4話

 「……着いたわ。ここが、パパの城。私の、家」

 幾つかの渓谷を越え、曲がりくねった崖道の最後に、それは聳え立っていた。

 「パパはね、何ヶ月か前に書庫で古い魔導書を見つけて、それからおかしくなったの。だからその魔導書を壊せばきっと元に戻るはず」

 俯きながらアリサは語る。その声には悲痛な色が滲んでいた。

 俺に、できるだろうか。ただの高校生だった俺に。よぎる不安を振り払うように拳を強く握りしめる。

 「あのね、タイチ」

 そんな俺の不安を見透かすように、アリサは穏やかな声色で話す。

 「異世界から召喚された勇者は、思いを力に変えることができるんだって。あたし嘘だと思ってたんだけど、竜に立ち向かったあんたを見て、本当なんだって分かった」

 アリサは俺の固く握った手を包んで、それから、真っ直ぐに目を合わせて言葉を紡いだ。

 「だから、あたし信じてる。タイチなら大丈夫よ。そうでしょ、相棒!」

 最後にとびきりの笑顔を見せて俺の手を離す。もう俺の心に不安はなかった。俺は何があろうと、彼女の笑顔を守る。

 「ありがとう、アリサ。君のパパは俺が必ず助けるよ」

 俺は笑った。久しく忘れていた、心からの笑顔だった。アリサは微かに頬を染めてそっぽを向いてしまった。

 「じゃ、じゃあ早く行くわよ。城に入って廊下をまっすぐ進めばパパの居る王の間に着くわ。ただ、あたしが居るとはいえ、兵士との戦闘は避けられないかも」

 「まかせてくれ。俺がなんとかしてみせるから」

 アリサはますます顔を赤くしていく。釣られて俺も恥ずかしくなってきた。

 「調子いいこと言ってないで、一つ約束して。絶対に誰も傷つけないで」

 ふと真顔になって語気を強めてきた。アリサの言うことはもっともだ。悪いのは侵入者の俺で、兵士たちは何も悪くない。ましてやアリサにとっては同じ城に住む家族同然の存在たちなのだ。

 「分かった。約束する。この城の人たち誰も、絶対に傷つけない」

 お互いの顔を見合わせ、深く頷き合う。いよいよ正念場だ。俺たちは息をのんで城の扉に手を掛けた。


 「アリサ様、お帰りなさいませ。まったく、どこに行っていたのですか? っていうか、その男は誰です!?」

 「どいて。パパに会うの」

 想定はしていたが城に入るなり囲まれてしまった。あからさまに俺に敵意を抱いてるのがひしひしと伝わってくる。

 「まさか、人間!? アリサ様、何をお考えなのですか! お父様に逆らいになるおつもりですか!」

 「パパは間違ってる! みんなだって分かってるはずでしょ!?」

 兵士たちは武器を取り出し臨戦体制だ。だが彼らも迂闊に手を出せないようで、膠着状態に陥ってしまった。

 睨み合いを続ける内に奥から誰かが来るのが見えた。

 「アリサ様、これは何事ですか」

 兵士たちが道を開け、次々と敬礼していく。装飾の施された衣、鍛えられた身体、身長は俺を優に超える。位の高い兵であることはあきらかだった。

 「近衛兵長……。あんたはそこまでのバカじゃないと思ってたけど、思い違いだったみたいね」

 アリサは彼を睨みつけながら毒づく。場に緊張が走る。

 「手短に聞きます。彼は何者ですか」

 「勇者よ。私が召喚した」

 周囲の兵士たちがざわめき出す。

 「パパがおかしいのは魔導書のせいよ。あんただって気づいてるでしょ。だからあたしはパパを救けるために、勇者と、聖剣を手に入れて帰ってきたの。分かったら早く道を開けなさい」

 アリサの毅然とした態度にざわめきが収まる。静けさの中、俺の前に近衛兵長が立った。

 「勇者よ。君はどういう気持ちで、今、ここに居る?」

 彼は静かに、俺に問いかけた。俺は、今までの17年間と、今日アリサと過ごした1日を、噛み締める。無為に過ごした日々への後悔、あとわずかしかアリサと居られない痛み。思いを力に変えることの本当の意味。

 「俺は、勇者です。アリサのために、人々のために、何よりも自分のために。俺は、俺の好きな人の笑顔を守りたい。守れる自分になりたい。それだけです」

 大きな彼をしっかりと見上げて、俺は人生で一番考えて、自分の言葉で、自分の思いを伝えた。こんなに拙いことしか言えない、でもこれが『俺』の全力の答えだった。

 思えば今日は人生で一番をたくさん経験したな。今日だけで、俺の短い人生を遥かに超える、かけがえのない日だった。

 彼は目をつぶり、一つ深呼吸をした。そして目を開き、俺に微笑んだ。どこか父を思わせる大きな微笑みだった。

 「お通り下さい。魔王様の元へご案内いたしましょう。皆の者、これより先彼に手出しは禁ずる」

 「……え」

 一瞬何が起きたのか分からなかった。アリサを見ると、彼女も同じように唖然としていた。

 「なんか分かんないけど何とかなったみたいね。やるじゃない、相棒」

 アリサは緊張を解き顔を綻ばせる。俺は込み上がる思いを溢れさせないように、ぎゅっと胸を掴んだ。


 廊下の最奥、荘厳な扉。その先に彼は居た。禍々しい本を片手に、大義そうに王座に腰掛け、彼はただそこに居た。

 「アリサ、何故人間など連れてきた。そんな下等生物、私の視界に入ることすら許されぬというのに」

 「パパは本当のパパじゃない。今救けてあげるから待ってて。タイチ、やるわよ」

 頷くと同時に剣を抜く。そして強く、願った。俺の好きな人の笑顔を守れるように。この先もずっとずっと、好きな人が笑っていられる世界であるように。

 すると、古びた剣はみるみる内に輝きを放ち始め、柔らかな光が溢れて、魔王を、アリサを、俺を照らした。

 ふと俺の脳裏に家族の顔が次々と浮かんだ。お喋りな母さん、厳しい父さん、生意気な妹、穏やかなじいちゃん、お茶目なばあちゃん……。あまりにも身近で気づかなかったけど、俺の大好きな人たち。俺の頬をいつしか涙が濡らしていた。

 周囲を見回すと、アリサも、魔王も泣いていた。きっと二人とも大好きな人たちのことが浮かんだんだろう。魔王は顔を両手で覆い、人目もはばからずに大声で泣いた。

 気づけば魔導書は魔王の手からこぼれ、床に広がっていた。

 「タイチ、今よ! 魔導書を壊して!」

 アリサが涙声で叫ぶ。俺は溢れる涙をぬぐい、魔導書に駆け寄り思い切り聖剣を突き刺した。

 途端に禍々しい気配が剣に吸い込まれていく。聖剣の光もまた、たちまち輝きを失っていく。魔導書の気配が消える頃、聖剣はただの古びた剣に変わっていた。

 「タイチ、やったわね! 本当に、本当にありがとう」

 アリサが走り寄る。涙に濡れた笑顔を俺に向けられ、終わった実感が込み上げてきた。

 しかし、安心したのも束の間、今度は俺の身体が光り始めた。どうやら時間切れのようだった。

 「え、これって……。もうそんな時間なの? 待ってよ、まだまだ話したいことがいっぱいあるの!」

 笑顔から一転、彼女はこの上なく悲しい顔で俺の手をとる。

 「アリサ、ありがとう。君のお陰で俺は、本当に勇者になれた。もっとずっと……一緒に居たかった」

 アリサは目を見開き、力強く、手を握る。

 「タイチ、聞いて。あんたとの時間はあたしに大事なことを教えてくれた。でも、もっともっと、あんたに教えてほしいことがあるの。ニッポンの景色も、見てみたい」

 そう言ってアリサは涙をぬぐい、笑顔を見せる。いつもの、ふてぶてしい、誰よりも素敵な笑顔。

 「だから、必ず会いに行くわ。絶対に。それまで待ってなさいよね」

 光の中、アリサは俺に何かを握らせた。言葉を返そうとしたが、もう何も聞こえない。やがてまばゆい光で何も見えなくなった。



 まぶたの裏に太陽を感じる。朝が来たようだ。

 長い夢を見ていた気がする。異世界に行き、魔王の娘と24時間の旅をする、そんな夢を。

 言いようがない喪失感の中、身体を起こす。ふと、手の中に何かがあることに気づいた。

 ——アリサの首飾りだ。

 俺は淋しさと愛しさがないまぜになり、声をあげて泣いた。




 それから三年の月日が流れた。時が経つのは早いもので、俺も今や大学生だ。

 あの日から俺は、様々なことを学んだ。いつかアリサに会えた時に色んなことを教えてあげられるように。

 彼女のことを考えなかった日はない。俺の人生を変えてくれた人。君に再び会えることを信じて、今も俺は勇者でいる。

 「ようやく見つけた」

 ふいに懐かしい声を聞いた気がして、俺は振り向く。——そこには。

 「なんて顔してるのよ。必ず会いに行くって約束したでしょ。これから色んなこと教えてもらんだから。覚悟してよね、相棒」

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24時間勇者 まんじゅうサムライ @manjusamurai

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