◇ 女子高生
落ち着いてみると、女子高生は『倒れている』というには不自然な格好だった。
背中を丸め、祈るように手を組み、ぎゅっと固く目を瞑っている。
まさに『落ちている最中』そのものの格好なのだ。
血も流れていなければ、そういえば落ちたときに何の音もしなかった。
それによく見れば、閉じたまぶたがプルプル震えている。
……大丈夫だ。たぶん、生きてる。
「…………なんだよ」
声にならない声が出た。どすん、と尻餅をつく。
「生きてる……」
「当たり前です。死んでしまったらお話も何もありませんので。さ、急いでますので、そこの落ちてきた女の人さん、起きてください」
小学生もその場にかがみ込むと、ゆさゆさと女子高生の肩を揺すった。
「………………ぷはあっ」
女子高生はぱっと目を開き、恐ろしく長い時間潜水をしたあとの人みたいに、大げさに息を吸い込んだ。
なおも彼女は横になったまま浮かんでいる。
長い髪の毛は空中で広がったまま漂っていた。
何が何だかわからない。
「……あれ、私…………なんで……生きてる? 死んだの?」
透き通るような声だ。
「ええ、はい。まだ生きてます。死んでしまう前にちょっとだけお時間をいただきます。お話があります」
女子高生はおそるおそる身体を起こすと、不思議そうに小学生を見た。
で、
「……えっ、浮いてる!」
身体のどこも地面に接していないことにようやく気付いたらしい。
俺と同じように、その手を空中ですいすい動かした。
「もう立っていただいていいですよ。あの、そろそろお話のほう進めてもいいですかね」
「え……え?」
女子高生は言葉に戸惑い、辺りを不安げに見回した。
「ここは……天国ですか……?」
俺は首を横に振った。彼女と目があったからだ。
「いや、キミが生きてきた世界だ。それは俺が保証する」
「……うそ」
女子高生は、現実を確かめるように、おそるおそる足を地面に下ろしてゆく。
ローファーが軽い音を立てた。
しかし腰を上げようとした瞬間、へたり、と座り込んでしまう。足に力が入らないのかもしれない。
「大丈夫か?」
「…………はい」
それから女子高生は、女児を見上げた。
「……えっと、……あなたは?」
「役所の者です」
言い慣れているのか、妙に自信のある声だった。
しかし、それを言う本人のナリと言葉がかけ離れている。
どれだけ甘く見積もっても、せいぜい小学校の中学年程度だ。
「役所……」
「そうです。ちょっと手続きにイレギュラーがありまして、私としても初めてのケースですから、こうしてお知らせして回ってるのです。分かってくれましたか?」
「…………わかりません……」
「うーん……そうですか。ま、いいです。えっとですね、結論から言いますね」
役所の者と名乗る女子小学生は、そうして俺と女子高生を、順番に指差した。
「突然ですが、これからあなたたち二人は実の兄妹になります」
「…………」
「…………」
すこし間があって、俺は女子高生と目を合わせた。
しかしなにも言葉は出てこず、また役所の女の子に視線を戻した。
「ええ。そうでしょうね。さきほど言いました通り、私としても初めてのケースなのですが、その反応は予想していました」
私としても、という言葉を彼女は強調した。
「……えっと、それは……?」
女子高生はなんとも掴みどころのない尋き方をしたが、俺が口を開いていてもきっと似たような言葉が出たはずだ。
疑問は山のようにあり、けれど、何をどう尋けば今のセリフが理解できるようになるのか、まずそこから判らないのだ。
「はい。あなたが妹で、あなたはお兄さんになりますね」
そしてまた沈黙が続いた。
そういうことが聞きたかったのではなくて。
もしかすると、どこかのネジが外れた子なのかもしれない。
「続けます。兄妹ということで、お二人とも同じお住まいに変わるわけですが、具体的な住所までは覚えてません……じゃなくてっ、決まってません」
なぜ言い直した……?
「……これはなにかのドッキリ……ですか?」
女子高生は、その声を俺に向けた。
たぶんこの女児と話をしても無駄だと悟ったのだろう。
「……さぁ。俺もさっき呼び止められたところで、何が何だか……。立てるか?」
先に俺から立ち上がり、ぱんぱんと尻を払う。
それから彼女に手を差し伸ばした。
「ん……」
女子高生は俺の手を取り、ゆっくりと時間をかけて腰をあげた。
地面に広がっていた長い髪が、するすると持ち上がっていく。
長いなとは思っていたが、想像以上に長かった。まっすぐ下ろした髪は膝の裏を越していた。
「兄妹って言ってますけど……あの、私たちどこかで会ってますか……?」
俺は首を振った。
「初対面だ」
……対面、か。
自分で言ったその言葉が引っかかる。
これを出会いの一つと数えていいものか。彼女は──落ちてきたわけだが。
隣にそびえ建つマンションを無意識に見上げそうになって、俺はぎりぎりで思いとどまった。さすがに無神経かもしれない。
ぽきっ、と首を鳴らして誤魔化した。
女子高生はまた俯いてしまった。
「どういうこと……? こんなの……ぜんぜん笑えない……」
いまにも泣き出してしまいそうな声である。
彼女の心中を思えばあまりに気の毒で、俺は胸が痛くなった。
言葉を引き取ったのは、『役所の者』を名乗る女の子だった。
「ええ、笑わなくて大丈夫ですよ。これは冗談ではないのです。さっきも言いましたが、今後あなた方は兄妹として生きていくことになります。お住まいも、今住んでらっしゃるところではなくなります。お名前も、ご年齢も変わります。それからえっと、ご両親もいなくなります。あと──」
「まてまてまて」
俺は話を遮った。
「わからん。マジで何を言ってるのかわからん。色々とおかしくないか? だって、」
「ええ、そうですね。わかります。本来なら、こう、矛盾が出ないように色々と考えて並び替えてるんですけど、今回はちょっと、これでして」
そう言って、役所の者を名乗る小学生女児は、両手で何かを振るような仕草をした。
俺にはそのジェスチャーの意味がわからなかった。
「そういうわけで、いいですね、はい。まとめると、みなさん今後の人生がガラッと変わるわけです。本来なら同時に記憶もリセットしますから、何の問題もありません。けど今回はちょっとしたアクシデントがありましたので、私の方からお詫び、というか……えーと。プレゼントがあるのです」
「──プレゼント?」
尋いたのは俺のほうだ。
「お受けするかどうかはお任せします、はい。
プレゼントというのは、あなた方の『思い出』です。はっきり言ってこれまでの人間関係は根っこからごっそりと取り替えられてしまいますから、ご友人もご友人でなくなったりするわけで……。ちょっとそれは可哀想じゃないですか。だからせめて記憶だけは残してあげたいな、と。これは私の思いやりで、ほんとうはNGなんですけどね」
「ま、待ってくれ。いったん話を整理させてくれないか」
彼女の話を信じたわけではないが、俺の直感が囁くのだ。
この子の話をちゃんと聞いておけ、と。
ただの小学生にしか見えない。
しかし、あの背中のバッグにぶら下がった金の懐中時計は、現実にこの女子高生を救っている。あの高さから落下した女性一人を、止めて、浮かせた。
そしてそんな現場を、俺はこの目で目撃しているのだ。
「いいですよ。大事なことですから。でも急いでますから、早めにお願いします」
俺は今聞いた話を一つずつまとめていった。おおむね次のような内容だ。
・今日からこの子──この女子高生が、俺の妹になる。
・名前や年齢、住まいが変わり、両親も消える。
・これまでに築いた人間関係や個人情報がぐちゃぐちゃになる。
・今回の件はアクシデントであり、
救済的にとられた措置が、『記憶の保存』。
・この措置を受けるかどうかは、各々に委ねられる。
「その通りです。素晴らしいです」
「……はは」
「なにかご質問がおありですか?」
「いや……別に」
ダメだ、とても信じられない。というか受け入れられない。
「それで、どうします? あんまり時間がないので早く決めてください」
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