第3話

 受験シーズンは終わり、三年生は登校をしなくなった。気がつけばあっという間に、結果を待つ三年生達の卒業式が開かれた。

 拍手を送るのは二年生で、僕達一年生は本来休みなのだけど、僕は青羽先輩の姿を一目だけ見たくて校舎にいた。

 けれど、時間が経てば経つほどに、やっぱり帰ろうかなと思っては足を止めるのを繰り返していた。

 青羽先輩の旅立ちの日だ。僕の勝手な思いで水を差すような真似はしたくない。けれど、一言だけでいい。謝りたかった。僕は、あれから想像することが難しくなっていた。でも、前に書き溜めていた想像を手放せずに、ノートだけは常に持ち歩いている。たまにぼんやりと思いつく想像を、軽く書き留めることはしても、まるで冷めてしまったかのように、以前のような熱量は消えていた。

 やっぱり、帰ろうかな。僕は体育館の方から聞こえてくる合唱で、そろそろ卒業式も終盤であることに気がついてそう思った。

 そろり、とこもっていた教室を出て、玄関口の方へと向かう。一時の夢だったけれど、この気持ちを抱いて生きていこうと覚悟を決めて、靴箱を開けた。

 靴の上に、何か入っている。ノートのようだ。中を捲る。そこに書いてあるのは、僕の語った物語だった。

 深海に住む人魚達は、暗い暗い海の底にいて。日の光も差し込まない、真っ黒な世界で。やがて、青空を目指し、空を泳ぎだす。その壮大なストーリーが、今、僕の手元にある。

 最後のページに、一枚の紙が挟まっていた。ひらり、と落ちていくそれを途中で掴み取る。小さな紙だけれど、上質なものだった。それに書かれた文字を読む。

「君の成功を祈っています」

 名前は書かれていない。けれど、ブルーブラックのインクとその美しい程の綺麗な字が残されていた。青羽先輩だ。

 僕らはきっと、コミュニケーション不足だった。どちらも一方的な、独りよがりの想いを抱いていて。

 彼女が僕の運命でないのなら、彼女の運命を決めるものは、ただ一つだけだと思った。

 卒業式の賑やかな声も薄れた頃、僕は別館へと向かっていた。図書室の扉を、ゆっくりと開く。

 予想通り、青羽先輩は、カウンター前に立っていた。僕はゆっくりと歩を進めて近づく。僕が何を言いたいのか、分かっているように彼女の方が先に口火を切る。

「……私が興味あるのは君じゃない」

「分かってます」

 僕は努めて冷静だった。でも、本当は心臓がバクバクと早くなっていた。

「先輩の手で、これを物語にしてくれませんか」

 僕の想像を詰めたノートを震える手で差し出す。どうか、お願いします。青羽先輩と出会えたことを、運命だと思いたい。そして、青羽先輩にとってもそうであってほしい。

 青羽先輩は相変わらずのポーカーフェイスを崩さないから、どんなことを思っているのか分からない。けれど、ゆっくりと口を開いてこう言った。

「強情ね」

 僕は思わず俯いた。でも、まだ見捨てられていない。望みは捨てられなかった。僕には、青羽先輩がどうおもっているのか、一つの想像しか思いついていない。だけど、そうであってほしいと切実に願う気持ちだけは本物で。

 まだ書きたい、そう思ってくれているはずだ。だって彼女の右手には、ブルーブラックのインクが残っている。

 彼女以外に、僕の物語は描けない。

 青羽先輩がノートを手にして、中を見る。僕はゆっくりと顔を上げた。

 数分して、読み終えた彼女はただ小さな笑みを浮かべて僕を見ていた。


「その時、書き方を教えてあげる、と言われました」

「では、その先輩の方に教わって今の黒木さんがあるんですね」

 にっこりと笑う黒木に、インタビュアーは微笑ましくなった。

「僕を書けるようにしてくれた彼女には、頭が上がらなくて」

「その方は、今どうされているんですか?」

 好奇心で尋ねた言葉だったが、黒木は驚いていた。今でも関係が続いているのは黒木の口ぶりから明らかだったが、本人はそれを自覚していなかったのだろう。

 黒木は少し考えた後、簡単に想像できたのであろう彼女の様子を口にした。

「きっと僕の本を、面白がって読んでますよ」


(END)

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ブルーブラックの憧れ 芹沢紅葉 @_k_serizawa_

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