とある僻地のレストランにて -after epilogue-

「妻の料理が美味いんだよ」

「あなたよりも?」

「愛の籠った料理は美味いものさ」

 男は納得出来なそうな顔をしていた。納得出来ないなりに、その可能性もちゃんと考えてくれているような顔だった。

「愛が籠った料理だったから美味いと言うんですか?」

「愛が籠っていて、しかももう食べられないから殊更美味いのさ」

「もう食べられないから、美味いのだと言うのですね」

「断定してる訳じゃない。そんな説もあると言っているだけさ。料理の味はあらゆる複合した理由で変わるものだからな。空腹の具合や場所、皿や水、食材の生育環境にもよって味は変わったりするものだし」

「もうこれしかないと思ってここまで来たのにな」

「けどこの味でも無いんだろう?」

「ええ、これではありませんでした。ちょっと似ているけど、どこか違う。この肉は脂が乗っていますが、もっとあっさりしていたし甘味があったように思います」

「じゃあなんだろうな? 人魚の肉に近い肉なんて、ジュゴンとかか?」

「全然違う味でしたよ」

「本当にこれまでこの世にある肉を片っ端から食ってきたんだな……」

「一通りの肉を食べ尽くしてやっとこの店に来て人魚の肉に辿り着けたというのに、人魚の肉でも無いなら一体なんだったんでしょうか」

「さぁな。俺も食べてみたいものだよ。そんなに美味い肉があるなら」

 そして他愛ない会話をした後、一緒に外へ出て男を見送った。どこにも具合の悪いところなど無さそうな、背筋の真っ直ぐとした男だった。見た目には若い男だったが、纏う雰囲気はどこか老成している。

 その背中が段々と遠く見えなくなっていく。

「自分へ向けられた愛の籠もった料理は美味いものだ。しかもそれが文字通り自分の身を削った料理だと言うのなら、この上なく美味しいに違いない。だからあんたの味わった料理はこれ以上ないご馳走だったんだ」

 夜闇に聞かせるように俺は言う。

「俺はその話とあんたの目で大体の事情は分かったよ。あんたも本当は分かってるんだろう? だからこんな僻地の非合法レストランになんてやってきたんだ」

 これからもあの男は自分の食べた肉を探し続けるのだろう。

「俺にもこれ以上ない味を知ってるよ。けど妻の料理はもう食べられない」

 記憶の味は優しい思い出と共に思い起こされる。帰りの遅い俺を待ち「あなたほど得意じゃないけれど」と言いながら、見た目は焦げているのに中は生焼けのハンバーグを出してくれた。笑いながら一緒に食べたっけ。特別に美味しいわけではなかったけれど、特別な思い出で特別な味だった。

「思い出はいつだって美しいし、思い出の味がいつでも味わえるとは限らない。あんたはその記憶の味を大事にしてこれからも生きていくしかないって訳だ。それが生きる糧となってるならば、俺は本当のことを突き付けるようなことはしないさ」

 ただ、思い出と共にあるから過去に食べた肉が今日食べた人魚の肉と同じと思えなかった、という話ではないことも分かっていた。

「あんたはちょっと長生きし過ぎたし、しかしながらその時間を掛けないと今日この肉には辿り着けなかった」

 その肉はもう食べられない味だ。

 天然の人魚なんてもういない。三〇〇年かけないとこの人魚の肉に辿り着けないが、その時間の間に人魚は養殖人魚に置き換わっている。人間は人魚の肉を求め人魚の生息地を荒らし尽くしたのだ。養殖人魚はそりゃあ味が違うさ。

「天然人魚を食べた人間なんて、もういないんだろうな」

 そしてあんたは自分自身を食べたことなんて無いんだろうな。

 食の業とは深いものだ。料理人たる俺ときたら、あの客の味ばかりが気になっているのだから。

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深海の瞳の男 2121 @kanata2121

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