海の底のされこうべ

酒部朔日

海の底のされこうべ

 漁火宗八氏(七十二)は、小樽埠頭で生首が浮いているのを見た。

 霧の朝だった。


 霧が晴れて美しくなった海に、やっと警察が駆けつける。

 その頃にはもうその首はどこにもなかった。

 漁火氏は長いこと話を聞かれたが、ないものはないので、浮きの見間違いだということにされた。

 漁火氏の広い邸宅は途端に静かになった。

 朝ごはんを食べ損ねたことを忘れていた。


 沖に流れ、膨れた生首は魚にちぎられながら沈んで、様々な細かい生命が分解をして、均整なされこうべになった。

 肉がはらはらと散ってされこうべは完璧な死となり、しかし海に長らく停滞していた死の気配に取り込まれて、薄い呪いを撒き散らし始めた。


 漁師小屋の茶碗はヒビが入り。

 観光客はつまづいてソフトクリームを落とし。

 小学生男子は宿題のプリントを無くした。

 漁火氏の孫のネイルチップが小指だけ剥がれ。

 小樽の街に、少しだけ魚の匂いのする雹が降った


 石狩地方の風車をからかっていた神は、嫌な匂いを嗅いだ。

 神は海面を滑り、小樽に着くと、呪いを浄化のシステムで処理した。

 少しずつ黒い雲がされこうべの形を取り、坂道の街を飲み込もうとしている。

 神がそれを一瞥すると、誰も気が付かないほどの閃光が街に染み込んだ。

 神が百年ほど溜め込んだ、人々の祈りの力だった。

 美しい羽のような雪が降り出した。

 人々は無意識に空を見上げた。

 案外、力を使ってしまったなと、神はカムイコタンの小さな神社に帰った。

 首を、傾げた。


 伏せっていた漁火氏は、その脳に柔らかい光を感じて、長い間探していた通帳を枕の中から見つけた。


 されこうべは自然の円環の流れに組み込まれた。

 今は小魚を守る要塞になっている。


 そんな丸い要塞が実は海底にいくつかある。

 飛び込んできた流れ星が、海底を照らした。

 長い影は息を止めるように巧妙に隠れた。


おわり

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海の底のされこうべ 酒部朔日 @elektra999

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