心のカケラ 〜旅人たちの小咄〜
神月
マークのカケラ
僕は旅をしている。
どこまでも続く大地に遠く青い空、世界はこんなにも広いのに、世界はこんなにも狭い。
地図を片手に、コンパスを持って歩くこと数年。未だに世界の全てを見てきた訳では無いが、何となく世界の形というものが分かってきた気がする。
僕は都会生まれの都会育ちだ。清潔で危険が一切無い安全な透明なドームに覆われた街の中で暮らしていた。
中流家庭の共同マンションの一室に、僕を含めて家族五人で暮らしていた。父はIT企業に勤め、母は公務員をしている。八歳離れている弟と十二歳離れた妹がいたが、僕が家を出たのが十六歳の頃だから、二人はもう十七歳と十三歳になっているだろう。時が経つのは随分と早い。
どこにでもある普通の一般家庭で、学校にも友達は何人かいた。いじめとかはなく、学校内でいじめ問題があったとしても、僕はいじめに関与しない部外者の一人として過ごしていた。
人間関係、良くも悪くも無関心だったのは確かだ。今の時代、僕の時代では少なくともそれが普通だった。仲の良い友人以外とはあまり関わらず、先生たちもそこまで人間関係にこだわることはしなかった。一人の時間が好きな生徒は一人にさせるし、大勢の人と遊ぶことが好きな子には危険がないよう注意する程度の自由がそこにあった。
僕は基本一人で本を読んでいることが多かったが、たまに気の合う友達と外遊びをして身体を動かしたりもした。
ドーム内の街では五歳になると政府から一人一台タブレットが支給され、タブレットを使えば、ほとんど何でもできたから不自由はなかった。
もちろん、有料サイトや金銭が発生する通販などは保護者の行動制限によってロックされていたが、それ以外のことは文字通り何でもできた。流行りのゲームや漫画、学びたい教材システムの表示、VRオンラインを使用すれば習い事も、友達と仮想空間で遊ぶこともできたので、部屋にいるだけで大抵の人は満足していた。
充実した生活を捨てて、僕が旅を出た経緯を語ろうとすると少し複雑で長くなりそうなので割愛する。
いつか語ってもいいかもしれないけど、それはいつかであって今ではない。
何はともあれ、今僕は旅をしている。
古い紙の地図を見ながら、次の街へ向かっている最中だ。
殆どの人は自分の生まれた街から出ることはないが、仕事や親戚付き合いなどの件で町の外に出なければいけない人もいる。彼彼女らは僕のように、ドームから外に出て旅をするかと言うとそんなことはない。
一般の人なら地下鉄道を利用する。同じ陸地にある限り、街と街の間には地下鉄が通っており、そちらを利用する人が多かった。便利で快適で、多少お金は掛かるが数時間ほどの移動時間で次の街まで行けるのだから、そちらを選択するのは当たり前だろう。
僕のようにドームの外を身一つで移動する人はほとんどいないし、自殺行為と言われている。
別にドームの外には有毒ガスが蔓延しているとか、放射線が致死量とか、近未来SFみたいな理由ではない。
ただ本当に何もないからだ。まっさらな砂色の荒野が地平線まで続き、山々が見えない場合、どこを歩いているのかすぐに分からなくなる景色。コンパスも専用のもので無ければ、磁場のせいですぐ使い物にならなくなる。水や食料も自分の運べる分、消費する量を考えなければいけない。何も考えず淡々と生きてきた現代人には難しいことだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日も何事もなく日の出と共に起きて、歩けるところまで歩き、何度か休憩を挟みながら進み、そろそろ日が落ちようとしたところで、今日がいつもと違う日だと知った。
荒野にたまにある大きな岩の陰に、大人の男性2人分くらいの大きさのバイクと人影が見える。
茶色のマフラーを鼻先まで覆い、飛行帽のような耳とゴーグル付きの帽子を被った人だ。
砂よけのコートは僕の灰色とは違い、向こうは赤茶色で少しお洒落さんと見た。足音で僕が近付いたことに気付き、向こうは顔を上げて目を細めてこちらを見る。僕は両手を軽く上げた。
「初めまして、こんにちは。僕は旅人です」
「私も旅人だけど?」
「同業者ですか、会えて嬉しいです」
「別に嬉しくない。……それ以上は近付くな」
相手とは約五メートル離れた辺りで足を止められた。警戒心が強いのは当たり前だ。旅を続ける上で必要な心得の一つだ。僕は指定された場所で立ち止まり、被っていた帽子を外して顔を顕にした。
相手は驚いた顔をしたが、すぐに僕の意図を組み取り、マフラーだけを引き下げた。
お互い顔を晒すことで話し合いをしても良いという意味になる。僕は嬉しくて破顔した。
「僕はマーク、東の国から来ました」
「ファイ、北から来た」
「もしかして、この後、南へ行きますか?」
「お前が知る必要はないだろう」
「僕は西へ行く予定です。けど、北も良いですね」
「お前……、人の話を聞かないってよく言われないか?」
「人とあまり話さないので言われません。それに」
言葉を区切り、僕は邪気のない笑顔をファイに向けた。
「そこまで人に期待してません。あなたもそうでしょう?」
ファイは面食らった表情になり、クッと喉の奥から笑った。
「ああ、そうだな。旅人っていうのはそういうものだからな」
「話したいことを話してすぐに別れる、二度目にあった時はもう少し考えて話したりします」
「いい考えだ。なら、言いたいことだけ話すなら、さっさとどこかへ行け、だ。」
「情報交換できる相手とはしておいたほうが良いですよ?」
「お前が安全で無害な人間という証拠は? 街の中にいる温室育ちの世間知らずとは違って、お前は旅慣れた奴に見える。つまり、人を騙せるし、脅せる立場にある。違うか?」
「否定はしません」
「正直だな」
「嘘をついても無意味です。それに嘘や邪な言葉を口にすると、あなたの持つショットガンの餌食になりそうですからね」
ファイは口端を上げてコートの中で身じろぎした。
「よく分かったな」
「コートから手を出していない時点で武器があるのは分かりました。それに僅か五メートルの距離間で立ち止まらせたのも、僕が初走するスピードより先に引き金が引ける距離と判断したからでしょう。人によって立ち止まらせる距離が違うのでは?」
ファイはコートからショットガンごと手を出して肘を曲げたまま両手を上げた。ショットガンの引き金にファイの指は掛けられたままだった。
「ご名答、お前くらいの身長なら五メートルあれば楽に脳天を狙える」
「できれば狙わないで欲しいです。僕はまだ死にたくありません」
「何もしなければ死なないさ、この岩陰は今日の私の寝処だ。同じ場所で休もうと考えるなよ」
「もちろんです。こちらもお金を盗られたくありません」
「盗られたことがあるのか?」
「お恥ずかしいことながら、旅に出たての時に悪い男に騙されまして、信じて仮眠をして起きたらパンツ一枚になっていました。幸い、相手が売れそうもないと判断したものだけ置いといてくれていたのが不幸中の幸いですが、あんな思いは二度とごめんです」
若い頃の苦い思い出を思い出し、渋い顔をするマークにファイは短く息を吐き、今度こそショットガンを下ろし引き金から手を離した。
「お前の面白い話に免じて撃つのは止めておく。……一つ、聞いても良いか?」
「何ですか?」
「“人の楽園”って知っているか?」
「聞いたことありません。それがあなたの旅の目的地ですか?」
「ああ、噂話し程度のことなんだが、この世界のどこかに存在する最果てに“人の楽園”と呼ばれる街があるって」
「確証とかはないのですか?」
「ない、それしか情報がないんだ」
「そこへ行きたいと」
ファイは目を伏せて口を一線に噤んだ。行きたい理由も、行ける保証もない噂話し程度の不確かな街が、ファイの旅の終着地というわけか。
マークは少し考え口を開いた。
「僕が来た東の土地に、『本の街』と呼ばれる紙媒体が主流の街があります。その街に住む“ニアス”という男性なら知っているかもしれません」
「根拠は?」
「彼はこの世界のありとあらゆる紙媒体を収集し、その全てを頭の中に叩き込んでいるからです。僕のように旅の目的のない人間には旅の合間の娯楽としての意味しかありませんが、あなたのような旅の目的を明確にしたい人なら彼の知識が役に立つでしょう」
「なるほど」
考え込むファイを眺めながら、マークは思い出に耽る。本の街で出会ったニアスのことを。彼の知識量は凄まじく、文化、歴史、娯楽、語学、哲学、神学と、この大陸だけではなく別の大陸の話しまで網羅していた。どうやって紙媒体を収集し、頭の中に叩き込んでいるのか尋ねたことがあるが、彼はそれを「趣味だからできること」の一言で終わらせる。
お堅い頭でっかちではなく、温和で熱しやすく話しやすい彼の話しをまた聞きに行きたいなぁと思っていると、考えがまとまったかファイが顔を上げた。
「情報ありがとう。これは礼だ、次の町で売ってくれ」
投げて寄越されたのは宝石のサファイヤのネックレスだ。涙の形をしており、女性ものと一目で分かる。
「可愛いですね」
「前の前の街が鉱山都市で安く手に入れたものだ。別の街で換金すればなかなかの値が付くぞ」
「じゃあ、ぼくはこちらを提供します」
マークが投げて寄越したのはビー玉ほどの大きさの青い玉石だった。それを見てファイは目を見開いて驚く。
「これ、お前の“カケラ”か? なんで私に?」
マークは自分のカケラの一つをファイに渡した。
カケラとは、その人の心の一部と言われており、その人の知識や感情が込められていると言われている。街の中には、家族や、親しい友人、恋人と渡し合う文化があると言われている。
そんな相手の心の詰まった“カケラ”を渡してくるなんてどんな意図があるのかと、ファイは訝しげに問うとマークは笑みを浮かべながら頷いた。
「あなたとの会話が楽しかったから……、なんて言っても信じてもらえないと思うので、あなたとはまた会えそうな気がするので渡しておきたいと思いました」
「だからって……」
「僕にはこちらの宝石を貰う理由がありません。貰うにしろ返せる対価がないので“カケラ”をお渡ししたいと考えました」
「私の“カケラ”はやらないぞ?」
「もちろんです、僕はあげたくてあなたに“カケラ”を渡しただけですから」
ファイは苦虫をかじったような顔をしたが、それ以上は何も言わず、コートの内ポケットにマークの“カケラ”を入れた。
「それでは、そろそろ行きますね。あなたの旅の無事をお祈りしてます」
「ああ、私もお前の旅の無事を祈ってるよ」
「ニアスにあったらよろしく言っておいてください。彼は旅で出会った僕の数少ない友人の一人なので。少し変わっている方ですが、女性には心底優しいので安心して下さい」
サラリと爆弾発言を言ってのけるマークに、ファイは目を見開き立ち上がった。
「気付いていたのか?」
「性別ですか? そりゃあ気付きますよ、所作も、声質も、言葉遣いも、見た目も、男性とほぼ変わりませんが、なんとなく……分かるんです」
きっぱり言い切るマークにファイは何かを聞こうとして、止めた。
「そうか。まあ、また会えるとは思っていないからいいか」
「ありがとうございます」
ーーー追求しないでくれて。
言外に言われ、ファイは何とも言えない気持ちになった。近付くことはできても近付き過ぎることはない旅人間の関係にもどかしさを感じるのはずいぶん、久しぶりの感情だった。
「それでは、お元気で」
「お前もな」
マークは手を振ってファイと別れる。ファイはマークの姿が見えなくなると岩の陰に腰を下ろし直し、マークもまたファイのいる岩を通り過ぎると何事もない風に歩き出した。
今日の野営はもう少し先に進んだ先になる。
疲れていた足取りが少し軽くなり、マークは口端を緩めて空を仰いだ。
青色の空に茜と群青色の空が侵食している。もう少し時間が経てば星々が輝き始めるだろう。
「今日は星が一層、綺麗だろうなぁ」
マークは一人呟くのだった。
END
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