消滅都市より、奇々怪々

かささぎかづる

0. 綾叔母さんの神隠し

 遠く潮騒を聞きながら、ともえは束の間夢を見ていた。


 幼い自分が、畳の上に寝そべっている。

 赤や黄色のチューリップが刺繍されたワンピースを着ているところを見るに、四、五歳の頃だろうか。昔は可愛らしい柄が好きだったのだが、小学校に上がる頃には恥ずかしくなり、袖を通すのをやめてしまった。

 巴の傍には、細身の女性がざっくりとぐらをかいて座っている。綿のブラウスに紺のパンツスタイルの、彼女はりょう叔母さんだ。

 盆休みか正月休みにだけ会えるその若い叔母さんが、巴はとっても好きだった。『綾ちゃん、綾ちゃん』と親しく呼んで、付いてまわった。彼女は、とこの間の前に座っているおかっぱの女の子や、庭の木の下で小銭を数えているお爺さんは、巴が普通にしていれば怖いこともないのだと教えてくれた人だった。

 母やそのほかの人間は、人ならざるものを視ることが出来ない。

 幼い巴は身を起こし、傍らの綾を見上げた。

『ねぇ、綾ちゃん。綾ちゃんは昔、お山のの神さまのところにいたことがあるんでしょう?』

 舌足らずなその声に、とうの昔に大人になって、煙草が手放せなくなってしまった『』の巴は、ああそうだと懐かしく思い出した。

 あの日の巴は、綾はかつて山林で神隠しに遭ったのだと、大人たちが話しているのを聞いたのだ。

 小学校の三年生。綾は、山麓にある樹の神さまのおやしろでふっつりと消え失せて、ひと月後、再び参道に現れたらしい。消息を絶った時と、同じ服に同じ靴。それでいて、至極健康な状態で。

 大人たちのひそめ声に、けれども無邪気な好奇心だけを持っていた幼い巴は、かえって心を踊らせた。

『お山の樹の神さまってどんななの?えらーい感じのおばあちゃん?熊さんみたいな、毛むくじゃらな森の動物?』

 矢継ぎ早に繰り出される巴の問いに、綾は、気分を害した素振りは見せなかった。

 ただ、遠いなにかを懐かしむように目を細めた。

 縁側から差し込む木漏れ日が、畳の上でゆらゆら揺れる。

『まさか、違うわ。そうねぇ。私にとって、お山の樹の神さまは優しいひと。だって……』

 ふと『現在』の巴は小首を傾げた。夢だから身体の感覚も定かでないが、少なくとも、気持ちの上で。

 あの時叔母は、なんと答えていただろう。記憶に霞が掛かったようで、思い出せない。

 視界が歪んだ。

 ゆらゆらと、木漏れ日が揺れている。揺れて、こちらに迫ってくる。

 光と影のきらめきが、かさを増したみなのように巴を呑み込む。

 あ、と思ったその瞬間、右手から携帯が落下して、巴ははたと目を覚ました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る