時に守の心臓がどきりと跳ねる。海にはシャーク系の生物も多いが、こんなにまとまって行動しているのは尋常ではない。
「やっぱり……奴らがいるかもしれない。船を停止させて、あんたたちにルアーを投げてもらうわ。うかつに突っ込みすぎると向こうから襲われるかも」
マリナが合図を送り、航海士が船を止める。波に揺れる船上で、守は後方デッキに立ってロッドを構えた。慎重にメタルジグをセットしなおし、周囲の準備ができているのを確認する。
「みんな、もし大きいのが掛かったら、できるだけ俺に任せて引き寄せるから、最後の仕留めを頼むよ!」
「わかってる。私とガーランで甲板を守るから、あなたは全力で釣り上げて」
リーリアは弓を握り、ガーランは剣を腰から抜いてスタンバイ。マリナやほかの冒険者たちも、それぞれ魔法や火矢を準備しているようだ。
「……よし、行くぞ。まだ距離があるけど、俺のロッドなら届くはずだ」
深呼吸し、力強くロッドを振りかぶる。船の揺れに注意しつつ、ラインを放つと──ヒュンッという音とともに、ルアーは青黒い海へ大きく弧を描いて飛んでいく。
着水点は狙いどおり、何やら背ビレが見えた付近。すぐに糸ふけを取ってからシャクリを入れ、メタルジグを動かす。キラキラと閃きながら沈み、魚の注意を引いているはずだ。
(……来い……来るなら来い……!)
ごくりと唾を飲む。数秒、数十秒が長く感じる。周囲に漂う緊張に、視線を注ぐ仲間たちの気配が伝わってくる。
だが、何も起きない。空振りかと思い、回収しようとリールを巻いたそのとき──ドンッ!と突き上げるような衝撃が手元に走る。
「……か、掛かった……で、でかい! なんだこの重さ……!」
腕に伝わる感触が尋常ではない。守がロッドをあおると、とんでもない引き込みで糸が出され、まるで船ごと引きずられそうな勢いだ。ロッドはいつも以上にしなり、摩擦でリールがギャリギャリと音を立てる。
船上の仲間たちが息を呑む中、最初の一匹が海面を割って跳ね上がった。そこには鋭い歯と灰褐色の体色、サメのような姿だが、体表には奇妙な棘やひび割れが走り、不気味に赤い目がぎょろりとこちらを睨んでいる。
「サメ……? 魔魚化してるサメなのか……うわ、こっちに突っ込んでくるぞ!」
暴れながら海面を叩き、まるで竜のように尾を振って高く跳ねるその姿。海水が血のように濁るのは、体内から滲み出す毒や瘴気のせいだろうか。
守は必死にロッドを支えながらも、体が甲板の縁へと引っ張られそうになる。そこへガーランとリーリアがすかさず駆け寄り、背後から支えてくれた。
「釣りバカ、踏ん張れ! これ、マジで船から落ちちまうぞ!」
「すごい力……私が矢で牽制するから、引き上げられるところまで耐えて!」
船員たちも「船体を安定させろ!」「向こうが群れで来たらやばい!」と叫びながら、甲板や舷側を見張る。案の定、海面のあちこちに似たような背ビレがいくつも見え隠れし始め、どうやら仲間たちが近づいてきているらしい。
(まずはこいつを仕留めなきゃ……!)
守は頭を切り替え、釣りのテクニックを総動員する。ロッドをあおりつつ、サメ魔魚の暴れをいなし、ラインが弛む瞬間を与えないように気を配る。繰り返される凄まじい引きに耐えながら、じわじわ船へ寄せる。
リーリアが隙を見て弓を放つ。矢は見事に魔魚の鰓下付近に刺さり、相手が一瞬ひるんだ。そこを守が強く巻き取り、甲板近くまで引き寄せる。
「ガーラン、お願い!」
とどめを任されたガーランは、あくびが出そうなほど緊張で吐き気をこらえながらも(笑)、剣を構えて一気に切りかかる。まるで巨大魚のランディングだが、相手は生半可ではない魔物だ。
とはいえ、すでに弱りが見え始めているサメ魔魚は、ガーランの斬撃をまともに受け、断末魔のようにのたうち回って海水を跳ね上げる。そして、やがてバタリと力尽きて海面に浮かんだ。
「はあ、はあ……やった……!」
守がロッドを地面に下ろし、荒い息を整える。初めての海の大物、かつ魔魚の相手にここまで苦戦するとは思わなかった。
周囲の船員たちが歓声を上げ、すぐにフックやロープを使って魔魚の死骸を引き上げる。サイズは全長三メートル近い。血走った赤い目と剥き出しの歯が凶悪さを物語っているが、今はすっかり沈黙している。
「でかいな……こりゃ漁船がひっくり返るのも無理ないわ」
「しかもあれが一匹だけとは限らない。まだ海面に複数背ビレが……!」
リーリアが甲板の外を指差す。そこには二、三匹ほど似たような影がうろついているのが見えた。ひとまず、この第一のサメ魔魚を仕留めたことで流れができたが、これからが本番だろう。
マリナが急いで指示を飛ばす。
「皆、落ち着いて迎撃態勢をとって! 守たちは継続して狙えるかしら? あの引き込みは相当だったでしょうけど……」
守は息を切らせながら、まなざしを海に向ける。ロッドのダメージは今のところないし、タックルボックスの仕掛けも問題なさそうだ。
――どうやら、この世界の海には想像以上の猛者たちがうじゃうじゃ潜んでいる。そう確信するのに十分な初戦だった。
「大丈夫……まだやれる。こんなところで折れないさ」
ガーランとリーリアも互いに目を合わせ、気合を入れ直す。吐き気はあっても、これを乗り越えなければ漁村の人々は救えない。
そして、再びルアーを投げ込む守。その先には、背ビレを揺らしながら近づいてくる魔魚の影。荒れる海面、血のにおいがかすかに漂い始める甲板。
待ち構えるは、一匹どころではない“群れ”の襲撃かもしれない。だが、いかに凶悪な海の魔物であろうと、守の釣りバカ魂は燃え尽きそうにない。
「……来いよ、相手になってやる!」
そう心中で叫びながら、彼はもう一度、全神経を集中して竿を振った。海の魔魚との死闘は、まだ始まったばかりだ。
こうして“落とし穴海域”で巻き起こる海の魔魚との激戦は、さらなる波乱を呼ぶ予感を漂わせる。
初手で仕留めた巨大サメ魔魚は、いわば前哨戦。群れの存在や背後に潜む“真の脅威”が明らかになるのは、もう少し先の話だ。
しかし、釣り竿のチート能力と仲間との連携があれば、岸井守と仲間たちはきっとこの海でも“釣果”を残せるだろう。海鳥の声と荒波の音が、次なる闘いの幕を静かに開き始めていた。
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