Remember Lilas

「久しぶりだな、めぐ」


 カウンター席に腰かけていた私の背後に近づいてきた足音に声を掛けた。


 シャングリ・ラホテル東京のバーで美月めぐを呼びつけたのは、先日のスキャンダルがあったからだ。めぐと会うのは何年ぶりだろうか、振り返り見た姿から私もめぐも老けたように感じる。


「あの頃のスタイルは変わらず、流石は元アイドル」


「それは皮肉かしら、真希。貴女もあの頃のままと思うけど」


 目を合わせたまま、沈黙の時間が下りる。数秒だろうと数分だろうと変わらない、これが私とめぐの距離感だったことを思い出す。


 先に緊張を解いたのはめぐの方だった。


「ふふ、プライドが高いところも変わってない」


「それはお互い様だ」


 そんなやり取りを交わしながら、めぐは東京を一望できるテーブル席へ移るように促してきた。ロマンチストなところも変わってないみたいで、仕方なくその席に移ることにした。




「そのウイスキー、やっぱり貴女は変わらないのね」


「そういうお前こそ変わってないな、まだそんな甘いカクテル飲んでるのか?」


 私がクールなキャラだったのに対し、めぐはキュート系のアイドルで何もかもが対照的。それはプライベートでもそうだったが、唯一共通していたものがあった。


「そうね。甘いかどうか、あの時と同じように確かめてみる?」


「お前、殺すぞ」


 頬を引きつりながらそう言うと、『こ~わ~い~』と言いたそうな表情で小さく笑い出した。昔話をするために呼び出したわけではない。私は無理やり話を切った。


「ところで、これだが」


 そう言い、先日の週刊誌をテーブルに置いた。めぐは驚くこともなく息を吐いた。


「貴女の事務所のアイドルのことは知っているわ、お気の毒だったわね」


 視線を窓に向けながら淡々と口にするめぐに話を続ける。


「これ、お前の娘の記事だろ。瀬奈から聞いて出版社にも確認は取っている。どういうつもりだ」


 私に視線を戻しためぐはゆっくりと口を開く。


「どういうつもり? もうわかってると思ってたけど」


 めぐの娘と解った時はまさかと思っていたが、めぐは未だに根に持っていた。


「ここで初めて会った時から私は貴女に、真希に心を奪われた。それは貴女もだったでしょう? でも、付き合って一年後に貴女は無言で私の隣からいなくなってしまった。そのショックで自殺未遂までして、芸能界からも消えざるを得なくなった私は、静かに引退した」


「それは……」


 言いかけた言葉にめぐは重ねるように話を続ける。


「知っているの。私たちのことが公になれば社会問題にもなりえたって言いたいのでしょう? それに、あの頃の同性愛はいまの時代のように許容も看過されないってことは理解していたわ。していたけど、それでも貴女は強い人だと思っていたから」


 違う。それが全てではない。私は顔を横に振った。


「離れたことは謝る、でもそれはお前の未来のためだった」


 めぐが険しい表情になった。


「お前のいた事務所の社長から言われたんだ、『お前たちの関係は掴んでいる、このままの関係を続けるなら美月めぐとともに消えてもらう』と。めぐのお見合いの話も聞いていたし、私も事務所に迷惑は掛けられない。だから、そのまま離れるしかなかった」


 私の言い訳に、めぐは背もたれに身を預けるようにして天井を仰いだ。まるで想い出を思い出すかのようにめぐの目にはシャンデリアの小さな明かりが無数に広がっている。


 少しの沈黙の後、めぐは叶わないと分かっていながら「もう少し私たちが違う時代に生まれてたらよかった」とぽつりと願いを口にしていた。それから独り言のように


「邪魔する気はなかったの。貴女が立ち上げた事務所の子はどんな子たちなんだろうって気になっていたなかで、妙に距離の近い子たちがいたからスキャンダルが取れるかもしれないって娘に話したの。それが記事の発端になってしまったの」


「そのせいであの子たちは苦悩させられた、それは私たちのこととは無関係だろう」


 どんな形であれ私は許すわけにはいかない。たとえ自身から出た錆であったとしても。


「そうね。でも、血は争えないみたいね。瀬奈という子に真剣に恋していたって娘から聞かされた時は驚いたわ」


 それは瀬奈から聞いていた。だから、あるシナリオをめぐに提案するために準備していた封筒をジャケットの内ポケットから取り出しテーブルに置いた。


「だからこその提案だ。条件と言ってもいい。呑むなら今回のことは許してやる。それに、これからは時々飲みに行くぐらいなら誘ってもやる」


 めぐは預けていた背もたれから身を離すと、テーブルに置いた封筒を取り、折りたたまれた書類を取り出す。


 三枚目の書類に目を通した後、私に視線を移して


「これなら今回の件はなかったことになるわね」


 と、ほんの少しだけ逡巡した後に頷く。


「分かったわ、この条件なら娘も問題ないでしょう。ありがとう、真希」


「では、これでこの話は終わりだ」


 薄くなったウイスキーを飲み干す。めぐの方はまだグラスに残っている、席を立つ気がないらしい。


「貴女はまだ独身貴族?」


 なんて事を言い出すぐらいにはまだ一緒にいたいらしい。


「お前のことがあったからな、他の人とは付き合う気になれなかった」


 一瞬の沈黙の後にめぐは小さく笑い出した。


 少しイラついたが、これもめぐらしい。


「そういうお前は旦那とは上手くいっているのか?」


 めぐは笑いながら答える。


「ぜ~んぜん!」


 これには私も小さく笑うことしかできなかった。

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